あの日に帰りたい。
生前の秋元が思い残した事とは何なのか。めぐみには分からなかった――
「あのぉ、どうして君子さんの思い人が秋元さんの『思い残した事』になるのでしょうか?」
「はい。実は長年連れ添った夫婦とは言え、君子の心の奥底には許嫁の笹岡正次郎がずっと生き続けていたんですよ……私は、そんな君子が不憫でねぇ……」
「でも、笹岡さんは戦死したのでしょう? 戦後に復員兵の秋元さんと出会ってご結婚されたと。おしどり夫婦だったと聞いておりますけど?」
「勿論、夫婦仲は円満でしたよ。しかしながら、君子は何か……本当の自分の心に嘘を吐いていたように思うのです」
「嘘?」
「えぇ。笹岡は職人でしたから学徒出陣の前に出征していましたからねぇ。その時、まだ十七歳だった君子は、笹岡に自分の想いを、本当の気持ちを伝えられないまま、笹岡が戦死してしまった事を酷く悔やんでいましたよ。だから『彼の分まで幸せにならなければいけない』とずっと無理をしていたんだと思います」
めぐみは、秋元の話を聞いて瞳さんの見立てが正しかったと思った。そして、何か嫌な予感がした――
「思いを果たすと云う事は……つまり、君子さんの傷着いた心を癒すと云う事でしょうか?」
「はい。君子が無理をしていた事を知りながら、それを指摘する事が、かえって傷口を深くしまいか……そう思うと、私には言えませんでした。どうする事も出来なかったんです。めぐみさん、どうか君子の思いを果たさせてあげて下さい」
「分かりました」
「ありがとう」
めぐみは苦しい胸中を吐露した秋元の願いに応える以外無かった――
「あの、レミさん。面会は終わりましたので、有難う御座いました」
「あぁ。終わったの? 早かったわね。何度も面会には応じられないけど大丈夫? 思い残す事は無い?」
「はい。此れにて、失礼致します」
めぐみは一礼すると踵を返して分室を出て行った――
「縁結命……たかが人間のためにこの分室まで足を運んだ神は彼女が初めて……中々、見所の有る女神だねぇ……」
どうっと風の吹く中を去って行くめぐみの後ろ姿を、レミは何時までも見送っていた――
「さぁてと、ここまで来たら後には引けないよ。君子さんに会って『あの日』に帰らなきゃ。ふぅ……」
軌道エレベーターの前で待っていると、巫女twin’zが見送りにやって来た――
「きゃ――ぁ、めぐみ様ぁ。お疲れさまでしたぁ」
「あの短気なレミ様の許可を得て戻れるなんてぇ、流石ですわぁ」
「はぁ? それじゃぁ、あんた達……騙したわねっ!」
「えへへっ! でも、既に自転車とクロノ・ウォッチを接続しましたよね? もう、返品交換は出来ませんのでぇ」
「もう、行くっきゃない。って、事なんですねっ!」
「はいはい。言われなくても行きますからっ! 私、やるときゃ、やるんでっ!」
めぐみは巫女twin’zに別れを告げて、軌道エレベーターに乗って地上に戻って行った――
「瞳さんに教えて貰った住所は此処なんだけど……有ったっ! どえっ、大きなお家なのねぇ……こりゃ驚いたぁ。粋な黒塀、見越しの松とはこの事かぁ……屋根は三州瀬戸瓦で反ってるし、入り辛いなぁ……」
「仇な姿の洗い髪でもって、死んだ筈だよお君さんってか? あたしゃ生きているよっ! 縁起でもない事を云うんじゃないよっ! 何処のどいつだっ!」
「あぁ、今晩は……」
「おや? 誰かと思えば、喜多美神社の巫女さんじゃぁないか。こんな夜分に何の用だい?」
「実は、ちょっと、ご相談が有りまして……」
めぐみは君子に笹岡正次郎へ思いを告げて、未練を残さず今生に別れを告げ、秋元にお迎えに来て貰って欲しいと頭を下げた――
「巫女さん……思いを告げるって言ったって、正ちゃんはとっくに戦死しているんだよ。どうすりゃ良いんだい? えぇ? 果たせるものなら、とっくに果たしているよっ! 年寄りをからかうんじゃ無いよっ……」
めぐみの眼光が鋭くなり見据えられると、君子は血が上った頭からざぁと血の気が引いて行った。冷静になって思い返せば、秋元の事はともかく笹岡の名前を知っている事に震えた――
「あんた……誰に聞いたんだい? どうして、笹岡正次郎を知っているんだい?」
「はぁ、あのぉ、実は私は神様なんです。縁結命、地上名は鯉乃めぐみと申します」
「も、申しますって言ったって……あんた、あんたが神様なのかい? そんな事、信じられる訳が無いだろうに……」
「君子さん、秋元さんはあなたの心の奥底に笹岡正次郎が居る事を知っていました。決して忘れる事の出来ない思い人が居る事を知りつつ、それでも、あなたを愛したのです。秋元さんの最後の願いは、笹岡さんに君子さんの本当の思いを告げる事なのです」
「……そんな、どうして、そんな事が分かるんだい?」
「ですから……私は神様ですから。さぁ、君子さん。一緒に『あの日』に帰りましょう」
「そりゃぁ、帰れるものなら、帰りたいさ。けど……」
めぐみは君子の腕を掴んで外へ出ると、自転車に乗せた――
「確りつかまって下さいね」
「ちょいとあんた。こんな物で、どうしようって言うんだい?」
「良いから。さぁ、行先を教えて下さい」
「え?」
「君子さんの生家ですよ」
「あぁ……日本橋、人形町だよ」
「はい。次は君子さんが帰りたい『あの日』を教えて下さい」
「えぇっ、どうしようかねぇ……」
「大丈夫ですよ。時間の移動は自在ですから」
「そうかい? じゃあ、昭和十六年に行っておくれ」
めぐみはクロノ・ウォッチの時間設定をした――
「昭和十六年、目的地、中央区日本橋人形町」
‶ セッテイガ、カンリョウシマシタ ″
「よし。それでは、出発進行っ!」
めぐみが自転車を漕ぎ出すと、時空が歪み、冬景色は紅葉から新緑へと遡って行った――
「はぁぁ。あたしゃぁ、何だか、狐につままれたみたいだよ……」
君子は流れる景色を子供の様にうっとりと眺めていた。こうして、めぐみと君子の時間旅行のサイクリングは始まった――
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