願いよ届け。
食事の後片付けを終え、お風呂の準備を整えると、階段を上り麗華の部屋のドアをノックした――
〝 コン、コン、コン! ″
「お嬢様、お風呂の用意が出来ましただ」
「分かりました。直ぐに参ります」
麗華の脱衣を手伝い、入浴を確認すると「ごゆっくりどうぞ」と声を掛け、洗濯物を家事室に持って行き、階段を駆け上がり麗華の部屋の窓を開けて空気を入れ替え、新しい下着と寝間着をベッドの上に用意して窓を閉めて確認すると、バス・ローブを持って階段を下りてお風呂場へ向かい、そのドアの前に立った時、中から不審な声が聞こえて来た――
「おや? 大変だぁ、お嬢様が具合でも悪くなったら……大事だぁ!」
風呂場のドアを開け、浴室のドアに手を掛け開けようとして耳を澄ますと、聞こえて来たのは鼻歌だった――
「ふふふ、ふんっ、ふふ――んっ。ふふふ、ふ、ふんっ、ふふ――んっ。今日は鼻歌が絶好調。曲名はチャイコフスキーのバレエ組曲、くるみ割り人形 Op.71a 第8曲 『花のワルツ』カラヤン指揮ベルリンフィル……あぁ、鼻歌はワルツが至高ね。うふふっ」
「ふーんん、ふぅ、ふ――ん、ふっ、ふ――ん、ふっ、とぅるりっらった! ふーんん、ふっ、ふ――ん、ふっ、ふ――ん、ふっ、とぅるりらった!」
瞳は、そっと浴室のドアを開けて中を覗くと、鼻歌を歌いながら湯面をピアノの様に弾く、上機嫌な麗華の姿に茫然とした――
「ふーんん、ふっ、ふ――ん、ふっ、ふ――ん、ふ……覗きは変態よっ! 私にそう言いましたよね? 瞳さん」
「あぁ、こりゃぁ、すみませんです……浴室から声が聞こえたもんで、何か有ったのかと思っただよ。ビックリさせねぇで下せぇ」
「まぁ、ビックリはこちらのセリフです。私が鼻歌を歌う事がそんなに変ですか?」
「変じゃねぇだども……変なんだぁなぁ」
入浴を済ませ、バス・ローブから寝間着に着替えてストレッチをしていると瞳が水差しとグラス持って部屋に来た――
「就寝時間になりましただ、お嬢様、お休みなさいませ」
「瞳さん、ありがとう。おやすみなさい」
麗華はクールダウンをして、水差しからグラスにほんの少し水を注ぎ、口と喉を潤すとベッドに入り横になった。そして呼吸を整えると、丁度、消灯時間になり全館の灯りが消えた――
「あぁ……気が付けばあの人……あの人の事ばかり考えている気がする……まさか、あの人の事…………」
麗華は天蓋を眺めながら夢の世界の旅人になった――
「おらの居ねぇ間に何が有ったのか聞けなかっただよ。明日あの職人が来たら聞いてみるしかねぇなぁ。今日はもう寝るだぁ」
瞳は直ぐに眠りに落ち、鼾をかいて寝てしまった――
――九時間前の出来事
瞳は昼食の後片付けをして、三時のお茶の準備を済ませて買い物に出掛けた――
「瞳さん、あんな風にブルーシートを掛けられたら、作業が見えなくなってしまいます。注意して下さいっ! 瞳さん、瞳さんっ! 聞こえましたか? 瞳さ……」
双眼鏡から目を離し辺りを見回すと瞳の姿は無く、書き置きに「買い物に出掛けます。三時迄には戻ります」と書いて有った――
「まぁ! 又、お留守番。黙って出て行くなんて酷い、ブルーシートで覆われた中で何をしているのか分からないと云うのに……あの男、おかしなことでもしたなら、只では済まさないっ! こうしてはいられない、確りと見届けなくては」
麗華はサウナ・ハウスの作業現場に向かった――
「ちょっとあなた、そこで何をしているのですか? 隠して仕事をするなんて卑怯よっ! 手抜き工事を隠蔽するなんて卑劣極まりないです。恥を知りなさいっ!」
「あーぁ、これはお嬢様、上からの挨拶失礼します。隠蔽だなんて人聞きの悪い事を言われちゃ、かなわねぇなぁ。雨に当てる訳には参りませんからねぇ、こうして覆っているんです。へいっ」
「そうですか……それはすみませんでした。それは何をしているのですか?」
「へい、片流れの屋根は開口を大きくするためなんですが、湖にでも有るコテージなら具合は良いんですがねぇ……この邸宅には似合いません。ですから、勾配を計って正面に庇が出る様にして、銅版の一文字で仕上げます。へい」
「はぁ……それなら、このガラス張りのファサードはどうなるのですか?」
「へぇ、開口部はガラス張りで中が丸見えなのを、壁と面格子で中が丸見えにならない様にします」
「はぁ……でも、それでは、室内が暗くなるのではありませんか? 閉塞感が出てしまいます」
「へぇ、それなら心配要りません。昔から日本人は陰翳を大切にしていましたからねぇ、家の中から外は明るくて良く見えますが、外から中は暗くて見えません。真っ裸でも大丈夫ですよ。丁度ソファに座って外を眺める辺りは、お庭が良く見える様に素通しにしますので、入り口の扉は千本格子に仕立て直しますから、外観も違和感無く仕上がりますので大丈夫ですよ」
「はぁ……そうですか……そっ、それなら、内装はどの様にするおつもりですか?」
「へい、中のガラス扉は古い蔵の扉を吊り下げて自動ドアは活かします。シャワールームの手前の床は濡れても大丈夫な畳にしますので、安心して下さい」
麗華は説明を聴けば聞くほど、うっとりしてしまいボーっとしていた――
「分かりました。それでは……怪我の無い様、気を付けて作業をなさって下さい。仕事の邪魔をして済みませんでした。失礼します」
「へいっ!」
麗華は本館に戻り、姿の見えない康平の作業を暫く監視していたが、無意味だと気付き双眼鏡を下ろした――
「どうしたと言うのかしら……なんだかワクワクしている……完成する事を心待ちにしている自分が居る……何故……」
〝 カン、コーン、カラララ―ンッ! カン、コーン、カラララ―ンッ! ”
「ごめん下さい、本日の仕事は終了しました。瞳さん、帰りますので門を開けておくんなさぁ――い」
「まぁ、そんな大声を出さなくても今、開けます」
康平は瞳が出て来ると思っていた所に、麗華が出て来たので驚いた――
「お嬢様っ! てっきり瞳さんだと思って、つい……馴れ馴れしい口を聞いてしまい申し訳ありません」
「いいえ、結構です。門の開閉は此処の集中コントロールで出来ますが、せっかくですから門まで送って行きます。さぁ、付いていらして」
「へっ、へぇ……」
康平は抵抗する事も出来ず、言われるがままに後を付いて行った――
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