『あの花』じゃなくて、この花!
喜多美神社は神聖な空気と静寂に包まれていた――
「二月は去るっ! 初午祭っ!」
「目が回りますぅ、初午祭っ!」
「私は一杯、珠美が怖いっ!」
「めぐみさん、お後がよろしくないの。二月の初めの午の日は五穀豊穣、家内安全、畜産奨励、厄払いを祈願する初午祭です。皆さん確りと舞のリハをお願いねっ!」
「はぁい」
「はいっ!」
めぐみは、初午の日が十日であり、珠美とバッティングする事を心配していた――
「紗耶香さん。初午祭の日って、珠美が来ると思うんですけど?」
「そうなんですよぉっ! でもぉ、典子さんがぁ、初午祭が賑やかになってぇ、盛り上がるって、言うんですよぉ」
「盛り上がり過ぎる悪寒が……」
めぐみは典子の指導で紗耶香と舞のリハを終え、初午祭の段取りの確認済ませた。そして、拝殿の前を掃除している時、背後に何やら気配を感じた――
「ん?」
振り返って、参道の方を見渡すと誰も居ない――
「おっかしいなぁ……妙な気配を感じるよ」
再び竹箒を握りしめ掃除を始めると、やはり何か気配を感じる。サッと振り返り辺りを確認すると、やはり誰も居ない。気のせいだと思っても気になって仕方が無かった――
「姿が見えない……誰も居ないんだよなぁ」
その時、めぐみは狛犬のアッチャンとウッチャンが尻尾を振るのを見て確信した――
「誰かいるなっ!」
‶ ひゅ――――――――っ ひゅ――――――――っ ひゅ――――――――っ ひゅ――――――――っ ″
「風の音だけが聞こえる……」
目を閉じて、耳を澄ました――
‶ ひゅ――――――――っ ひゅ――――――――っ ひゅ――――――――っ ひゅ――――――――っ ひゅっ ひゅっ ひゅ――――――――っ ひゅっ! ″
全神経を集中させると、微かな風切り音を聞き取った――
「動いたっ! 只ならぬ気配を感じるっ!」
すると、気配の主が、めぐみの肩をトントンと叩いた――
「あの。そうじゃなくて、もう既に目の前に居ますけど?」
その声に驚いて目を開けると、目の前に美しい妖精の様な女が居た。抱き締めたら壊れてしまいそうな小さな肩にほっそりとした体つき、色白で弥生顔の神々しいそのルックスに思わず息を飲んだ。しかし、何よりもめぐみを脅かせたのは、鼻と鼻がキスするくらい近い距離に居た事だった――
「うわぁっ!」
「驚かせてしまったかしら? 御免なさいね。うふふふ」
「あなたは……?」
「私? 誰だか当ててみて。うふふふ」
「え? 誰って言われても……」
めぐみは、武道の心得から常に自分の間合いを取る習慣が有った。だが、音も無く姿も見せず、一瞬で懐に入り、唇を奪う事さえ容易な距離に間合いを詰めたその女が人間ではない事を確信した――
「分からないかしら? うふふふ」
‶ シャララ――――――――ン、クルクルッ、キラキラキラ――――――ンッ! ″
「そんなポーズを決められても、さっぱり分かんね」
「鈍い人ねぇ、あなたって。分かるでしょう? うふふふ」
「うーん、人間でない事は分りましたが、神様ゆーても、八百万ってぇくらいですからねぇ……」
「日本人なら誰でも知っているアレよ。ア・レ」
「いやぁ、そんなの、在り過ぎて分かりませんよぉ……」
「じゃあ、ヒントね。日本一のぉ、立派なア・レよ」
「日本一なんて、八百万と同じくらい沢山有るんですけど……」
「じゃあ、もうひとつヒントね。春になったら綺麗なお花が咲くでしょ? それの事よ。うふふふ」
「春? 花? 花の名前と言われても……知らないんですよ、あの日見たあの花の名前さえ私はまだ知らないので……って、分かったっ!『あの花』と云えば聖地巡礼、秩父の三峰神社って事は……」
「はぁ? あんたバカぁ? 呆れた。つねっ!」
「痛いっ! つねったでしょ?」
「つねっ、つねっ、つねっ、つねっ!」
「痛いっ、痛いっ、痛いっ、痛いっ! 止めて下さいよぉ」
「仕方が無いから、もうひとつだけヒントをあげる。あの花じゃなくて、コ・ノ・ハ・ナ。此処まで言えばもう分かるでしょ? うふふふふふ」
「さぁ……」
「だからぁ、この花咲くかなぁ? 咲かないっかなぁ……みたいな?」
「咲かないんだったら……何でしょう? さっぱり????」
「私はぁっ、木花咲耶姫っ!『竹取物語』の主人公のかぐや姫のモデルともされ、山の神、大山津見神の娘よっ! で、天照大神の孫の瓊瓊杵尊と結婚してから、子授け安産、農業や漁業のご利益、酒造業の守護神としても信仰されている、知らない者が無い超有名で、超重要な、女神の中の女神よっ!」
「あぁ。ねぇ……お綺麗ですもんねぇ……」
「フッ。どうやらその目は節穴ではない様ね。私のこの美貌は生まれた時からよ」
「誰も整形だなんて、言ってませんよ……」
「知ってる? 鬼さえ私に求婚したのよ。でも、その縁談は……父が壊したっ!」
「ん? そんなセンチメンタルなムードを醸し出されましても、私には何の事やら……」
「とぼけても駄目よ。あなた。冥府のプリンスと契りを結んだでしょう?」
「あっ、いやっ、あれは形式的な物でして……」
「はぁ? あんたって、本当に馬鹿ぁ? 契りは形式に決まっているでしょ? 婚姻届けも離婚届も出生届も全部型式なの、君に届け、天まで届けって話」
「いや、そんな深い意味は無いんですけど」
「深いか浅いか関係無いのっ! あなた、女神のランクではペーペーの癖に、地上に来てからやりたい放題でしょ? どう云う事?」
「いや、あのですね。出たとこ勝負の成り行きまかせで、こうなってしまっただけでして……」
「お黙りなさいっ! 空前絶後の美貌を持つこの私が、どれほどの苦労をしてると思ているのっ! それを、あなたと云う人は、そこそこまぁまぁ程度のルックスで、天真爛漫、自由奔放、純真無垢、寝転がっても幸福が転がり込んで来て、八百万の神々の欲しい物を軽々と手中に収めるだなんて……許せないわっ!」
「あ、嫉妬からの――ぉ、逆恨みですね。分かります」
「そうよ。jealous! jesusじゃないわよっ!」
「そんなに怒らなくても……私も困っているんですから」
「嘘吐きっ! あ―ぁ、もう私やってられないなぁ。噴火しちゃおっかなぁ……富士山っ!」
「御冗談を……そんな、恐ろしい事は止めて下さい」
「冗談なんかじゃないわよっ! ねぇ、あなた話聞いてる?『冗談じゃない』って言いたいのは、こっちの方なのよっ!」
「あわわわ……」
めぐみは初午祭を前に宣戦布告をして来た木花咲耶姫に太刀打ちが出来なかった――
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