五階じゃなくて誤解です。
黙り込み、瞳を潤ませる伊邪那美を見て、七海は母親の様に話し掛けた――
「おばさん……どうかしたの? 何処か具合でも悪いの? 元気無いじゃんよぉ」
「それが、何が何して何とやら……どうしたら良いのか、分からぬのじゃ」
「分からないって、どゆこと?」
伊邪那美は、これまでの経緯を、つまびらかに話し始めた――
「マジか? おばさん、何か、言えない事情が有って、子供を手放したん?」
「手放したりはせぬっ! その子の父親が……」
「あ――ぁ。分かっちゃったぁ……おばさん。訳有りなんだね」
「訳有り?」
「旦那がDVって、キツイよなぁ。毎日、殴られてたん?」
七海は、父親のDVが原因で一家が離散したと思い込んでいた――
「私は、殴られたりはせぬ。愛されていたのじゃ」
「じゃあ、息子を折檻してたん?」
「夫婦共々、そんな事はせぬ」
「あぁ、分かっちゃったぁ……息子がヤバいんだ?」
「息子の事は、良くは、知らぬのじゃ……」
「分かったっ! もう、それ以上、言わなくて良いよ。辛くなるからさぁ」
「七海。分かって貰えて、嬉しいぞ」
七海は、伊邪那美の浮気が原因で離婚。父親に親権を奪われ生き別れになり、その父親も幼子を施設に預けて知らん顔、グレた息子は少年院から出所すると事件を起こして刑務所へのお決まりのコース。刑期を終え出所する息子との再会なのだと勝手に思い込んでいた――
「まぁ、人生色々。挫けちゃダメだお」
「七海、お前は優しいのぅ」
「んで、明日、会うための服を買いに出たけど、何処に行っても見つからなくって困ってるん?」
「そうなのじゃ……お気に入りの店で『気取り過ぎず、洒落過ぎず、落ち着きのある上品な服』が欲しいと聞いてみたのじゃが……」
「お気に入りの店って『ミセスの店・ヒロタ』でしょ?」
「おぉっ! 分かるか?」
「そんな服『ミセスの店・ヒロタ』でしか、売ってね――ぇから。ひと目で、分かるっちゅーのっ!」
七海の激しい思い込みは、伊邪那美のセット・アップが原因であり、『ミセスの店・ヒロタ』は全国のヤンキーから絶大な支持を受けている老舗なのだった――
「七海も、お気に入りなのか?」
「いやぁ、あっシは、もう、そう云うのじゃ無いんよ。まぁ、この辺じゃ、シャレオツなのは、売って無いんよねぇ」
「何でも、渋谷という所へ行かなければ、無いそうでのぅ……」
「あっ! おばさん。あっシも、これから渋谷に服を買いに行って、髪の毛を切るんよ。御一緒する?」
「おぉ。連れて行ってくれるのか? 有難い事よのぅ」
「行くおっ!」
七海は伊邪那美の手を握ると、喜多見駅へ向かい、下北沢で井の頭線に乗り換えて渋谷に向かった――
「着いたお」
「此処が渋谷か……七海よ、今日は大祭でも有るのかぇ?」
「渋谷は、何時もこんなだお?」
「人が多過ぎて、歩く事も出来ないでは無いか……」
「良いから、早くぅ」
七海は、伊邪那美を百貨店の婦人売り場に連れて行った――
「此処なら『気取り過ぎず、洒落過ぎず、落ち着きのある上品な服』が有りそうじゃのぅ……しかし、こんなにも店が有るとは思わなんだ」
「おばさんは、あっち。あっシは、こっち」
「あっち?」
「一緒に買い物していたら、効率悪いから別行動だお。んじゃ、また後で、此処でね」
七海はサッサと自分の服を見たかった。しかし、伊邪那美が離さなかった――
「待て。七海、案内をしてもらえぬか?」
「案内って、自分で、見て気に入った服を、買えば良いじゃんよぉ?」
「勝手が分からぬのじゃ。頼む」
七海は仕方なく、伊邪那美を高級婦人服のフロアへ案内した。伊邪那美の服装を見て店員たちはクスクス笑い、中には吹き出す者さえ居た――
「店員が皆、笑っておる。躾が良く行き届いておる、笑顔は大切よのぅ。はっはっは、ほっほっほ」
「そうじゃなくて……まぁ、良いか……」
七海は恥ずかしくなり、伊邪那美にピッタリなお店を見つけると、飛び込んだ――
「すみません、あのぉ、『気取り過ぎず、洒落過ぎず、落ち着きのある上品な服』が欲しいんですけどぉ……」
「はい。お客様、それではサイズを」
「あっシでは無くって……」
七海が指を差すその先で、伊邪那美は珍しそうに、アクセサリーやディスプレイを眺めていた――
「お客様、お母さんがアレでは……苦労しますねぇ。分かりますよ。この私が、素敵なレディにしますから、任せて下さいっ!」
店員は、親孝行な娘が、下品な母親に服を買ってあげるのだと思い込み、涙ぐんでいた。そして伊邪那美をフィッティン・グルームに案内すると、首に掛けたメジャーを手に取り、目にも止まらぬ早業で、採寸をした――
〝 ササッ! シュッツ、シュッツ、スパッ! シュッツ、シュッツ、シュパ――――ッ! ″
「少々お待ち下さいませ」
店員は、ハンガー・ラックを手に売り場に戻り、服のサイズを確認するや、次から次へと什器から抜いて行った。そして、大量の服を持ってフィッティング・ルームに戻って来た――
「お客様。お待たせ致しましたぁ」
「待ち侘びたぞ」
店員は、ブラウスとシャツに始まり、ジャケット、スカート、パンツにロングとショートのコートに靴まで、完璧なコーディネイトの提案をした――
「うーむ。見事じゃっ!」
「有難う御座います。それでは、どれになさいますか?」
「ん? どれと言われても、どれも素晴らしい……迷うのぅ。コレとコレも良いが、それならば、これも捨て難い……」
「買っちゃえ、買っちゃえ、ジャンジャン買っちゃえ」
「一度は身に着けた物じゃ。全部貰おうぞ」
「お有がとぉ――う、御座いまぁ―――――――――すっ!」
「その服だけ持ち帰る。この服は……着て帰るとしよう」
「それでは、此方の紫のセット・アップは、此方の袋に入れて置きます。只今、計算しますので、お掛けになって、お待ち下さい」
「うむ。助かるのぅ」
お会計は三百万。七海が、唖然としていると、売り場にはロッキーのテーマが流れて来た。それは、売り上げ目標達成の合図だった――
〝 パァ、パパァ、パァパパ、パァ、パァ、パッ! パァ、パパァ、パァパパ、パァ、パァ、パッ! タタァーーンッ、タァ――――――ンッ! タタァーーンッ、タァ――――――ンッ! ″
店員達の表情からは、先程までの嘲笑は消え、伊邪那美を羨望の眼差しで見つめていた――
「七海。待たせたな。参ろうぞ」
「うん……」
「しかし、買い物をしたと云うのに、皆、顔が引き攣っておるのはどう云う事じゃ?」
「多分、ビビってんじゃね?」
「躾が行き届いておらぬのぅ。ほぉ――っほっほっほっほ」
伊邪那美が、気に入った服を着て、明日着る服と、着て来たセット・アップをショッピング・バッグに入れ、笑いながら売り場を行く姿は、花道を去って行く歌舞伎役者の様だった――
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