至福の時間。
―― 一月四日 先勝 丁巳
関田は朝早く起きると、朝食を済ませて家を出て、バス停に向かっていた。国会図書館と神保町の古書店を回り、その後にW・S・U・Sを訪問する予定だった――
「ふぅ。朝食を食べすぎたかなぁ……お腹がいっぱいで苦しい。あの日以来、朝食は一品増えたし、夕食は三品増えた。女性というのは単純なものだ」
国会図書館は4日まで閉館だった――
「しまったっ! 新春早々、そそかっしい事を……とんだ勇み足だな。はっはっは。まぁ、良い。古書店でじっくり本を探すとしよう」
関田はその足で古本屋街に足を向けた――
「ふーん、何時もと同じ古本屋を何時もと同じ様に回るだけか……掘り出し物にはめったに出会えないなぁ……」
何時もの喫茶店で何時ものカレーを注文し、何時ものコーヒーを飲んだ――
「……はぁ。この時間が堪らなく良い。熊撃ち名人のマタギが獲物を探し求めて流離う様な……わたしにとって至福の時間、無上の喜びと言っても差し支えない。さてと、例え無駄足になろうと、根気良く探すとしよう……」
喫茶店を出て午後のルーチン・ワークで書店巡りをして大通りを歩いていると、脇の路地の奥に、小さな看板が見えた――
「おや? あんな所に書店が……確かあそこは取り壊しが決まった建物のはずだが……まぁ、良い。国会図書館で調べ物をする時間が無くなったのだし、ちょっと寄り道をして見るか」
その建物は木造で、何時もはガラスの引き戸が閉められ、コンパネ・べニヤとブルー・シートで覆われていて、老朽化が激しく、何時倒壊しても不思議ではなかったので、誰も近寄りはしなかった――
〝 ガラガラガラガラッ、ガラッ!″
「御免下さい」
「いらしゃいませ。どうぞ。ご覧になって下さいまし」
「有難う御座います……」
店主は、所狭しと並んだ本と、手入れをして商品化中の本の山の中で、まるで仙人の様な風貌で置き物の様に見えた。そして、時間が流れ、熱心に本を探す関田に突然、声を掛けた――
「お客様」
「はっ! ビックリしたぁ、すみません、すっかり時間を忘れて……」
「時間を忘れ、私が居る事も忘れていたのでしょう?」
「はっはっは……図星です」
「随分と熱心にお探しの様ですねぇ。どの様な御本をお探しか……差し支えなければこの爺に教えて下さいませんか?」
「はい、私は出雲の研究をしている関田正彦と申します。日本神話に関する本や、昔の風俗史・郷土史などを探しているのですが……」
「あぁ、それならば、その棚の上に……」
「いえいえ、もう殆ど持っていましてね。私自身、何冊も本を出しているもので。自分の著書が古書店で売られ、お薦めされる程なのです……」
「ほほう。そうでしたか。それならば、もう、お目当ての書物は何処の書店に行っても有りませんねぇ」
「はい。どうも、有難う御座いました。お邪魔しました。失礼します……」
関田は礼を言い、店を出ようと背を向けた時、店主が再び声を掛けた――
「お待ちなさい」
「え?」
「あなたが見た事も聞いた事も無い、珍しい本を案内して進ぜましょう」
「珍しい本とは……つまり、著者不明、時代不明の物でしょうか?」
「まぁまぁ。コッチヘ来て、お上がりなさい」
店主に案内され、店の奥の座敷に履き物を脱いで上がると、三冊の本を渡された。それは、本と言うより史料を千枚通しで紐で閉じた、まるでスラップ・ブックの様な お粗末な物で、関田は期待を裏切られたと思い肩を落とした。すると、店主がニヤリと笑った――
「落胆のご様子ですな。まぁ、見た目など、どうでもよろしい。中を良く御覧なさい」
関田はゲンナリしながら、本らしき物を開いた――
「あっ! こ、これはっ!」
「お気に召して頂けましたかな?」
そこには、大谷家とそれに関係した村人の事が克明に記されていた――
「コレですっ! これを探していたんですっ! ご主人、何故、こんな物を持っていらっしゃるのですか? どうか、お聞かせ願えませんか?」
「いやぁ、なぁに。長年、古書を取り扱っていると、いろんな伝手が出来るものです。日本神話の俗説、作り話として、史料性に乏しい、価値が無いと……誰も見向きもしない史料です……こうして、真実は歴史の闇に消え去って行くものなのです」
関田は店主の言葉に自分自身の行動を振り返り、あの日の出来事が無ければ手に取る事も無かったと思うと、ゾッとして鳥肌が立った――
「ゴクリッ。この本を私に下さい。お幾らでしょうか?」
「五千万円です」
「えっ……」
「は―っはっは。お代は結構ですよ。そこに記されている事を作り話では無く、真実として受け止める探求者を……その本は探していたのです」
「この本が……探していた……」
「さぁ、それをお持ちになって、どうぞお帰り下さい」
「御主人、何とお礼を言って良いのやら……このお礼は日を改めて出直して参ります。有難う御座いました」
関田は思い掛けない、お宝発見に小躍りしたい気分だった。だが、用事を思い出し先を急いだ――
―― W・S・U・Sにて
「御免下さい。あの……」
「イラッシャイマセ。ゴヨウケンヲ、ウケタマワリマス。ドウゾ、ナンナリト、オモウシツケ、クダサイ。タントウハ、ワタクシ。AIロボットノ、マックス。デス」
「ふーむ。科学技術の粋を集めて製作したロボットがお出迎えとは恐れ入ったな。こういった演出も研究費に影響するのだろう」
「ゴヨウケンヲ、ウケタマワリマス。ドウゾ、ナンナリト、オモウシツケクダサイ」
「あぁ、研究員の大和田健三君に面会をお願いします」
「ハイ、ウケタマワリマシタ。ショウショウ、オマチ、クダサイマセ」
AIロボットのマックスは顔と胸元がモニターになっており、通信中は目がクルクル回っていた――
「オマタセイタシマシタ。メンカイノ、リユウヲ、オキカセクダサイ」
「はい。昨年、大和田君に依頼した調査の報告をまだ聞いていません。直接、聞きに参りましたので、面会をお願いします」
「ハイ、ウケタマワリマシタ……ザンネンデスガ、オオワダハ、タダイマ、セキヲハズセマセン」
「そうですか、それでは此処で待たせて頂きます」
「ハイ、ウケタマワリマシタ……オオワダハ、タダイマ、シュッチョウチュウデ、フザイデス。マタノオコシヲ、オマチシテオリマス」
「今、席を外せないと言ったじゃないかっ! 出張中なら何時、戻るのですか?」
「ハイ、ウケタマワリマシタ……ゴクヒナノデ、オコタエスルコトガ、デキマセン」
「依頼した本人が来ているんですから、調査の進捗状況、若しくは何時、出張から戻るのか、連絡を貰えるのか、その位の事は言わなくてはいけませんよっ!」
「ハイ、ウケタマワリマシタ……モウシワケ、ゴザイマセン」
関田はAIロボットのポンコツぶりに、堪忍袋の緒が切れそうになっていた――
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