神の髪は別格。
百貨店を後にすると、七海は渋谷駅へ向かった――
「おばさん、それじゃあ、此処でお別れだお」
「お別れとは?」
「さっき、言ったじゃんよ? あっシは、これから髪を切りに行くんよ。帰り道は分かるでしょう? じゃぁねっ!」
「待てぇぃ!」
「ほぇ??」
「髪を切りに行くのに『御一緒する?』と、申したでは無いかぇ?」
「どぇ? おばさんも、髪切るん?」
伊邪那美の腰より下まで伸びた長い髪は艶が有り美しく、正しく「カラスの濡れ羽色」で、枝毛や切れ毛など有ろうはずも無かった――
「おぁ? おばさんにも、行きつけのサロンが有るっしょ? あっシにはあっシの行き付けが……」
「参ろうぞっ!」
「うぐっ……」
七海は、伊邪那美の押しの強さに、閉口し服従した――
「ここだお」
「うむ」
「おばさん、予約は、あっシだけだから、断られたり、待たされたりするかもしれないお? それでも良いん?」
「よかろう」
「…………」
七海の最後の言い訳にも伊邪那美は動じなかった。ヘア・サロンを知らない伊邪那美は、オフィス・ビルに入って行く事に、違和感さえ感じていなかった――
〝 ピンポーン ″
「はい。どちら様ですか?」
「イッケイさん、こんにちは。七海です」
「七海ちゃん、いらっしゃ――い。今、開けるから待ってね」
「イッケイさん、実は……今日は、連れが居るんよ」
「あら? どなたかしら?」
〝 ガチャッ! ″
七海の背後に立つ伊邪那美を見て、イッケイは母親だと思い込んだ――
「まぁ、七海ちゃんのお母さん。初めまして、イッケイです」
「うむ。よろしゅうに」
「いや、あの、イッケイさん……」
「七海ちゃんも水臭いわねぇ。お母さんと来るなら、そう言ってくれれば良かったのに。さぁ、お入り下さい、どうぞ――ぉ。今、お飲み物を御用意しますからねぇ」
「いや、違うんよ、あの、イッケイさん……」
「そんな風に見えるのなら、それで、良いでは無いかぇ?」
「だって……」
「お待たせしました―――ぁ、どうぞ」
イッケイは、極上の日本茶を淹れて、差し出した――
「おぉ! この香り……心の芯まで和らぐ。魂が蘇るとは、この事よのぅ」
「流石、七海ちゃんのお母さん。嬉しいわぁ」
「落ち着くのぅ」
「そうなんです。リラックス効果が素晴らしいので、大切なお客様には、必ず日本茶を出す事にしているんですよ。お―――ほっほ」
「客人を持て成す心構えが出来ておる。お見事っ!」
「やぁだ、嬉しい。私っ、真剣に生きているんですっ! それでは、準備しますので、少しお待ち下さいね」
七海は、一方的な展開を止めるどころか、大人同士の会話に入る事さえ出来なかった。そして、イッケイは上機嫌でサロンの準備を始めた。オフィスの内部は特別な内装になっており、応接室からガラス張りでサロンの中の様子を伺う事が出来た――
「じゃぁ、七海ちゃんから。どうぞ――――ぉ」
「はぁ―――いっ!」
「あら? だいぶ、伸びたわねぇ」
「そうなんよね」
「明日は、大切な人に合うんでしょう? 綺麗にしないとねぇ」
「今のままでも、良い感じなんだけどぉ、ちょっと……気合入っているんよねぇ」
「あら、珍しい。七海ちゃん、緊張しているの?」
「イッケイさん。そりゃあ、緊張するお。未来のお母さんに会うんだから……」
は控え
「そうよね。それではぁ、トレンドを意識した遊びは控え、気取り過ぎず、洒落過ぎず、落ち着きのある上品な……清楚で可憐、真面目な感じが良いわねぇ」
「あぁ。やっぱ、それが大事なんだぁ?」
「そうよ。最初の印象は、最も重要っ! 運命を左右すると言っても過言では無いわ。変な髪形やファッションだと嫌われるし、一生、言われるわよ―――ぉ」
「マジかっ?!」
「嫁と姑は戦いよっ! ま、私、結婚した事無いけど―――――ぉ」
「あははは」
「じゃあ、流すからね」
シートがゆっくりと倒れて行くと、シャンプー台が現れ、七海の髪は泡まみれになって行った――
「良い香りだお」
「天然由来だからね。これで洗って、トリートメントをしてぇ、特別なオイルで仕上げるからねぇ。艶っ艶になって、最高な仕上がりなのよぉ――――っ!」
七海は、洗髪が終わり、イッケイが髪をタオル・ドライをして、フェイス・タオルを差し出し、顔を拭いて、改めて鏡の中の自分と向き合うと、鏡越しに視線を感じた――
「ひぃ――――いいっ!」
「七海ちゃん? どうかしたの?」
「あっ、いや、別に……」
伊邪那美は目を爛々と輝かせ、中の様子を見つめていた――
「そうねぇ……サイドは編み込んで纏めて、裾はそのまま自然な感じを残してサラサラ感を出した方が、若々しく見えて良いかもね……そうしましょう」
「イッケイさん、あっシは、まだ若いんよ」
「やだ、ゴメンね。そうよね、フレッシュって言わなきゃ、いけなかったわ――ぁ。 どう? こんな感じで」
何と言う事でしょう。短く切り揃えられた清潔感のある前髪に、サイドは綺麗に編み込んで後ろで纏められたその髪型は、七海を清楚で可憐な女の子に変貌させ、決して、元ヤンとは気付かれない、圧倒的な仕上がりだった――
「女は化けるっつぅ―けど、これなら完璧。流石、美容研究家だおっ!」
「気に入って貰えて、良かったぁ。 ハッ!?」
その時、イッケイは、鏡越しにガン見する伊邪那美の圧力を感じた――
「あの、七海ちゃんが終わりましたので、お母さん、どうぞ……」
「うむ」
伊邪那美がシートに腰を掛けると、イッケイは、その長い黒髪を捌いた――
「いやぁ……綺麗な黒髪……とても人間とは思えないほど、完璧な髪ですよ……何方のサロンに通っているのですか?」
「いや、サロンとやらは、初めてじゃ」
「まぁっ! 凄いですねぇ、普段は、どんなお手入れをしてらっしゃるんですか?」
「いや。何も」
「有り得ないっ! どんだけぇ――――――――――――っ! 何もしないで、コレを維持しているなんて……食事は? 運動は? どうすれば、こんな髪になれるのかしら? おせぇ――――てっ!」
美容家として、昼夜を分かたず研究に勤しみ、真剣に生きて来たイッケイは、伊邪那美の美しい髪に驚愕していた――
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