夢から醒めて見た幻。
天に上っためぐみは、神官に太刀の返却をした――
「ありがとうございました。小烏丸をお返し致します」
神官は感嘆していた――
「鯉乃めぐみ様! いやぁ、お見事でした! 小烏丸の使い手として天の国に、その名を刻みましたぞ! あっぱれ、あっぱれ!」
「いやぁ……まだまだ、未熟者ですから……」
「はぁ~怖い怖い。首を打ち落とすなんて、よもやよもやで御座いますぅー」
「うわぁ! 衣擦れの音も足音も無く突然現れるなんて、貴方たちの方が怖いわよ!」
「きゃぁーははっ! でも、めぐみ様の地上での今後のご活躍を心より応援しておりますわぁー」
「まだ、分からないけど、きっと良い結果になると……人間を信じているの」
双子の巫女は御札と御守りを渡して「にっこにっこ」と笑うと、冷たい甘酒をお盆に乗せて差し出した――
めぐみは甘酒を「すっ」と飲み干した――
「ふぅーっ、旨い! やっぱ、これだねっ! ありがとう」
神官と双子の巫女に見送られて、めぐみは軌道エレベーターで地上へ向かった――
地上では丁度、大家が目を覚ます頃だった。
「キンコン! キンコン! カーン!」「キンコン! キンコン! カーン!」
軽やかな目覚まし音に、何時に無くスッキリと目覚めた。それもそのはず、悪夢の事も首を打ち落とされた事もすっかり忘れ去っていた。ベッドから起き上がり洗面所へ向かうと、台所から音が聞こえ、それと共に、良い香りがした――
「あっ、葉子か、おはよう。今日は早いじゃないか?」
「慎二さん、朝食の支度が出来てますから、顔を洗って下さい」
「ああ、直ぐだから。ありがとう!」
葉子は自分の耳を疑った――
慎二は食卓に着くと「豆腐の味噌汁がとてもおいしいよ。煮物が旨いね。卵焼きの甘さが堪えられないね!」と饒舌に手料理を誉めたので更に耳を疑った。
葉子は恐る恐る尋ねた――
「ねぇ、慎二さん、どうかしたの?」
「ん? 何が」
「だって、『ありがとう』なんて、言った事が無いでしょう? それに『食事中は喋るな! はしたないからダメ、ゼッタイ!』そう言っていたじゃないの」
慎二は大きな声で笑った――
「家族のために、何時も美味しいご飯を拵えてくれる君には本当に感謝しているよ。『ありがとう』って言うのは当たり前だろ? それに、刑務所じゃあるまいし朝の会話くらい良いじゃないか、夫婦なんだし」
葉子は放心状態だった――
そして、食事を済ませて後片付けをしようとした時に目を疑った。慎二が自分の食器まで後片付けをしているのだ――
「ああ、美味しかった! ありがとう、葉子。後はやるから良いよ。君も忙しいのだろ? まだ居るなら私は先に出掛けるよ。鍵は忘れずにお願いね。あぁ、居たければ居たいだけ居て良いんだよ。此処は君の家なんだからね」
葉子は涙で滲んで慎二の顔が良く見えなかった――
「行ってらっしゃい!」
慎二は「行って来るよ」といって葉子の頬にキスをした――
コインランドリーに着くと早速、清掃を始めた。すると、めぐみが仕事に出掛ける前にあさイチで洗濯に来た――
「おはようございます。良いですか?」
「おはようございます。お早いですね、どうぞ、どうぞ。本日最初のお客様が女性だなんて、良い事が有るかな? はははっ」
「大家さん、愛菜未さんにリクルート・スーツを貰ったお陰で、就職が決まったんですよ!]
「それは良かった! おめでとう御座います。 やっぱり直ぐに良い事が有った!」
ふたりの笑い声は外まで聞こえる程だった――
めぐみは洗濯機を回すと、部屋に戻り御札とお守りを持って来た――
「大家さん、私の就職先は喜多美神社。巫女なんです。それで、この御札を神棚に、御守りを一体は奥様に渡して、ふたりで持っていて下さい」
慎二は有難い申し出に感謝した――
「驚いたなぁ、めぐみさんが、あの喜多美神社の巫女さんだなんて! 巫女さんが部屋を借りてくれるだなんて、本当に有り難い。しかも、御札にお守りまで授けて頂いて、ありがとう!」
慎二はめぐみから頂いた御札とお守りを持って、一旦、帰宅をする事にした――
途中で神棚にお祀りする榊を一対買って、上機嫌で帰宅すると「おかえりなさい」と葉子が出向かえてくれた。
「ただいま、君にお土産が有るんだよ。コインランドリーの上を借りてくれたお嬢さんが喜多美神社の巫女さんでね、御札と御守りを頂いたんだ」
慎二はそう言うと葉子にお守りを手渡した。そして、踏み台に乗って神棚に榊をお祀りして御札を置いた――
「ねえ、慎二さん、この御札は喜多美神社のではなくて……天の国大社御玉串とあるけど?」
慎二は気にも留めなかった――
「ああ、きっと特別な御札なんだよ」
そう言うと、躊躇なく中央にお祀りして、ふたりで手を合わせると、清々しい気持ちになった――
「さて、こうしてばかりはいられない、仕事に戻らなければ、じゃあ、後はよろしくね!」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
「帰って来た時に鍵を開けないで済みそうだね。夕飯の買い物は……しなくても大丈夫かな?」
「夕飯も、お風呂も入れておきますよ、あなたの妻なのだから。此処は私の家でしょ?」
「ありがとう。行ってくるよ」
慎二は葉子の頬にキスをした――
そして、玄関から一歩外に出た時だった。そこには白い小袖の上に千早を羽織り、頭には前天冠を着け、長い黒髪を後ろで絵元結にしためぐみが立っていた――
慎二はハッとして息を飲んだ。すると、めぐみの姿は一瞬で消えていた――
「幻か、今のは一体、何だったのだろう……」
慎二はその幻に「何か」を感じた――