瞼の父、帰る。
瞼を閉じて深い溜息を吐いて、素戔嗚尊は語り始めた――
「あの日、めぐみちゃんが死ぬはずの者の縁を結んで助けた事を、冥府では『天の国の神様が、哀れな人間のために、神様としての地位を投げ捨てて行った、愛情溢れる勇敢な行為』としてヒロイックに語られておるのじゃ……」
「あら? 以外に冥府の住人の方が、私の理解者だったりなんかして」
「天の国にも、地上にも理解者はおるぞっ!」
「ねぇ、ちょっと。でも、それが……何で?」
「うむ。実はその死傷者三十七名の中に、死神によって冥府に連行される者が八名おったんじゃ」
「あっ! それは、ヤバい……」
「いやいや。その八名の道連れに二十九名が天の国に行くシナリオじゃったのだから、冥府の住人達も心が痛んだんじゃよ。それ以後、めぐみちゃんはアイドルを超えたスーパー・ヒロインになったんじゃよ」
「はぁ……」
「めぐみちゃんが心配しなくても良いのじゃよ。その八名の命を、今も死神は狙っておるのじゃ」
「あぁ、良かった。私の責任だから何とかしろって言われたら、もう、ウンザリだよぉ。大体、冥府でスーパー・ヒロインだなんて……意味無いじゃん」
「僕はその『運命の日』の事は知らないけど、死神は死ぬはずの八名の命を奪う事など容易いのでは有りませんか?」
「チッチッチ。駿ちゃん。そう簡単では無いんじゃ。何故なら人間は人の生き血を啜ってのし上がった者を成功者とか、カリスマとか言って持て囃すじゃろ?」
「つまり、搾取している人間が、その利益で広告代理店を使って自分を高く評価させている一方で、搾取されている側の人間が崇拝していると?」
「うむ」
「確かに。津村武史もカリスマ社長なんて言われていたんだよね。そう云えば『年俸数十億のスポーツ選手を貧乏人が応援しているのって変くね?』『頑張らなきゃなんねぇのは、オメーの方だろーがっ!』って、七海ちゃんが言っていたなぁ……」
「まぁ、死神は、その八名の命を狙うアサシンとなって、地上で暗躍している最中と云う訳なんじゃ」
「そんなに手強い八名の者が居るとは驚きだなぁ……」
「善人を人質に生きておるからのぅ……南方武がブチ切れるのも無理からぬ事よ」
「社畜化している人間にとっては悲劇と云う事なんですね……」
「めぐみちゃん。死神に何か困った事が有ったなら、助けてやると良いぞ」
「かぁ――――っ! 助けて欲しいのは、こっちの方よっ!」
素戔嗚尊は、ふたりの湯飲みに新しいお茶を注ぐと、急須を持って中へ入って行った――
「こうしてはいられないっ! 七海ちゃんとお父さんの関係がどうなるか、見届けなくては行けないよ」
「あぁ……確かに。ちょっと不安では有るのだけれど……でも、親子だし。お互いに求め合うって感じだと思うけど?」
駿は『めぐみと死神の物語』を聞いて異世界恋愛譚を思い付き、新作のネタにしようと企み、めぐみは全てを詳らかに話したフリをしながらファースト・キッスの事は隠し通した事に安堵していた――
―― 七海のアパートにて
七海は、一生分泣いたと云わんがばかりに目を泣き腫らし、声は枯れ、泣き疲れてぐったりとしていた――
「母ちゃん……心配ばかり掛けてゴメンゴ……死んじまったら。親孝行も何も出来ゃしないよぉ……ぐっすん」
そこに、死んだはずの由紀恵が、良仁を連れてスキップで帰って来た――
「ただいまぁ――っ! 七海、心配掛けてゴメンねっ!」
「おうっ! 七海っ! 今、帰ったぜっ!」
七海は事態が飲み込めず、絶句した――
「しっかし、チンケなアパートだなぁ。おいっ!」
「まぁ。あなた、親子ふたりでコレでも精一杯だったんですよ」
「お――っと、済まねぇ。こんなボロアパートに住む羽目になったのも、もとはと云えば、この俺が死んじまったせいだもんなぁ」
「…………」
「おぅっ! 何だ何だ、七海っ! この俺が帰って来た以上、こんなボロアパートはサッサと出て行って、リッチなタワ・マンか、そうさなぁ……世田谷辺りで一戸建てか?」
「えぇ、ウッソぉ、ホントにぃ? 由紀恵はぁ、嬉しい、ぞっと!」
「由紀恵のためなら、家の一軒や二軒、お安い御用だっ! あっはっは」
由紀恵と良仁のテンションが上がれば上がる程、対照的に七海の沈黙は深くなって行った。そして、とうとう七海が感情を爆発させた――
「出て行けっ! お前なんか知るかっ! クソ親父っ!」
「七海、お前、気は確かかい? あんなに会いたがっていた父親が目の前に居ると云うのに……どうして?」
「こんなオッサン知らねぇっつーのっ!」
「オッサンって‥‥‥七海、俺の事を覚えていないのかい? お前の父ちゃんの良仁だよ……」
七海はプイと横を向いてしまった――
「そうかい、覚えちゃいねぇのか。子供の頃の事なんだ、無理も無い……外洋に航海に出て家には殆ど居なかったし、ろくに思い出さえ無かったもんなぁ……でもよっ、これからは違うぜ、皆で食事に行ったり、旅行に行ったり、いっぱい思い出を作れるんだぜ?」
「ちげえ――よっ! あんたは、あっシの父ちゃんなんかじゃないっ! あっシの父ちゃんは、もっと、もっと、もっと、ず――っと、カッケーんだよっ!」
七海の思い出補正はかなり重症だった――
「おいっ、俺は死んだ時のまま歳を取ってないんだぜ? そんなに格好悪い父ちゃんじゃ無いはずなんだけどなぁ……由紀恵、俺、何か変か?」
「ううん、あなたはあの時のまんま。うらやま。カッケーと思うよ?」
「あんだおっ! 母ちゃんまで、死んだと思ったら、こんな変な男連れ込んで、七海がグレても良いのっ!」
由紀恵も良仁も七海が十二分にグレていたことを知っていたし、今は社会人として軌道修正している真っ最中だったので、余計な事は言えずに黙った――
「あっシは、こうして上の瞼と下の瞼を合せ、じっと考えてりゃあ、逢わねえ昔のお父ちゃんの面影が出てくるんだお。それで良いんよ、逢いたくなったら、あっシは眼をつぶるんよ……」
良仁は昔、七海を連れて芝居見物に行った演目から『おぉ、番場の忠太郎だなっ!』と膝を叩いた――
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