新たな日本神話の始まり。
朝食を済ませると、当主の案内で蔵の中の見学をした。衣装蔵に始まり、和鉄とたたらの資料蔵、そして、最後の蔵の中には蔵人の使う道具や杜氏の使う櫂が綺麗に手入れをされて並んでいて、大きな酒樽が幾つも有り目を見張った――
「八つの桶と酒樽。もしや……この樽の中には八岐大蛇の血液が……まさか、そんな事は……」
「御名答っ! いやぁ流石、東京のしぇんしぇーだ。これも何かの縁だらー、少しばかりだが、お土産に持って行きてごしなぃ」
当主は黒い四合瓶を取り出すと、慣れたもので、サッと枡で量って、じょうごで注ぎ入れた――
「親族以外で口にしたのは、しぇんしぇーだけだけん、誰にも内緒だよ」
関田は四合瓶に入れた八岐大蛇酒を持たされ、当主と奥方に重ね重ね礼を言って別れた。昨日の雪が嘘の様に空は快晴で、深夜から明方にかけて除雪作業がされた為、昼前には交通網は回復し、出雲空港に向かうと無事、機上の人となった――
「うーむ……しかし、俄には信じ難い。島根県に於いて大谷姓はありふれている……大谷家の御当主が大山津見神の子孫で名が大谷松実と云うのが気になる…………歴史的大発見を目の前にすると、人はこんなにも懐疑的になる物なのか……」
〝 皆様、只今、当機は東京国際空港羽田に着陸いたしました。これより八番ゲートに移動致します。シートベルト着用のサインが消える迄、シートベルトはそのままお締め下さい。後程、上の棚を開ける際は、思わずお荷物が滑り出る場合がございます、十分ご注意下さい。これより先、全ての電子機器が御利用頂けます。皆様、今日も、ワン・ワールド・アライアンス・メンバー、日本航空にお乗り下さいまして、有難う御座いました。お降りの際には、どうぞ携帯電話やお財布などの忘れ物を致しませんよう、お身の回り充分ご確認下さい。本日は御搭乗、有難う御座いました。東京は真冬日が続いております。どうぞ気温差などで体調をお崩しになりませんようにお過ごしください。またのご利用、心より待ち申し上げております ″
関田はケータイの電源を切っていた事すら忘れていて、機内アナウンスで気が付いて電源を入れると、妻からのメールで一杯だった――
「しまったっ! 連絡をすると言ったきり、寝込んでしまったからなぁ。はぁ、こりゃあ、家に帰ったら、こってり絞られそうだ……」
毎年『出雲の忘年会』に出席し、世話になった方々に挨拶回りをして、同時に調査をして帰るのが年末の恒例だった――
「ん? どう云う事だろう……真冬日だと言っていたが、寒さを殆ど感じない。八岐大蛇酒がまだ効いているのだろうか? そんな分け無いか。気のせいだろう。はっはっは」
帰宅すると、ニュースを観て心配していた妻はカンカンだったが、事情を説明し、新たな発見と八岐大蛇に飲ませた伝説の酒を御馳走になった話をすると、機嫌を直した――
「あっはっはっは、そんな風に揶揄われるなんて、あなたも軽く見られたものねぇ、うふふふっ。でも『日本神話の故郷プロジェクト』の方は如何でしたか? 随分、観光客が増えたみたいですけど?」
「あぁ、それなら前年対比で百八十パーセントの伸びだからね。首長も大喜びだよ」
「そう、成功して良かったわね。あら? あなた……これは何かしら? 私へのお土産?」
「あぁ、いやぁ、さっき話した大谷家秘蔵のお酒だよ。お土産にと渡されたんだ」
「なぁーんだ、お酒かぁ。出雲産オリーブオイルか、えごまオイルだったら良かったのに。ねぇ、あなた。もし、これが本当に八岐大蛇に飲ませたお酒だったら面白かったのに残念ねぇ。あっはっは、あぁー可笑しい。本当にそんな物が有ったとしたら、一体、何年古酒になるのかしらね? あっはっはっ、はっはっはっは-」
関田は、本当の事を話そうと喉まで出掛かったが『親族以外で口にしたのは、しぇんしぇーだけだけん、誰にも内緒だよ』という当主の言葉を思い出し、口を噤んだ。そして、何時もの様に二階の書斎に籠って調べ物を始めた――
「一体、どう云う事だろう……あの和鉄の製法に関する書物は楮紙では無かった……あの質感は今迄、触れた事の無いものだ……たとえ作り話と言えども、それを覆すだけの証拠が欲しい……」
書斎を出て階下に降りると、懇意にしている大学教授に電話を掛けた――
「あ、もしもし、岸田君。実は君に頼みたい事が有ってね。奈良時代以前の和紙に関してなのだが……」
「おう、関田君。歴史に関してなら君の方が詳しいでは無いか。どうしたと云うのだね?」
関田は昨日の夜の体験を話し、事情を説明した――
「そんな物は麻紙か斐紙に決まっているだろ。後に島根県八雲村の安部栄四郎が、雁皮紙づくりで人間国宝に認定されたくらいじゃないか。まぁ、後は最古の紙のひとつである灞橋紙位しか思いつかんなぁ……そんな事より、鰻よりも旨い、八岐大蛇のかば焼きを食してみたいものだなぁ。はっはっは」
「岸田君、ふざけている分けでは無いんだ。真面目に聞いているんだよ」
「そりゃあ、君。その書物とやらを持って来てくれれば分析はするよ。けどね、目の前に無い物の推論では限界が有るでは無いか。その、剣の欠片と砂鉄と、あー、覚え書きの様な物を持って来なさいよ」
関田は門外不出の家伝の品を持ち出す事は出来ないと諦め、黙り込んだ――
「ふーん、関田君。長年の付き合いだ、君が黙り込んだと云う事は、どうやら……相当、気になっている様だね? 門外不出と云うのなら、その門の中に行こうじゃないか。丁度、島根県人と鳥取県人のミトコンドリアを調査している若い研究者がいるから、君に紹介するよ」
「岸田君、本当かい? 大谷家の御当主からミトコンドリアの調査をしている学者が居ると聞いてはいたのだが……きっと、その人の事だろう」
「あぁ、そうだろう。そんな事を調査しているのは彼くらいだからね。いやーぁ、何の役にも立たない事を調べる奇人変人同士が出会うなんて、これもきっと出雲大社の御縁だろう。良かったではないか。あっはっはっ。はっはっはっは」
関田は研究者に紹介状を書いて渡し、調査の依頼をした。数日後、調査の結果が分かったが、家伝の品の時代を特定する事は出来なかった。しかし、時代を特定出来ない事こそが、本物の証明で有る事を関田は知っていた――
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