動く標的。
レミは、リスニング・ルームに入るとオーディオの点検を始めた――
「ん? よく手入れされていて、何処にも異常が有る様な感じがしないのだけれど……」
「音が出ないんですよ。ある時からパッタリ」
「あら? この棚に有るのは何ですか?」
「それは、デスク・トップ・スピーカー。以前は各テーブルに置いていたんですよ」
「そうなんですね。見ても良いですか??」
「もう、あなたの物なんだから。どうぞご自由に」
レミは巾着袋の中に入れて保管されていた、デスク・トップ・スピーカーを取り出した――
「ISOPHONのISONETTAですね……」
「あなた、良く御存知ねぇ。古い物だけど、主人のお気に入りでね。可愛いでしょう?」
「可愛くなんかねぇよ。『デリケートなんだから丁寧に、女を扱う様に扱えっ!』って言ってさぁ。何度ゲンコツ食らった分からないよ。俺は、まだ中学生だよ?女の扱い方なんか知るわけないだろ?」
「あはははは、あの人は優しかったからねぇ」
「ISONETTAのキャビネットは紙で出来ていますから、水気や衝撃は厳禁です。ユニットはオーバル型のフルレンジ。キャビネットに強固に固定されていて取り外しは出来ないけど、真空管アンプにはとても良く合いますから。柔らかくて、それでいて透明感のある良い音がしますよね」
レミは、レコードの状態が良い事に驚いて確認した――
「反りも無ければ、擦り切れても居ない……ほとんど聞いていない感じだわ……」
「親父はセコイんだよ。高価なレコードを買っておきながら、聴くのを勿体無がってさぁ」
「そうなの。でも、セコくなんかないわよ。名盤を只、消耗させて消費したのでは勿体無いって言って、そこの、オープン・リールを買ったんですから。高かったんですよ」
「それで、こんなに……それなら、以前はこのオープン・リールとISONETTAを使って店内に音楽を流していたんですね?」
「えぇそうよ。モーニングからランチ、ランチからティー・タイム、そしてディナータイム。変えるタイミングがちょうど良い感じでね。レコードだと、忙しないでしょう? そういう事を良く考えてくれている人だったの……」
レミはマダムと息子の温度差を微笑ましく感じつつ、点検に集中した――
「うーん、おそらく、自作アンプに難ありですね」
「そうなの?」
「でも、半田を修理すれば大丈夫だと思いますので、今度、修理道具を持ってきますね」
「あら? 修理なら、そこの道具箱で用が足りないかしら?」
マダムはソファの下に隠してあった道具箱を出してレミに見せた――
「あぁ、全部、揃っていますよっ!」
「そうでしょう? だって自分で何でもやる人だったから。きっと、これで良いと思ったの」
「何時も、仕事をほったらかして、自分で直していたもんなぁ」
レミは、精密半田こてを手に、アンプと格闘していた――
「母さん、あの部屋の灯り点いていると、親父が居るみたいだな」
「小っちゃい椅子に腰掛けて、何時間もああやって、直していたわねぇ……」
暫くすると、通電テストを終えたレミが電源を入れて、アンプを温めている間にデスク・トップ・スピーカーのセットをしようと立ち上がった――
「あら? もう直ったの?」
「はい。多分これで大丈夫だと思いますので、コレをテーブルにセットしたいのですが?」
「それなら任せて」
マダムは、ワゴンにデスク・トップ・スピーカーを乗せて客席に持って行った――
「マダム、OKですか?」
「えぇ。ちゃんとコードも仕舞ったわよ」
「それでは、レコードをかけますね」
Look at me,
I'm as helpless as a kitten up a tree ――
And I feel like I'm clingin' to a cloud ――
I can't understand
I get misty,
just holding your hand ――
マダムは、ゆっくりと静かに窓際のテーブル席に座ると、頬杖を突いて瞳を閉じた。そして、流れる音楽に浸って行った――
「あの席は、何時も親父と一緒に座って、まかないを食べていた席なんですよ。暫くそっとしてやって下さい」
「えぇ。それじゃあ、支払いを」
「本当に良いんですか?」
「勿論。倍でも、かなりお安いですから。私、ケータイを持っていないので、小切手でも良いかしら」
「はい」
レミは小切手を切ると、帰ろうとした――
「あっ、あの、お客さん。このオーディオ機器を持ち出す日程が決まったら、教えて下さい。なにせ、営業も有るものですから……」
「その事なら御心配無く。私、居候なんで置くところが無いの」
「えぇっ?」
「だから、そのまま此処に置いといて下さい。此処に有る物は主を失って淋しそうだったわ。だから、そのままが幸せ。そうでしょ?」
「お客さん……」
「じゃあ。御馳走様でした。又、来ますね」
「あの、お客さん……お名前は?」
「さようなら」
‶ カラン、コロン、カララララ――――ンッ! ″
小切手には宍戸レミと書いて有った――
「宍戸レミって云うのかぁ……でも、オーディオって、音が鳴ると生きているみたいで不思議な感じがするなぁ。親父が生き返ったみたいに感じるよ……」
マダムはポロリポロリと大粒の涙を零し、息子は黙って後ろからカーディガンを掛けてあげた――
「あぁ、寒いわ。早く帰らないと……」
レミは、足早に駅へ向かっていた。その時、尾行する数名の者が居る事には気が付いていなかった。そして、地下鉄の階段を降りている時、事件は起こった――
「危ないっ!」
‶ バキュ――――――ンッ! ″
レミに覆い被さり、守ったのは天海徹だった。そして、すかさず反撃をすると、男達は逃げて行った――
‶ バキュ――――――ンッ! バンッ! バンッ! ″
「クソッ! 逃げられた。ボーっと歩いてんじゃねぇよっ!」
「今のは一体、何者っ!?」
「お前を殺しに来たAssassinだよ」
「何ですって? どうして……」
「お前の彼氏を殺したのも彼奴らだ。もっと用心して歩かないと、命がいくつあっても足りないぜ」
レミは、天海徹が狙いを外したのは、自分を庇ったせいで怪我をしたためだと悟った――
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