最後の晩餐。
祥介は湯船にゆっくりと浸かり、旅の疲れを落とした。そして、綺麗な服に着替えて寛いでいた――
「お嬢様、早く風呂に入って着替えて下せぇ、来賓が有るだよ、厨房は大忙しだぁよ」
「はい。分かりました」
「おいっ! ぼさっとしねぇで、お前ぇもさっさとシャワーを浴びて綺麗にするだよっ!」
「えぇっ! おいらは作業着だし、シャワーなんて浴びたところで、こんな格好じゃ……」
「バカタレっ! タキシード位、こっちで用意するから心配すんなっ!」
「たっ、た、タキシード??」
「偉い人が来るだよ。旦那様に食事に招待されるっちゅうのは、そう云う事だっ! ほれっ、早くしろっ!」
「へいっ!」
康平はボーダー・コリーに追い立てられる羊の様に、瞳に言われるままシャワーを浴びた――
「おぉっ! 馬子にも衣裳とはこの事だなぁ。おい、お前ぇ。中々、良い男っぷりだぞ。見違えただよ……とても、貧しい大工には見えねぇだよ。がっはっはっは」
「貧しいは余計だよっ! だけど瞳さん……おいら、晴れがましい席ってぇのは苦手なんだよ……」
「何をビビってんだっ! 背筋を伸ばせっ! 男だろっ! 立食パーティだから何となく周りに紛れていれば、気が付けば来賓は帰って行き、何時の間にか終わるから心配すんな」
「本当かい? それだったら……大丈夫そうだなぁ。まぁ、おいらも磨けば光る色男だからよ、招待客の可愛い子ちゃんにモテやしねぇか心配なくらいだ。なぁ、瞳さん」
「調子に乗るんじゃねぇ、おい、お前ぇ。その下品な喋りは禁止だ。おいらなんて言ったら承知しねぇぞ、旦那様とお嬢様に恥をかかせるような真似したら、ぶっ殺すどっ!」
「へい、分かりやした。瞳さん、怖えなぁ……」
「あんだとっ!?」
「はい、畏まりましたっ! 瞳様は怖いですねぇ……」
「うんだっ! その調子だ」
康平は人生で味わった事の無い緊張に震えていた。そして、次から次へショーファーの運転する車が到着し、ホールは人で一杯になって行った――
「ど、どうしよう、おらはこんなに大勢の食事は用意してねぇだ、全然、足りねぇぞっ……」
瞳が狼狽している姿を見て康平の緊張も頂点に達していた。そこに、作業着から着替え、髪にはティアラを付け、ローブ・デコルテにオペラ・グローブをした麗華が降りて来た
「瞳さん、御心配無く。帝都ホテルのシェフ数名とスタッフが既に厨房に入っています。父上が全て手配をしていたのです」
「そりゃぁ、良かっただぁ。旦那様はおらに気を使ってケータリングを頼んでくれただなぁ。有り難てぇ事ですだ。しかし、お嬢様……今夜は一段と美しいだよ……」
「おいらも……もとい、ぼ、僕もそう思います。まるで、お姫様の様で……輝くお月様か太陽か……いや、それ以上に輝いています」
「まぁ、嬉しいわ。おふたりにそんなに賞賛されるなんて。うふふふっ」
祥介の帰国の挨拶で立食パーティーが始まると、ホールはクラシックの演奏で賑やかになり、明るい笑い声が響いた。挨拶を交わし、意見交換をする者が居るかと思えば、隣のダイニングルームで、しっかりとしたディナーをする者も居た――
「なぁ、瞳さん。これが社交界ってぇ奴かよ? どいつもこいつも金持ちだなぁ、しかも、賢そうなお坊ちゃんばかりだぜ」
「これっ! 品のねぇ言葉使いに戻ってるだ。あのハンサムでスマートな男性達は皆、麗華お嬢様の花婿候補だ。お前ぇのライバルだど」
「花婿? ライバル? よしてくれよ。おいらはとても候補になんかなれねぇよ。そこまで身の程知らずじゃねぇって……」
「バカタレっ! お前ぇはお嬢様を盗られても良いだか? 負けちゃぁなんねぇだよっ!」
康平は祥介と一緒に挨拶をしたり談笑する麗華を眺めていた――
「お嬢様は最愛の人……おいらが初めて心の底から愛した人だ……だけどよ、知性も教養も金も有る社会的地位の高い人達に大工なんかじゃ太刀打ち出来ねぇ。そんな事は分っているってぇのに。どうしても渡したくねぇ、おいらだぜ……」
麗華がひと通りの顔つなぎと挨拶を終え「ごゆっくり」とひと言残し立ち去ろうとした時、ひとりの婦人が声を掛けた――
「お久しぶり。まさか、あなたが尾原家のお嬢様とは存じませんでしたわ」
「あなたは、あの時の……」
そこに居たのは、あの怪しいマナー講師だった――
「あら、嫌だわ、そんな目で見ないで、おっほっほ。まだ、私が怒っているとでも?」
「いえ、そんなつもりは……」
「良いのよ。あなたの言う通りなのよ」
「えっ?」
「私は『人を愛した事が無い人間』なのです。どうぞ……お笑いになって下さいな」
「笑うだなんて、そんな事は出来ません」
「あら、どうしてかしら? 私はあなたを小娘呼ばわりしたのよ?」
「いいえ。本当に人を愛した事が無い人間なら、今でも私を軽蔑しているはずです」
「そう……やっぱり分かるのね。私の本当の姿は『人に愛された事が無い人間』なのよ……可笑しいでしょう? さぁ、どうぞ、哀れな女とお笑いになって下さいな」
「いいえ、笑うなんて出来ません。あなたは、本当は人を愛した事が有りますね?」
「えぇ。私は人を心の底から愛した事が有ります。でも、手放してしまった……最愛の人を……嫌だわ、私ったら、おっほっほ。あなた……恋をしてるのね? あなたは絶対に手放さないで。私の様にならないで下さいな。さようなら」
麗華は最愛の人を手放した理由は聞けなかった――
だが、彼女の表情と声から、身も心も引き裂くような悲劇が有った事を悟った――
そして「愛とは決して後悔しない事」と自分の心に言い聞かせていた――
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