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知らぬが女神。

 多摩川に吹く風は、何時に無く冷たかった。七海は、駿と一緒に食べようと思って作った創作パンを、川へ投げ捨てようとしていた――


「夕日の、馬っ鹿、野郎ぉ―――――っ!」


 大声で叫び、大きく振り被って、力一杯、投げようとしたその腕を、誰かが掴んだ――


「待てぃ」


「あんだおっ! おばさん誰? ほっといてっ!」


「そうは行かぬ。食べ物を粗末にしては、罰が当たるぞよ?」


 そう言って、七海の腕を捻り上げた―― 


「うぐぅっ、痛い、痛い、ちょ、勘弁してよ、離せっつーのっ!」


「良かろう。離すのは良いが、条件が有る」


「痛いよ、条件って、何よ?」


「食べ物を粗末にし、川に捨てれば、川も汚れるではないか? その袋の食べ物を、私が貰おう」


「良いよ。もう要らないから、おばさんに、あげるから、離してちょ!」


 七海は、解放されると投げ捨てようとしていた創作パンを、手渡した――


「ほほう。良い香りじゃのぅ……」


「あっシが焼いたんだお」


「何? その方が、焼いたと申すか……どれ」


「その、丸いのはサンドイッチでぇ、その渦巻みたいなのが、チョコ・クロワッサン風のコロネだお」


「ほほう。では……うんっ! 美味よのぅ……香りも良いが、歯応えが良い」


「そうなんよね。フランスパンと同じ生地で作ったバンズだから」


「この具材が、又、良いではないか?」


「そうなんよ? ロースト・ビーフじゃなくて、豚肉を醤油麹で焼いてバターを効かせているんよ。んで、レタスじゃ水っぽくなるから、小松菜なんよ」


「うむ。苦みが肉の脂っこさを消しておる。しかし、まろやかさも有るのぅ?」


「卵のフィリングは、マヨネーズが自家製だからね。売っているヤツとは別モンよっ!」


「う―――む。その方、中々に……やるのじゃなぁ」


「まぁな。喉が渇くでしょ? 小豆茶も有るお」


「おぉ、気配りが良く出来、行き届いておる。のど越しも良くスッキリするのぅ。お見事じゃ」


「えへへ。分かって貰えて、嬉しいお」


「では、此方も頂こう」



 〝 サクッ、サクサクサク。んぱっ! ″



「これは、何という事か……甘い香りにサクサク触感、こってりした、滑らかなクリームに、歯応えの有る、固まり感が絶妙。まるで、夢心地じゃ……」


「マジかっ!? おばさん、分かってんなぁ――――――っ! コロネ生地をパイ風にして、チョコ・クリームには最高級カカオ。んで、クーベルチュールをチャンクで入れたんよ」


「此れは、創作パンと言うよりも……最早、贅沢な御馳走と言って、差し支えあるまい……うんっ!」


「何だかぁ、嬉しいお。おばさん、只者じゃないお。あっシは、七海って言うんよ」


「七海とは、良い名前じゃのぅ。私の名は伊邪那美じゃ」


「ふーん。変わった名前だね」


 七海は、日本神話を知らないので、特に気にも留めなかった。だが、黄泉の国で作られた物を食べた事で、住人となってしまった伊邪那美には、重要な出来事だった。何故なら、めぐみの案内で食べた物は、神による手配としてカウントされていなかった為、地上の住人にはなれなかった。しかし、人間である七海の手で作られた創作パンを食べる事で、正式に地上の住人になれたのだった――


「おぉぅっ! 全身に、力が漲るこの感覚、大地に確りと根が生えた様じゃ……」


「おばさん。大袈裟じゃね?」


「いぃや、七海。この創作パンと言う物は、それ程までに、価値が有ると云う事じゃ……」


「何か、そんなに褒められると、照れるお。きゃはっ!」


「ほほほほ。先程迄の悲しい顔より、笑顔の方が似合っておるぞ」


 七海は、めぐみと駿の事を思い出して、顔色が曇った―― 


「はぁ……そんな事言うから、思い出しちゃったじゃんよぉ……」


「おや? どうした。悩み事でも有るか」


「まぁね」


「ひとりで抱え込むのは良くないぞ。かまわぬ、話して見よ」



 七海は、姉の様に慕う人が、自分の婚約者と密会している現場を目撃してしまった。それは、最愛の人を同時に失う可能性が有る事を意味していたので、悲しみが込み上げて、不安で何も考えられないと話した――


「うむ。心情は理解出来るが、取り越し苦労であろう」


「どうして、そんな事が分かるん?」


「七海。その方の話によれば、マンションに入って行ったのを見ただけで、実際に、ふたりが愛し合っている現場を見届けた訳では、無いではないかぇ?」


「そりゃ、そうだけど……」


「疑う事から、壊れる関係も有るぞよ」


「そうなん? 人間生きてりゃ、無傷じゃいらんねぇっつぅ―――けどさぁ。あっシも、辛いんよぉ、うぇ―――んっ!」


「七海よ、愛とは信じる事。信じた人を、信じ続ける、自分の心を、信じるのじゃっ!」


「おばさん……マジで、カッケーっ!」


「うむ。分かれば良い。ささ、涙を拭いて、顔を上げて、胸を張るのじゃ」


「うんっ! あっシは、おばさんと出会って話をしたら、気分がスッキリしたお」


「それで良い。さぁ、日も暮れて来た。気を付けて帰るが良いぞ」



 七海と伊邪那美は、共に夕日に向かって歩き出した――



 「らん、らら―――ん、らら――――んっ! どぅる、とぅるっ、でゅーわぁ―――っ! 到着っ! 鼻歌も出る今日この頃。全員に恩を売って、待遇改善と地位向上を目指す鯉乃めぐみ。絶好調なりっ!」


 駐輪場に自転車を停めると、アパートの階段を一段飛ばしで勢い良く登った――


「お――――っと、七海ちゃん、まぁ――だ、帰っていないのかぁ……それじゃぁ、夕飯はブーバー・イーツで、簡単に済ませちゃおうっかなぁ」


 めぐみが、メニューを見ながら、何をチョイスするか思案していると、七海が帰って来た――


「ただいま」


「お帰りっ! 七海ちゃん遅かったねぇ。心配しちゃったよ」


「そうなん?」


「そりゃそうでしょう。今日、駿さんの所へ行って来たのよ。七海ちゃんが来るだろうって言うから、待っていたけど来ないからさぁ、てっきり、帰っているんだと思ったのよ。そしたら、部屋は真っ暗でしょう? 何だか、交通事故にでも有っていたらどうしよう? とか? 何処かで、お惣菜でも買っていたらバッティングするとか? 心配になりますよ。えぇ、そりゃぁねぇ」




 七海は、めぐみの言動から、伊邪那美の言う通り、取り越し苦労であったと思いつつも、疑念を払拭する事は出来なかった――







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