ニケツでラッキー!
心做しか七海の瞳が濡れている様に見えて、胸が苦しくなった――
「あれ……七海ちゃん……あっシって、駿さんのベスパは下に停めて有るし……帰った訳では無いし……つまり、七海ちゃん……もしかして……バレた?」
「ちげ―よっ! 駿ちゃんに全部話したんよっ!」
「それで、破局なのね……まぁ、仕方ないよ、人生色々、男も女も事情が有るから……」
「破局なんてしてねぇ――しっ! 人生エロエロ、男と女の情事とか、めぐみ姉ちゃん、欲求不満なん? 駿ちゃんはそんな人じゃぁ、ねぇっつーのっ!」
めぐみは七海の淹れたお茶を飲んで、ホッとした――
〝 ア――ハッハッハ、ア――ハッハッハ、ア――ハッハッハ ″
「しかし、めぐみちゃんも早合点だなぁ、七海ちゃんが普段通りに戻っただけなのに」
「だって、瞳が濡れているからてっきり、泣いているのかと思い込んでしまって。まさか、玉ねぎを刻んでいる真っ最中だとは思わなかったのよ。うふふっ」
「ったく、今日はカレーの日だから『駿ちゃんも一緒にどうですか?』って誘ったらオッケー貰えたんよ。だから一生懸命、玉ねぎ刻んでたんよー、それを、破局とかさぁ……」
「でも、七海ちゃんは素顔の方が魅力的だよ。飾らない、ありのままの素直で正直な七海ちゃんが、とっても良いと思うよ」
「あれあれ? 七海ちゃん、どうしたの? 黙ちゃって? 玉ねぎ刻んでないのに瞳が潤んでいるわよー、照れちゃって可愛い」
「あっシのカレー、食べていって下さいね」
七海が立ち上がり、背を向けた理由がめぐみには良く分かっていた。そして、玉ねぎを炒める香ばしい香りと、スパイスの香りが部屋いっぱいに広がり、暫くすると、食卓にカレーライスが運ばれ、トッピング用のスライスしたゆで卵とチーズ、福神漬けと刻んだラッキョウに玉ねぎのアチャールが並んだ――
「お待たせしました。どうぞ、召し上がれ」
「うわぁ、驚いたなぁ、七海ちゃんは料理が上手だね」
「駿さん、私も初めて七海ちゃんに出逢った時にカレーライスを御馳走になったんですよ。きっと、これも縁なのかなぁ。うふふっ」
七海が照れ臭そうにしていると、駿がカレーを口に運んだ――
「うんっ! 美味しい! これは本格インドカレーよりも白米に良く合う! 最高だよ! しかも塩味を押さえている所も素晴らしい! 出来合いや、お店のカレーは塩っぱくてダメなんだよ。これは本当に旨味とスパイスのバランスが絶妙だ!」
「良かったね、七海ちゃん。大絶賛よ、作った甲斐が有ったね。あっ、駿さん、豚バラを煮込んだ甘口のポークカレーも凄く美味しいんですよ。それから、アメリケーヌソースをベースにした海老カレーも絶品なんです。うふふっ」
「七海ちゃんは料理のレパートリーも多いんだね。きっと、良いお嫁さんになれるよ」
「ちょっと聞いた、お嫁さんだってっ! 照れるっちゅーの!」
七海は顔を真っ赤にしながらラッシーを作り、駿に差し出した――
「あー、辛い口が元通りになった。これはサッパリしていて美味しいね」
「バナナだけなら甘くするんよ。だけど、キウイが安かったから……」
「経済観念もしっかりしている。七海ちゃんと結婚する人は幸せ者だな」
楽しい食事が終わると、七海は後片付けを済ませ、お茶を淹れて差し出した――
「いやぁ、本当にどれも美味しかった。大満足だよ。七海ちゃんご馳走様でした。めぐみちゃん、僕も帰るよ、有難うね」
めぐみは七海に目配せをしたが、七海が何の事か分からずにいたので、お尻をつねった。七海は痛みに驚き、立ち上がった――
「痛っ! あんだぉ、もうっ!」
「さぁ、七海ちゃんも帰る時間でしょ? あっ、そうだそうだ、駿さん、申し訳ないけど七海ちゃんを送って貰えないかしら?」
「あ、七海ちゃんも帰るの? それなら送って行ってあげるよ」
「あっ、でもぉ、迷惑じゃ……ないん?」
「迷惑だなんて、とんでもないよ。丁度、ヘルメットも有る事だし。僕で良ければだけど?」
「良いに決まってんじゃんよっ! あっ、じゃあ、お願いします……」
「さぁ、これを着て。これで寒く無いよ」
駿は七海の背後からモッズ・コートを着せた――
「それでは、めぐみちゃん、御守りの事忘れないでね、楽しかったよ。さよなら」
駿がドアを開けて出て行くと、七海が振り返り何かを言おうとした――
「良いから良いから、早く行きなさい。お風呂なんて何時でも入れるし、一日二日入らなくても死なねぇ――しっ! さぁ、行ってらっしゃい」
「めぐみ姉ちゃん。あんがと」
〝 ベンベンッ、ベンベンッ、ベンベンッ、ベッベッ、ベッベッ、ベッベッ ″
七海はベスパに跨り、駿の背中にバックハグで抱きついた――
「七海ちゃん確り摑まってね。行くよっ!」
〝 ベンベンッ、ベベンッ、ベッベェ――――ンッ、ベェ――――ンッ、ベェ――――ンッ ″
「七海ちゃんっ! 家は何処?」
「狛江ですっ!」
「OK! 案内してねっ!」
「はいっ! ふたつ目の信号を右で、その次の信号を左だお!」
七海は駿の背中にもたれかかり、両腕で確りと抱き締めた――
〝 ベンベンッ、ベンベンッ、ベンベンッ、ベッベッ、ベベッ、ベッベ ″
「到着。着いたよ、七海ちゃん。七海ちゃん?」
「あっ、あんがと……」
七海はすっかり時を忘れて離れられずにいた。そして、駿は母の由紀恵に挨拶をすると「あがってお茶を」と誘われたが、夜が遅い事も有り、お邪魔するのは丁重に断り、帰る事にした――
「駿ちゃんは何処まで帰るの?」
「僕? 僕は武蔵小杉だよ」
「えぇっ、ムサコじゃあ、反対方向だったじゃんよー、ゴメンゴ」
「気にしないで良いよ。美味しいカレーとラッシーを御馳走になったお礼だよ。何より、家族と食事している様な楽しいひと時が僕には……貴重な体験なんだ。一家団欒を知らないからね。七海ちゃん。今夜は楽しかったよ、ありがとう。じゃあね、おやすみ」
〝 ベベベンッ、ベベンッ、ベッベェ――――ンッ、ベェ――――ンッ ″
七海は、優しい駿の横顔に翳を見た。そして、走り去って行く駿の後ろ姿を何時までも見送っていた――
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