心の扉に五寸釘。
見る見るうちに日が傾き、目の前の参道を人が高速で通り過ぎて行き、康平が鳥居をくぐった所で、めぐみは時の進む速度を落とした――
「駿さん、彼がお目当ての職人さんです。止めますか?」
「あぁ。ここまで来たら止めて」
康平が目の前を通り過ぎようとした所で止めると、駿は懐からシガーケースを取り出し蓋を開けた。中に入っていたのはシガーではなく注射器とアンプルだった――
「この薬は元々、妊婦用なんだけど男性に投与すると恋の特効薬になるんだ。血の巡りが良くなって心の動きが活発になり、思った事を素直に、正直に口にする様になるんだ。直ぐにでもお嬢様に告白するって訳さ」
「何て便利なっ! 私にもそれ下さいっ!」
「ダメ。めぐみちゃんにはこんな物は必要無いさ」
駿は慣れた手つきでアンプルを折り、注射器で吸い上げると空気を抜いて康平に注射をした――
「あれ? うーん、おかしいなぁ、こんなの初めてだ……」
「どうかしたのですか?」
「通常、注射をすると直ぐに反応が有るのだけど……全く効いていない。めぐみちゃん、このままでは瞳さんの願いは叶えられない。深層意識の中に潜入するよっ!」
「はいっ!」
康平の身体の中へ吸い込まれる様に入って行き、深層意識の中の「心の部屋」に到着すると駿は唖然とした――
「めぐみちゃん、ダメな理由はコレだよ。大工さんだけにドアが五寸釘で打ち付けて有る。その上からチェーンに南京錠まで……しかし、見事な仕事だなぁ……」
「感心している場合じゃないですよっ!」
「あぁ、分っているよ。この南京錠はボクが開けるから、バールを用意してくれないか?」
「はいっ!」
駿が合鍵を作り開錠するのに時間は掛からなかった。幾重にも掛けられたチェーンを外し、バールで五寸釘を抜きドアを開けて中に入ると更に驚いた――
「見事に整理されている……しかし、この職人さんは二十四時間、寝ている間さえ仕事の事を考えている様だね。全ての欲望が戸閉して有る……これを全て開放したら人格が変わりそうで怖いけど、恋の扉を開ければ他の扉は自分で開けるだろう……」
「ワイド・フル・オープンで、おなしゃ――すっ!」
「OK! 行くよっ!」
駿が力いっぱい取っ手を掴んで引っ張ると、扉が勢い良く開いた――
「ふぅっ、やれやれ、仕事に一本槍の男は容易じゃないね……このランタンは埃が被ってはいるけど新品だから、きっと恋の炎は簡単に着くだろう……」
「これで上手く行くと良いですねっ! さぁ、戻りましょう」
深層意識の中から出て康平の状態を確認すると、開いた瞳孔はハートの形になっていた――
「これでOK! 完璧だよ」
「まぁ、なんて分かり易いのかしら」
「めぐみちゃん、もう時を動かして良いよ」
めぐみが大きく口から息を吸い、鼻から吐いて時を動かすと、早速、康平が饒舌に語り始めた――
「あれっ? 瞳さん。何処に行ったのかと思えばこんな所で会うなんて奇遇だね」
「あっ! お前ぇ、もう仕事を終えただか? あんれまぁ、もう、こんな時間じゃねぇかっ! おったまげたなぁ……」
「お嬢様が心配していましたぜ。でも、丁度良いや、言い忘れた事が有りましてねぇ。明日は廃材の搬出が有るんですよ。ところが業者の時間は明日にならねぇと分からねぇんで、その時はよろしく頼みますよ」
「分かっただ。お嬢様にも伝えておくだ」
「そうしておくんなさい。瞳さん、あんな綺麗なお嬢様に心配を掛けちゃぁイケねぇよ。じゃぁ、おいらはこれで失礼しますっ!」
康平の後ろ姿を見送ると、瞳はめぐみと駿に確認をした――
「綺麗なお嬢様だとよぉ……これが魔法だか? 掛けてくれただなっ! 掛かったんだなっ!」
「えぇ、心配御無用。但し、言った様に後の事は責任持てませんからね。良いですね」
「おふたりさん、責任はオラが持つだっ! 有難うごぜぇますだ」
瞳は夕飯の支度をする為、慌てて尾原家に戻って行った――
「只今、戻りましただ。大変遅くなり申し訳ありませんでした」
「あら、瞳さんお帰りなさい。ずいぶん遅かったわね。待ちくたびれましたわ」
「へぇ、以後……気を付けますだ、今すぐ夕食の準備をしますので……」
「心配をしていたのですよ。何処で何をしていたのかくらい、仰って下さい」
「それが……買い物の帰りに喜多美神社に寄って、めぐみさんと話をして……気が付いたら、あの職人が目の前にいて、ビックリして時計を見たら、こんな時間になってしまっていただ。それで『明日は廃材の搬出が有るから、お嬢様に伝えて下さい』と言われただよ」
「まぁ、人が心配をしているというのに、そんな所に居たのね。良いわ。もし事故にでも遭っていたらと、心配をしましたが、何も無かったのなら、それで結構です。遅くなる時は必ず連絡して下さいね」
「あの……お嬢様……お怒りにならないのですか?」
「えぇ。瞳さんが無事ならそれで良いのです。お腹が空きました、食事の準備をお願いしますね。ふふっ」
瞳は何時もなら「約束をしたのなら守り切らなければ人間とは言えませんっ! 猿よっ! 猿なのっ! 猿の真似はしないで下さいっ!」と烈火の如く怒りを爆発させていた麗華が「ふふっ」と笑ったその声を聞き逃さなかった。そして、夕食の準備が整いテーブルに着くと更に耳を疑った――
「まぁ、良い香りですこと。牛蒡のポタージュは年の瀬を感じます―― あぁ、前菜は色彩が目に鮮やかで食欲をそそりますね—— ヒラメをカクテルとムニエルにしたのね。とっても美味しいわ―― 瞳さん、ありがとう。ご馳走様」
「へぇ、お粗末さんで、ごぜぇました。何だか……狐につままれたみてぇだよ……」
食事の時に「いただきます」と「ご馳走さま」以外は一切喋らない麗華が、感想を言ったり褒めたり「ありがとう」と感謝の言葉を口にした事に瞳は驚いていた――
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