成らぬ堪忍するが堪忍。
—— 十二月五日 赤口 丁亥
〝 カン、コーン、カラララ―ンッ! カン、コーン、カラララ―ンッ! ”
「尾原様。お早う御座います。仕事に参りました。開けておくんなさ——い」
紅茶を飲んでいた瞳はおもむろに立ち上がり、インターフォンで康平の声と姿を確認すると受話器を取った――
「おう、来ただな。ほんじゃぁ、開けてやるだよ。入れ」
門のロックが解除され、康平が中に入り現場に向かうと、本館から瞳がワゴンを押して出て来た――
「瞳さん、お早う御座います。今日も一日、宜しくお願い致します」
「おう、職人は朝が早いと聞いていたから、朝食と飲み物を用意して来ただよ。食え」
瞳がワゴンに用意したお重の蓋を開けると天むすが三つ、はらこ飯の軍艦がふたつに、キュウリと大根と人参の糠漬けと細切りにしたたくあんが入っていた――
「こりゃぁ、有りがてぇ……しかし、朝から豪華な物食ってるねぇ、軍艦と言うより空母か要塞並みのデカさだねぇ、頂きます」
旨い、旨いと舌鼓を打ち、がっつく康平を横目に瞳は緑茶を淹れていた――
「あーぁ、その食い方。さては、お前ぇ、独り者だな。腹が減っては戦は出来ぬ。早く嫁を貰うだよ。そして、ちゃんと朝飯くれぇ、食って来るだよっ!」
そう言って康平の肩を叩くと、丁寧に淹れたお茶を差し出した――
「こりゃぁ、何から何まで、瞳さんは良く出来た人だねぇ」
「分かるだか?」
「えぇ、そりゃ分かりますとも。オイラの目は節穴じゃありませんぜ。おっと、肝心な事ですけどねぇ、今朝はまだ材木が来てませんが、九時頃に搬入をしますんで宜しくお願いします。後、早朝は墨出し等、音は出しません。音が出るような仕事は基本的に八時過ぎですが、それで、良いですかい?」
「おう、いいともよ。んじゃ、九時頃に材木が来たら開けてやるだよ」
「有難う御座います。仕事は五時に終わらせて頂きますので、施主にそう伝えておくんなさい。ご馳走様でした。美味しかったです。それでは、作業に入ります」
瞳はワゴンに乗せた、ほうじ茶を淹れたジャグを置くと本館に戻った。ワゴンを片付け、広間に出ると麗華が仁王立ちで待っていた――
「瞳さん、お早う」
「麗華お嬢様、お早うごぜぇますだ。えらい早起きじゃねぇですか? どうかしなすっただか?」
「どうかしたかですって? これよっ! これは何なのですかっ!」
「あぁ、ラブレター……じゃなくて、設計図ですだよ」
「納得がいきませんっ! 直ちに中止させて来て下さい」
「お嬢様。そんな事ぁ、出来ねぇだよ。気に入らない事が有るなら、あの職人に直接指示して下せぇ。お願いしますだ」
「まぁっ! 瞳さんがそんな事を言うなんて……彼奴の方を持つなんて……酷い!」
「うんにゃ、酷くなんかねぇだ。我儘ばっかこいてねぇで、きちんと話をするだよ」
「まだ何も出来ていないのに朝食を用意したり親切にし過ぎよ。癖になるでしょ? 甘やかすと為にならないわっ!」
「お嬢様。朝食と言っても、昨日の残り物で拵えたものですだ。あの男は独り者で、飯もろくに食っていないだよ。それでも、爪は綺麗に切って有るし、肌着も綺麗に洗濯した物だし、仕事に抜かりはねぇだよ」
「どうして、そんなに肩を持つのっ! 気に入らない、気に入らない、気に入らないっ!」
「お嬢様。お言葉ですが、ありゃぁ気持ちの良い職人ですだ、一本気の男だぁよ。そんな事より朝食の準備をしますので召し上がって……」
「ふんっ、もう結構ですっ! 直接言って、やっつけてやりますっ !」
「そう言えば、お嬢様を本気で怒らせる辺り……ちょっと、旦那様に似ているだよなぁ……」
麗華は父に似ていると言われた事で、更に感情的になり、スカートをたくし上げ、玄関にヒールの音を響かせて歩いて行き、勢い良くドアを開け放つと、康平の作業している現場へと向かった――
「ちょっと、あなたっ! これはどう云う事? こんなので満足出来るとでも思っているのっ!」
「お嬢様、お早う御座います。これはと言うと? あぁ、それなら大丈夫ですよ、昨日は急いでいたもんで、サッと書いただけですから。きちっと良い物が出来上がりますよ。御心配無く。へいっ」
「このヘタなスケッチも問題です。でも、こんな物では納得がいきません。建て直して下さいっ!」
「おいらこれでも絵心は有るんですがねぇ。だけど、お嬢様。建て直すなんて馬鹿な事を言うもんじゃあ有りませんよ。おいら出来ませんねっ。このサウナ・ハウスは旦那様が注文した物だ。旦那様がお戻りになって、見た事もねぇ、違う物が建っていたら、どうお思いになりますかねぇ……そりゃあ、悲しみますよ。へいっ」
「そんな事、あなたに関係ないでしょっ! 職人が人様の家庭の事に口出しするなんて、この尾原家に意見するなんて、言語道断、許せませんっ!」
早朝から、あまりにも喧嘩腰の麗華の態度に、康平の堪忍袋の緒が切れた――
「べらんめえ! 何が言語道断だぁ、黙って聞いてりゃ良い気になりやがって! 親を泣かすような真似をするんじゃねえっ! そう言ってるのが分かんねぇのかっ! このトンチキがっ!」
「トっ、トンチキ? よくもこの私に、親にだって怒鳴られた事が無い私に……」
「ふんっ、だから、そんなヘソ曲がりになっちまったんだよっ! 親の代わりに叱ってやったんだっ、礼を言って貰いたい位だ。有難く思いなっ!」
「くっ、くっ、くっ……うぅぅぅ……」
麗華は卒倒して硬直すると、白目を剥いて気を失った――
お読み頂き有難う御座います。
気に入って頂けたなら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援と
ブックマークも頂けると嬉しいです。
次回もお楽しみに