あの日見た流星。
―― 午前十一時 駿のマンション
その日、駿の朝は遅かった。終わりの見えない南方との戦いが終結した事で、久しぶりに明け方まで原稿を書き、眠りに落ちていた――
‶ ピンポン、ピンポン、ピンポ―――ンッ! ″
「ふぁあ、……うぅん、誰だよ、こんな時間に……昼過ぎまでゆっくり眠れると思っていたのに」
インターホンに映っていたのは編集者だった――
「先生、お早う御座います。丸川書店の内村です。原稿を頂きに参りました」
「はい。今、開けますので上がって来て下さい」
駿は、何時もオン・ラインでやり取りしている担当者が直接、原稿を取りに来た事に嫌な予感がした――
「先生、お早う御座います。」
「お早う御座います。どうぞお上がり下さい」
「失礼しまぁ――す」
駿は大急ぎで顔を洗い歯を磨き、その間にお湯を沸かしていた――
「内村さんが直接来るなんて。何か有ったのですか?」
「えぇ、まぁ、今後についてちょっとお話がありまして」
「そうですか。今、お茶を淹れますが……玉露とアールグレイと何方になさいますか?」
「あぁ。そうですね、アールグレイで」
内村は心の中で『美味しいお茶なんかで誤魔化されないぞ』と思っていた。『今日こそは言うべき事を言う』と心に誓っていた――
「どうぞ」
「有難う御座います。うわ――ぁ、良い香りだぁ。これは青山のあのお店の?」
「そうです。お気に入りなんです」
「あぁ、素晴らしい香り、なんて美味しいんだぁ!」
「良かったらスコーンもどうぞ。北海道乳の生クリームにマスカルポーネを混ぜてありますから、ブルーベリーのジャムと相性が抜群ですよ。アールグレイにとても合いますよ」
「ほほう、どれどれ。いただきます。うぅ――――んっ、美味しいっ! 甘みと酸味のハーモニーが素晴らしい。そして紅茶を一口。うーんっ、最高の相性ですよっ! 口中の甘さを無粋に洗い流す様な紅茶とは訳が違うっ! 素晴らしい四重奏を聴いているが如く、心の奥の深くまで静かに染み入りますなぁ……」
「気に入って頂けて良かったです」
「いやぁ、最高ですよ。至福の時間ですな……って、違う、違う、違う、違う、違う、違ぁ――――――うっ! 先生、私は騙されませんよっ!」
「騙すだなんて、人聞きの悪い事を……」
「いいえ。先生、今日と云う今日はハッキリと言わせて頂きますよ」
「あ、はい。どうぞ」
「先生の作品のPVが激減しておりますっ! これじゃぁ、連載打ち切りになりますよっ!」
「そうなんですか? 残念ですが、仕方ありませんね。内村さんには此れ迄、色々お世話になりました。丸川書店の皆様に貴重な機会を頂いた事を感謝申し上げます。本当に有難う座いました」
「いえいえ、こちらこそ本当に……って、違う、違う、違う、違ぁ――――――うっ! 先生、書籍化してベストセラーになった作品ですよ? 三百万部ですよ? それが今や風前の灯火なんですよ? 悔しく無いですか? 悔しいでしょうよっ! 私はコレまで生きて来て、これ程、悔しい事は有りませんよ」
「ふむ。そうは言っても、こればかりは読者の選択ですからね」
「そんな冷静に、諦めないで下さいよっ! 今『読者の選択』って言った後、ふと洗濯物を見たでしょ? 私の目は誤魔化せませんよ。直ぐに『おもろげ』にする、それがダメなんですよっ! 」
「いや、ちょっと、洗濯物が溜まっていて。今日は、ほら、良い天気じゃないですか? 綺麗な青空と、冷たい新鮮な空気が、ひとりの暮らしの身にはどうしても……」
「ん? そのフレーズ良いですね……ちょっ、先生っ! 一体、どうしたと云うのですか? あれ程、素戔嗚尊ブームを巻き起こして『社会現象』とさえ言われていたと云うのに、情けないっ! 小生も『新たな作家を発掘する敏腕スコッパー』と言われてTV取材まで受けた事を昨日の事の様に思い出しますよ」
「思い出すほど遠い昔の事では無く、最近の事ですから。あぁ! 分かった。内村さんは社内で虐めでも受けているのではありませんか? 図星でしょう? でも『時代の寵児』と持ち上げてから叩くのは出版業界の得意技では有りませんか? 気にしないで下さいよ」
「いいえ、気にしますよ。大いに気にしますよ。先生、失礼ですけど……悪い女でも居るんじゃないですか?」
「僕が悪い女と付き合っていると?」
内村は駿の表情が曇り、醒めた眼差しになったのを見逃さなかった――
「ふーむ。先生、作家のタッチが変わるのは『女』の影響が大きいのです。だから、カマを掛けただけですよ。失礼な事を言って済みません。どうやら、そういう女は居ないようですねぇ……だとすると、一体、何が有ったのですか?」
「何って……」
「いやいや、とぼけないで下さいよ。あれ程の人気の大ベストセラー、それが今じゃぁ……」
「内村さん。そんなにPVが下がっているんですか?」
「はい。読者は離れ続けて、危険水域を超え、もうオワコンだと編集長は言っていますよ」
「僕には心当たりが無いのですが、どうしてそんな事に?」
「はぁ? どうしてって、決まっているじゃないですかっ! 読者は緊張感の有るスペクタクルと、手に汗握る展開のスパイスにロマンスを絡ませ、神話の世界観にガッチリ引き込んで最後は感動のラストっ! 涙が止まりませんでしたよ……」
「うーん。まぁ、それは、素戔嗚尊の物語を最大限美化して盛りに盛りまくった結果ですからねぇ……」
「だぁ、かぁ、らぁ――っ! 盛りに盛りまくって、盛り上げて下さいよっ! 黒澤映画が突然、小津安二郎になったらどうします? 読者は戸惑いますよ。えぇ、そりゃあもう、期待している物が違うんですから」
「お言葉ですけど、人生にそんなスペクタクルなんて無いじゃないですか? かの喜劇王が言う様に、クローズ・アップでは悲劇でも、ロング・ショットでは喜劇だって」
「ですから、喜劇じゃ困るんですよっ! 以前の様にクローズアップで読者を喜ばせて下さいと申し上げているのです。分かっているじゃないですか。先生、読者の期待を裏切らないで下さい。何でも『おもろげ』にするのは止めて下さい」
「でもねぇ、内村さん。どんな命懸けの戦いも、戦わない人から見れば間抜けな物ですし、そう云う、何て言うのかなぁ……人生は争そったり傷付け合う物ではなくて、楽しいものだと伝えたいのです」
内村は駿に影響を与えた誰かが居る事を感じていた。そして、駿の言葉をヒントに広告戦略を変更する事を考え始めていた――
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