心の奥の深い傷。
―― 二月十日 仏滅 甲午
喜多美神社は神聖な空気と初午祭の活気に溢れていた――
「準備は万端っ! 初午祭っ!」
「何時でもOKっ! 初午祭っ!」
「掛かって来いやっ! 初午祭っ!」
「成る様になるっ! 初午祭っ!」
「ARE YOU READY?!」
「YES―――――っ!」
やる気満々で、乗りに乗っている典子だった――
「穏やかで、静かな朝ですね。典子さん、ひとつだけ気掛かりなんですけど、珠美の大日本農業連合が爆音で街宣状態で来るのは……何とかなりませんかね?」
「本当にぃ、めぐみさんのぉ、言う通りなんですよぉ、アレじゃぁ、興覚めなんですよぉ」
「あ―――ぁ、そっか。ここ何年か来ていなかったから、紗耶香さんもめぐみさんも知らないのよね。行商のあの人は、馬や牛を沢山飼っているのよ。だから、初午祭の日は綺麗な衣装を着けたお馬さんで来るのよ」
「えぇっ! 東京で? 世田谷で馬ですかぁ?」
「うわぁ。可愛いいのがぁ、来るんですね?」
「そうよ、神馬よ。お客さんもきっと、喜んでくれるわよ。うふふふ」
‶ ぱっか、ぱっか、ぽっこ、ぽっこ。シャン、シャン、シャン。ぱっか、ぱっか、ぽっこ、ぽっこ。シャン、シャン、シャン。ぱっか、ぱっか、ぽっこ、ぽっこ。シャン、シャン、シャン ″
「ほ―ら、来たわよ」
「何だか心が和む蹄の音……」
「そしてぇ、鈴の音がぁ、心地良いんですよぉ」
珠美は三頭の馬と二頭の牛を引き連れて喜多美神社にやって来た。真っ白い馬の手綱を引き、その馬の背中には美しい衣を纏う木花咲耶姫が居た。そして、後ろには栗毛と青鹿毛の二頭の馬が綺麗な花飾りと鈴の音を響かせ、更にその後ろには、米俵と酒樽を積んだ荷車を二頭の牛が引いていた――
‶ ピィ―――――――ィ ピィ―――――――――ヒャララ ピィ―――――――ィ ヒィ―――ピィ―――――――ィ ヒャラレロラロ ピィ―――――――ィ ピィ―――――――――ヒャララ ″
木花咲耶姫の吹く雅な笛の音色と、馬と牛の蹄の音に呼応した鈴の音に心惹かれたのか、古式ゆかしい日本の神事をひと目見ようと近所の人達が集って来た。それは、まるで催眠術に掛かった様だった――
「あ―――ぁっ。テス、テスっ。皆様――ぁ、かぁんにちはぁ――――っ! 鵜飼野珠美ちゃんでぇ、御座いますっ! 本日は初午の日、初午祭で御座います。此方に、有機米とお酒を御用意致しましたので、お帰りの際は今一度、此方にお立ち寄り下さいませ――ぇ」
‶ わぁ――――――ぁ パチパチパチパチ ″
「めぐみ姐さん、コレは予想以上の人出ですよっ!」
「何だか緊張して来たよ」
「この雰囲気にぃ、圧倒されるんですよぉ」
「よっしゃー! 皆さん、何時も通りにやれば良いの。準備は万端、向かう所敵無しよっ!」
‶ おぉ――――――っ! ″
典子の予測は半分当り半分外れた。祝詞奏上、玉串拝礼が済み、初午祭も恙無く進行しているその時、事件は起こった――
「おいっ! そこの餓鬼っ!」
「なぁに? お婆ちゃん」
「お前さん、その服は一体どう云う意味だい?」
「え? どう云うって……何が?」
「何がじゃないんだよっ! 初午のお祝いに、アメリカ国旗の服を着て来るたぁ、何なんだいっ!」
「落ち着いて、お婆ちゃん。アメリカ国旗の何がいけないのさ?」
「アメリカは敵国だよっ!」
「敵国って……何の事?」
「日本と戦争をした敵国だって言っているんだっ!」
「えぇ? 日本とアメリカが戦争をしたの? 本当に? それで、どっちが勝ったの?」
「何だって? とぼけるんじゃないよっ! アメリカは東京大空襲で被災者三百十万、死者十一万五千人、負傷者十五万人、損害家屋八十五万戸以上、広島と長崎に原爆を落として非戦闘員を二十万人以上殺したんだぞっ! 神聖な神社に、そんな鬼畜の、野蛮人の、敵国の国旗を編んだセーターなんか着て来やがって、目障りなんだよっ! とっとと失せやがれっ! こん畜生めっ!」
「お婆ちゃん、そんなに怒ると身体に良く無いよ、だって……そんな事、知らなかったんだよ。だから、許して……」
「そんなにアメリカが好きなら教会に行けってんだっ! 非国民めっ! 神聖な神社に来るんじゃないよっ!」
烈火の如く怒る君子に、周囲は凍り付くと同時に、小さな子供や若者が泣き出してしまった――
「めぐみ姐さん、これはヤヴァイですよっ! 人類の歴史で、一度の攻撃で殺された人数の最悪記録TOP3は、全てアメリカ合衆国による『日本人虐殺』ですからねぇ……しかも、一般市民ですから……」
「もう、勘弁してよぉ……せっかく、良い雰囲気で初午祭が終われると思ったのに、珠美があんな有機米を配るから、おかしな事になちゃったよぉ……」
珠美は有機米を量って小袋に入れて配っていたので騒ぎに気付かず、頼みの綱は麗華だけだった――
「君子さん、貴女様のお気持ちは痛いほど理解出来ます。しかし、戦争はもう終わったのです。何時までも過去を恨んではいけないと思うのです。どうかこの若者たちを許して……」
「ふざけるんじゃないよっ! あんた迄、この非国民の肩を持つのかい? 大和心の分かる良く出来た人だと思ったけど、ふんっ、とんだ間違いだっ!」
頼みの綱は見事にスパッと切れた。めぐみとピースケの期待は露と消え、慌てて現場へ直行した――
「まったく、近頃の若いモンは、喉元過ぎれば熱さ忘れるとばかりに簡単に謝りやがる。直ぐに謝る癖に、ちょっと目を離せば、直ぐに元通りだ。謝る様な事を平気でやる根性が憎らしいってんだっ! 男が謝るなんて恥を知れと言っているんだっ! 昔っから、日本人は、日本男児は…………武士に二言はないんだっ! 謝る位なら、腹を切れ…………」
興奮し過ぎた君子は意識を失い、まるで魂が抜けた様に、ゆっくりと白目になり、顎が落ちて身体が傾いて行った――
「危ないっ!」
めぐみは君子の身体を支えようと身を乗り出したが、咄嗟の出来事に間に合わず、倒れる君子を抱きかかえたのは、誰あろう木花咲耶姫だった。それは、まるで瞬間移動の術でも使ったかの様な、目にも止まらぬ早業だった――
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