焼け野原を抜けると、そこは戦前だった。
めぐみは一生懸命ペダルを漕いで、時間を遡って行った――
「あれ? 何だか明るくなって来ましたよ……」
「なぁに、失われた……いや、奪われた三十年を巻き戻して行っているだけだよ」
「夜だと云うのに、歩けないほど人が居るよ……」
「これがバブル期だよ。後でどうなるかも知らずに、浮かれていた時代さ」
「何か皆、パーティにでも行く見たいな格好ですよ? 良い服を着ていますねぇ。ゴージャスっ!」
「ねえ、めぐみさんと言ったねぇ。あんた神様なら、もっと早く行っておくれでないかい?」
「あぁ、すみません。まだ新米なものでペダルひと漕ぎの最大値が、一か月なんですよ」
「おやおや、そりゃぁ骨が折れるねぇ……頑張っておくれっ!」
「はい、ふぅっ!」
めぐみは、ほんの少し前に活力漲る人々が闊歩して居た事に驚きながら、にこやかな笑顔の花咲く人波を抜けてペダルを踏みこんだ――
「うげっ、息切れするよ……目が痛い。参ったなぁ」
「あぁ、こりゃぁ光化学スモッグだよ。ちょっと、そこで休んで目を洗ってうがいをしな」
「はぁ。しっかし、空気が悪いですねぇ……」
「後少しの我慢だ、頑張っておくれ」
「はい……」
めぐみは再び自転車に跨りペダルを漕ぎ始めた。すると、君子が何かに気が付いた――
「ちょいと、めぐみさん。止めておくれ」
「えっ」
「良いから止めておくれよ」
「はい」
自転車を停めると、君子はサッと降りて、人の家の竹箒を持って走り出した――
「あぁっ! 君子さん、何処へ……」
君子は通行人の男性を竹箒で襲撃した――
「こんちくしょうっ! えいっ!」
「ぎゃあっ! 何しやがるっ!」
「この、嘘吐きのろくでなしめっ! 思い知れっ!」
「何だと? あっ、お前は……君子だな」
「ふんっ、何が『使い捨て時代の到来』だっ! 先に行って困る様な事を吹聴しやがってっ! 結局、私が、日本人が正しいんだよっ! アメリカかぶれの非国民めっ! 天誅っ!」
‶ ぎゃあ――――ぁ、痛い、痛い、止めてくれ、助けて――ぇっ! ″
「あぁ、スッキリした。めぐみさん、待たせて悪かったねぇ。さぁさ、もう気が済んだから、行っておくれ」
「はい……」
「何だい?」
めぐみは正面を向いた君子が別人の様に若返っている事に驚いたが、何よりも驚いたのはその腕前だった――
「いやぁ、竹箒で砂を巻き上げて煙幕を張り、目潰し。持ち替えて柄で喉を突き、金的、最後は『面有り一本』とは……お見事ですっ!」
「なぁに、この程度は朝飯前だよ。もし、竹槍が有れば突いて殺していたよ」
「そんな、恐ろしい……」
「あんな野郎はねぇ、殺してやった方が良いんだよっ! 公衆衛生に良くないんだ」
「そんな、悪人には見えませんでしたけど?」
「そりゃそうだ、あれでも議員なんだ。背広来てネクタイしてりゃ、どうにか格好は付くからねぇ。情けないじゃぁ無いか、あんな野郎に騙されて物を大切にする日本人が変わっちまってさぁ。だから今時の若者がSDGsなんて、講釈垂れると鶏冠に来るんだ」
「鶏冠に来る? って?」
「頭にに血が上るって事だよ。あの野郎、ジャンジャン新しい物を造ってバンバン使い捨てにしなきゃ儲からないとか言いやがって、その口で過剰包装は無駄だとぬかしやがる。熨斗を付けるのは、丁寧に包装するのは大和心じゃないか、人への思いだよ。大切な日本の文化なんだよ。その包装紙だって紙袋だって大切に押入れに仕舞っておいて、何かの時に役立ていたんだ」
「御尤もで御座いますぅ……」
その時、自転車の前をゆっくりと桶を持った少女が横切ったので、ぶつかりそうになった――
「きゃあっ!」
「おっと、驚かせて御免なさい、お嬢ちゃん大丈夫?」
「ちょっと零れちゃったけど、壊れてないから大丈夫」
「めぐみさん、よそ見していたら危ないじゃないか、気を付けておくれよ。ごめんねぇ、お使い偉いねぇ。気を付けてお帰り」
「うんっ!」
「今のは、もしや?」
「もしやじゃないよ、豆腐だよ。昔はああやって桶に水を張って買ったんだよ。ほら、あそこの店の前に木箱が有るだろ? 瓶を回収していたんだ。プラスチックなんて無くたってちゃんと暮らしていたんだよ」
「はぁ。驚きです」
めぐみは、更に一生懸命ペダルを漕いで、時間を遡って行った――
「あら? 空気が澄んで来ましたね。どんどんビルが無くなって、昔の東京って、こんなだったんですね」
「あぁ。悔しいねぇ……でも、もう少し先に行きゃぁ、東京は焼け野原だよ……」
「これが戦後復興した日本って事なんですね……貧しいけど、みんな明るいし元気だなぁ。子供があんなに沢山にいますけど……何かのイベントでしょうか?」
「この頃はまだ子供が沢山いて、登下校を見守る大人達も沢山居たんだよ。元気な子供を見ているだけで、元気が出たもんだよ……」
遡るにつれ、東京大空襲の記憶が蘇り君子は黙り込んでしまった。そして、めぐみも目を覆いたくなる凄惨な情景に絶句した――
「これは……」
「見ちゃダメっ! 死臭がふんぷんとするよ。サッサと此処を抜けるんだ、確り漕いでおくれっ!」
「はいっ!」
めぐみは必死で漕いで焼け野原を抜けると、そこは戦前の東京だった――
「君子さん、何だかお洒落ですね。雰囲気がとっても良いですよっ!」
「そうだろ? 日本人が日本人らしかったんだよ。懐かしいねぇ……」
「あれ? 君子さん、声が変わりましたよ? 随分と若返りましたねぇ。ペダルが軽くなる訳だ」
「ありゃ? 本当だ。肌は艶々、皴もたるみも一切無し。こんなだったんだよ私も。若いって素晴らしいねぇ」
「君子さん、喋り方も変えないと可笑しいですよ」
「確かに見た目は十代で話し方はお婆さんじゃ変だよねぇ。あははは」
「あっ、君子さんが笑うのを始めて見ましたよっ!」
「箸が転がっても笑う年頃になちまったもんでねぇ」
‶ あはははは。あっはっはっはっは、あっはっはっはっはっは ″
君子はめぐみに江戸橋の上で自転車を停めるように指示をした。そして、眼前の日本橋を眺めて深いため息を吐き、右手の人形町の方を眺めて目を潤ませた――
「あぁ、生まれも育ちも東京だって云うのに……何だか、故郷に帰って来たみたいな心持ちだよ……故郷って良いもんだねぇ。田舎が有る人が羨ましいよ……」
めぐみは、若返って可愛らしくなった君子と夕日を映す日本橋川の流れを時を忘れて眺めていた――
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