女神の降臨。
めぐみは月を見上げていた――
陽菜の視線に気付くと、ゆっくりとふたりの方を向いた――
津村は肩越しに「何か」を見つめる陽菜の表情を見て「ハッ」として振り向いた。
めぐみに気付くと津村は静かに立ち上がり、正対し謝意を示した――
「ありがとう、めぐみさん。お陰で思い残す事は無いよ、本当にありがとう」
めぐみは頷いた。そして事態が飲み込めない陽菜に向かって言った――
「陽菜殿、津村武史はもう死んでいるのだ。伝えたい事が有れば、思い残す事が無い様、言うが良いぞ」
「武史ちゃん、嘘だと言って! めぐみさん、からかっているだけでしょう?」
そう否定しながら、津村が既に死者となった事を受け入れ始めていた――
めぐみは両手を前に出し手のひらを上にして、ゆっくりと肩よりも高く上げて行き、頭上に到達したところで天を仰ぎ、呪文を唱えた――
すると、上弦の月から光が分かれて、その光の玉がゆっくり降りて来て手に取った。静かに光が消えると、その手には弓が有った――
絵元結にした長い黒髪の横から背中の破魔矢を引き抜くと、懐から鏃を出した。その鏃の形は鳥の舌と雁股を合わせた様な特殊な形になっている物で、差し込むと紫色に光った。めぐみは履き物を脱ぎ、浜改田の砂を踏みしめた。
「覚悟は出来ておるな!」
「はい」
足踏みをして、胴造りをすると静かに呼吸を整え物見を定めた。そして、ゆっくりと両手を上げて左右に引分けた――
陽菜は眼前に迫る死を拒絶し、ふたりが交わした言葉を断ち切る様に津村に駆け寄り、前に立ちはだかると盾になった――
「めぐみさん、やめてっ!」
陽菜が叫んだのと同時に、呪文を唱えると、その手から矢が放たれた――
時が止まった様に波の音が消えた―― 弓の弦が空気を震わせる微かな音と矢の飛ぶ音だけが聞こえた――
矢は紫色に光る鏃が、放たれた力に呼応して光を増して光線となり、陽菜に向って真っ直ぐ飛んで行った。そして心臓を射抜く瞬間、矢は更に輝きを増して真後ろの津村の心臓も射抜いた。まるで光線銃で撃たれた様だった――
すると、ふたりは生気を失い石の様に固まった。射抜いた矢は天に向かって昇って行き、やがて力を失った矢が放物線を描いて、ふたりを目がけて落ちて来ると、光の色が真っ赤に変わり、ふたりの身体の周りを「ぐるり、ぐるり」と回ると、力尽きて砂浜に落ちた。光が消えると赤い糸になっていた――
そして、石の様に固まっていたふたりに生気が戻ると、赤い糸は見えなくなった。
――めぐみは残心のままだった。
津村は茫然としながらも、気を失った陽菜の背中を支えていた。
矢で射抜かれたにもかかわらず、血が一滴も出ていないのは「自分はもう死んでいるからだ」そう思って陽菜の背中を見ると、やはり血が出ていない。その上、お互いの体温を感じる事を不思議に思って、めぐみに目を遣ると、その手に持っていた弓は五色の垂布の付いた神楽鈴に変わっていた――
めぐみがふたりに歩み寄り、その神楽鈴を「シャリーン、シャリーン」と鳴らすと陽菜が目を覚ました。陽菜はすっかり天国に居ると思っていたが、風が優しく吹いて潮の香りがすると、浜改田の海岸に居る現実に引き戻された――
「陽菜ちゃん!」
「武史ちゃん!」
お互いに生きている事を確かめ合い手に手を取って見つめ合うと、互いの瞳に光る物が有った。
そして、確りと抱き合い喜んでいた――
めぐみはふたりの側に来て「もう離れるのではないぞ」そう言ってお守りを手渡した。
「約束が違うよ、オレは死ななければいけないのに……どうして?」
「津村武史よ、天の国で死者の選択をしたが、確認のサインはしていないぞ」
「確かにサインはしなかった……いや、違う、神官にサインを求められなかった! 天国主大神様からの指示で一旦、地上に戻って身辺整理をする様にと……」
めぐみは威厳に満ちた表情で言った――
「天国主大神様は全てお見通しだったのだろう。そして、身辺整理が完了したのだから、此れにて一件落着。――私もこれでお役御免と云う事であろう」
「めぐみさん、あなたは一体、何者なの?」
「私は縁結命、恋の女神。『鯉乃めぐみ』は津村武史の聞き間違いよ。だけど、とても気に入っているわ」そう言って、軽くウインクをした。
「あなた達とはこれでお別れ。――さらば!」
別れを告げると、めぐみは月の輝く天に昇って行った――
津村と陽菜は暫く天を仰いでいた――
「上弦の月は弓張月、上の弓張りとも呼ばれているわ。まだ先だけど、七夕の渡し守の船か『久方の天の河原の渡し守 君渡りなば 楫隠してよ』今の私にピッタリだわ。天に昇って行った、めぐみさんは『天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 榜ぎ隠る見ゆ』かな……」
津村は陽菜の肩を抱き寄せると月明かりの海岸で口づけをした――
お月様が少し照れている様だった――
思い出の海岸に別れを告げて、陽菜にサザン・スカイ・ホテルまで送って貰うと、再会を約束して別れた。
長くて不思議な一日が終わった――