恋する乙女は後には引けない!
管理棟の先に二階建てのプレハブが有り、一階が事務所で二階が作業員の詰め所になっていて、仕出しの弁当が用意してあった――
美織に続いて中に入ると「お疲れー!」「お疲れ様です」「ご苦労さんっ」と色んな声が聞こえて賑やかだった――
「新入り! 座る所、間違えると椅子ごと蹴っ飛ばされるから、気を付けろよ!」
「そのお姉ちゃんに〆られて、午前中で居なくなった奴が何人居るか知ってるか?」
「三十人じゃあ利かねぇよな!」
「百人は確実よぅ」
「一番、酷ぇのは、お前ぇ、朝礼が終わたら居なくなっていたらからなっ!」
「がっははは――!」
一同が大爆笑すると、美織の表情が般若の様になり、ひとりの作業員がヤバいと思って目配せをした――
「うっせー! テメーら無駄口聞いてる暇あんのか! さっさと食って仕事しろっ!」
そう言い返すと思って身構えた――
すると、美織が優しく微笑んだ――
「やだー、冗談ばかり言って、もうっ! 耕太君、おじさん達は気にしないでね。ふふっ。耕太君、業者の人がココに置いてくれるから、こっちが御飯でこっちがオカズね。お茶はあそこでぇ、湯飲みは使い終わったらココねっ! ふふっ」
それを聞いた作業員達は、箸を落とし、咀嚼を止め、注いだお茶が湯飲みから溢れていた――
仲良くふたりで並んで、美織が自分のオカズをあげたり、楽しそうに食事をしているのを茫然と眺めていた。
「耕太君」「ふふっ」と言った美織に衝撃を受けていると、現場監督が事務所から上がって来た――
「みんな、食事しながら聞いてくれ。先月の事故の影響で路面の打ち替えと、ラインの引き換えが大幅に遅れている事は承知の通りだ、ズレ込んだ分を今日中にやる事になったから、そのつもりでなっ! 夜間との引継ぎ頼んだぞ! くれぐれも、事故の無いように! 美織とお前は、先に行って車線規制をしてくれ」
「はいっ! 分かりました監督。直ぐに現場に向かいます」
「良い返事だなぁー。 聞いたか、お前ら! 若人を見習えよ!」
「はーい、分かりましたぁー、監督」
現場監督は頷くと、出掛ける美織と耕太に言った――
「お前ら二人、お似合いだから付き合っちゃえよ、なぁ。ヤっちゃいな! おっ?」
美織の頬が真っ赤に染まった――
「監督、からかわないで下さい! 美織さん、行きましょう!」
恋に落ちた美織は、いつの間にか耕太にリードされていた――
現場に到着すると、美織は段取りと手順を教え、耕太も一生懸命に働いたため、作業は順調に進んだ。
美織は耕太の作業の指導と確認をしつつ、自分の作業も同時にしていた。そして、パイロン・コーンの位置を変えながら耕太に次の作業の指示を出した時だった。
黒いスポーツ・カーが走行車線から強引な追い越しをしてパイロンを弾き飛ばし、耕太の方を向いていた美緒に向って飛んで来た。
耕太は思わず叫んだ――
「危ない! 後ろっ!」
美織は耕太の声に危険を察知して、振り返らずに思い切り横に飛んだ。
パイロンが右肩をかすめて飛んで行くのが見えた――
ゆっくりと景色が傾いて行った――
耕太が視界に飛び込んで来た――
路面に倒れる自分の身体を支えて守ってくれた――
一瞬でも唇まで十五センチだった――
耕太が何か言っているが聞こえない――
自分が守られている事が嬉しくて言葉が出なかった――
「美織さん! 大丈夫ですか! しっかりして下さい!」
美織はしっかりしていた。もう少しだけ、耕太の腕の中に居たかった――
作業を終えて夜間作業員に引き継ぎを済ませると、後片付けをして送迎のバンを待っていた。美織は何時も後部座席に座るのだが、最後に新人が皆の道具入れを積み込むのが習慣だったので、耕太の指導のために前列に乗る事にした――
運転席の真後ろに耕太とふたりで座ると、普段は疲れて眠る事が多かったが、耕太が気になり、眠るどころか目を合わせる事も出来ず、黙って外を見ていた――
車窓から見える瞬き始めた星達と、明かりが灯り始めた家並み。残光の景色の美しさに新鮮な驚きを感じていた――
「仕事帰りに景色を眺める事なんて、今まで一度も無かったな……」
そう呟くと、過ぎ去って行く景色と夜になって行く色彩を無心で眺め続けていた――
車は高速道路から一般道に降りると作業員を最寄りの駅で降ろしたり、自宅の近くで降ろしたりする度に耕太が降りて道具入れを渡していた。
そして、いつしか二人だけになり、美織はふたりで広い後席に移って、お礼を言った。
「さっきは、悪かったな、私のせいで……お陰で怪我しなくて済んだからさぁ……サンキュ」
耕太は気にもしていなかった――
「当然の事ですから。でも、美織さん、あのタイミングで振り向いたら直撃でしたよ。振り向かずに横に飛んだのは驚きましたよ、判断が良かったから怪我をしなかったんですよ」
美織は思いが止められなかった――
「耕太君が支えてくれたお陰だよ。お礼に飯でもどう? あたいが奢るよ」
そう言うと無情にも車は終点に到着して、ふたりは車を降り、ドライバーにお礼を言って車を見送ると、耕太はにっこりと笑った――
「お礼の必要なんてありませんよ! また今度……お疲れさまでした、失礼します!」
「お疲れ!」
美織は耕太の後ろ姿を見送り立ち竦んでいた――
そして、恋に落ちた美織をミニバイクに乗った少年が睨んでいた――