人の痛みの分かる女神。
―― 二月七日 先勝 辛卯
朝、目覚めると既に七海は朝食を済ませて出掛ける準備をしていた――
「もう、朝か……」
「めぐみお姉ちゃん、寝坊助だなぁ。あっシはもう、出掛けるよっ!」
「もう、そんな時間なのね……はぁ――ぁ」
「コラッ! 朝から溜息なんか吐いちゃ駄目だおっ!」
「はい。御免なさい……ふぅ」
「もうっ! ダラダラすんなっつぅ――のっ!」
「コレも女難の相の表れか……」
「あぁ?」
「何でもないよ。昨日、占い師に、そう云われただけよ」
「占い師?」
「うん。駅前の『今夜占ってみませんか』ってヤツ」
「あの、駅前の占いかぁ。で?」
「女難の相のややこしいのが出ているって言われたのよ……トホホ」
「ふーん。でも、結構、評判は良いんよね」
「知っているの?」
「うん。AIの占いは珍しいから、新しモン好きが結構、たかってたお」
「AI占いじゃないよ。似非関西弁の変なオッサンだよ」
「そうなん? 人形から音声が出て、水晶玉がピカピカって光ってジャジャジャジャーン『こんなん出ましたけどぉ』って云う、エンタメ系のAI占いって聞いたお」
「あぁ、そう云う事か……残念だけど、その人形の持ち主に直接占って貰ったのよ」
「へぇ、そうなん? まぁ、占いなんて気にしたって、しゃ――ぁ無いんよ。元気出してっ! あっシは先に行くよんっ!」
「うん、気を付けてね。朝ご飯あんがと。行ってらっしゃい」
喜多見神社は神聖な空気と静寂に包まれていた――
典子の指揮で紗耶香もめぐみもピースケも、初午祭のリハと準備に、てんてこ舞いだった――
「来るぞ来るぞっ! 初午祭っ!」
「準備は完璧っ! 初午祭っ!」
「舞もバッチリ、初午祭っ!」
「男はつらいよ、初午祭っ!」
「ピースケさん、泣き言は言わないのっ! 男の子でしょっ!」
「はい」
「でも、何か楽しくなって来ましたよ。初午祭は盛り上がりそうだし」
「本当にぃ、もう、準備万端、完璧なんですよぉ。後はぁ、お客さん次第なんですよぉ」
「あっ! すっかり、忘れていた……お客さん次第で、私の運命が決まりそうで怖いなぉ……」
めぐみは、紗耶香の言葉に『女難の相が出ている』と占い師に言われた事を思い出して落ち込んだ――
だが、その時、ひとりの女が喜多美神社の鳥居をくぐった。着物姿のその女は、身長百六十七センチ程で、丸い大きな背中で顔も大きく、確りと大きく横に張り出したエラのせいで将棋の駒の様な輪郭だった。つぶらな瞳は黒目がちで優しく、V字型の頬骨と丸く大きな小鼻が団子鼻を際立たせていた――
「御免下さい。お尋ねしたいのですが、此方に鯉乃めぐみさんと云う方はいらっしゃいますか?」
「はい。あの、失礼ですけど、御用件は?」
「昨日、私の妹が此方で大変失礼な事をしたと聞きまして、そのお詫びに参りました」
「お詫びですか? 少々お待ち下さい」
典子は授与所を出て、めぐみを呼んだ――
「めぐみさぁ――ん、めぐみさんっ!」
「はぁ。典子さん、どうかしましたか?」
「面会よ」
「はぁい? 誰だろう?」
めぐみは授与所の前で静かに佇む女に声を掛けた――
「あのぉ。私が鯉乃めぐみですけど……どちら様ですか?」
「初めまして、こんにちは。申し遅れましたが、私は木花咲耶姫の姉の岩長姫です。地上名は岩永美世と申します」
「あぁ……お姉さん迄、出て来ちゃったのかぁ、しかも、地上名が有るなんて、参ったなぁ。ちなみに……御用件は?」
「昨日は妹が失礼な態度で、めぐみさんに大変な御迷惑をお掛けしたと聞及び、取る物も取りあえず、そのお詫びにやって参りました」
「いやいや、本人が来るならまだしも、お姉さんがお詫びだなんて、とんでも有りませんよぉ。でも、木花咲耶姫に、意地悪だけは勘弁して下さいとお伝え下さい」
「意地悪? まぁ、妹がそんな事を?」
「はい。正々堂々と私の眼を見て『意地悪をしますっ!』と宣言されまして……」
「困ったものです。どうかお許し下さいませ」
美世はそう言うと、玉砂利に膝を突き、五指を揃えた手をついて謝った――
「あぁ、そんなそんな。止めて下さい、どうか、お顔を上げて下さい」
「有難う御座います」
「いや、こんなペーペーの女神に美世さん程の女神が手をついて謝るなんて、むしろ恐縮です。姉妹と言えども、こんなにも違うものですかねぇ」
「めぐみさん、もしや……それは、見た目の事ですか?」
「えっ! 違います違いますっ! 見た目では無く、中身の話ですっ! あんな妖精のような美しさでありながら底意地の悪い木花咲耶姫と美世さんでは……アレ?」
「うふふ。良いんですよ、めぐみさん。岩山みたいな身体つきで、頬骨は出っ張り、エラが張り過ぎた私ですから、自然と妹と比較されて、何時も悲しい思いをしておりました」
「人の痛みと云うか……神の痛みが分かる女神様なんですね。女神の中の女神は美世さんの方ですよ」
「妹の意地悪は父の遺伝と言えましょう……」
「あぁ。言っては何ですけどぉ、父上の大山津見神って酷いですよね? 瓊瓊杵尊に木花咲耶姫のついでに姉もヨロッ! って押し付けて、突き返されたら『岩長姫も一緒に娶っていればあなたの子孫の人間たちは岩のように長い寿命を持つようになったでしょうに、木花咲耶姫だけでしたら、花のように短い寿命になってしまいますよ。ざまぁ』って。最初に言えやっ! 後出しで嫌がらせって、本当に質が悪いですよぉ」
「妹があなたに意地悪をすると宣言したのも、父が鬼の求婚を受け入れながら、意地悪をして破断にしたせいなのです。妹はあなたが冥府のプリンスと契りを結んだと云う事を羨ましく思うと同時に、口惜しいのです」
「マジですか?」
「はい。父は『一夜で岩の御殿を造れたら木花咲耶姫をやろう』と言ったのです。純情で一本気な鬼は、それはそれは喜んで、一晩中、一心不乱に働き『鬼の岩屋』と呼ばれる古墳を造り上げたのです。ですが、一晩中働き続けた鬼は、その疲れからうたた寝を始めてしまい、父は寝ている間に岩屋の石を一つ抜いて遠くに放り投げて『出来てねぇなぁ。この岩屋は石が一つ足らないぞ。鬼はしょせん鬼かぁ、ダメだな。話にならねぇっ! 娘はやれんっ!』と言って破断にしたせいなのですから」
「酷いですねぇ。そりゃぁ、木花咲耶姫も怒るよ。でも、だからと言って、その怒りを私に向けられても困るんで、そこんとこヨロシクおなしゃぁ―――すっ!」
めぐみは木花咲耶姫の複雑な家庭の事情を知らなかったので、美世がきっちり話をすれば怒りも収まり、意地悪もしなくなるだろうと思っていた――
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