思い出の海岸へ ―ウミガメと上弦の月。
めぐみは地上へ向かう軌道エレベーターの中で、今から自分の行動や判断が実績となり、解決方法の前例となる事の意味を考えていた――
懐にはお守りがふたつと背中には破魔矢を差していた――
「ティン・トーン!」と到着のベルが鳴り、ドアが開くと、そこはホテルではなかった。
学校へ到着しためぐみは、陽菜が車で帰宅するのを見届けると、呪文を唱えて姿を消し、職員室へ向かった。ふたりが食事をしている間に調査を済ませる計画だった。
陽菜のデスク周辺をアプリで測定して記録をする事と校舎内を全て調べて、時間に余裕が有ればチャペルまで調査対象とする事にした。
津村は陽菜との待ち合わせの時間が迫っていたので、鍵を預けてホテルを出た――
駐車場へ行くとスーパー・カーの周りに沢山のギャラリーがいたが、素知らぬ顔で通り過ぎて国道へ出た。陽菜が気を遣ってコンパクト・カーで迎えに来てくれた――
津村は運転を変わろうとしたが「直ぐそこだから、大丈夫!」と助手席に座らされ走り出した。国道五十五号線を西へ向かい、新葛島橋を渡って国分川を越えると、高知の中心市街地に入った――
イタリアンやフレンチも良い店が沢山有るのだが、今日が最後の晩餐だと思うと皿鉢料理でお酒……と言いたい所だが、ぐっと堪えて料亭で懐石料理を予約した。
津村は運転する陽菜の横顔を眺めていた――
とても幸せな気分になって「ずっと、このままなら良いのに……」と素直に思った。陽菜が時々「ちらっ」と横目で見ると上手に目を逸らして、沈黙を避けるために「今日は良い天気だったね」とか「もう少しで夕暮れだから、マジック・アワーが楽しみだね」などと在り来たりの言葉で間を繋いだ。陽菜はいつもと少し様子が違うと感じたが、久しぶりに会ったから「きっと、自分の思い過ごしだろう」と心の中で打ち消した――
料亭に到着すると丁度、口開けで店内の空気は凛としていた――
高知は食材の宝庫で、鰹に鯨と鱓も絶品であり、四万十の鰻、土佐和牛に土佐ジローなど、東京の食に充分満足していた津村であったが、土佐料理はそれを上回る特別な物だった――
「ハンドル・キーパーは私なんだから、遠慮しないで飲んで良いのよ」
「そうだなぁ、でも、今日は少しで良いから……大吟醸をグラスで貰うよ」
ふたりは空白の時間を埋める様に色々な話をした――
時間がゆっくりと流れて行き、段々と「いつものふたり」に戻っていった。津村は今日が最後の日だと思うと、知らず識らずの内に思い出話しばかりになってしまったが、陽菜は食事中の話題として特に気にしていなかった。それよりも、今日から新しい歴史が始まる喜びを感じていた――
夕飯時になり、徐々に店内が家族連れや会社帰りのお客さんで満席になって来ると、ふたりは食事を終えて店を出た――
車の中で料理の感想を言ったり、街並みの変化や、同級生の出産、結婚に離婚まで、話は尽きる事がなかった。そして、ふたりを乗せた車は思い出の海岸へ向かって走っていた――
丁度、マジック・アワーで波長の長い赤い光線が大空いっぱいに広がって、とても神秘的な光景だった。
――残光が今日の終わりを告げていた。
浜改田の海岸はとても静かな海岸で、何時も此処で逢っていた。ふたりはゆっくりと砂浜を歩いた――
久し振りにふたりで散歩をすると、津村は見慣れない看板の前で足を止めた。
「環境省及びIUCNにより絶滅危惧種にも指定されているアカウミガメの産卵が確認されています。アカウミガメを発見したら、こちらまで連絡して下さい」看板にはそう書いて有った。
「ハイ! 倉持先生に質問です、アカウミガメの生態を教えて下さい」
陽菜は笑って先生らしく答えた――
「ウミガメは陸に住んでいたカメが海へ進出したものです。海中で早く泳ぐために手はヒレのようになり、甲らは水の抵抗を受け難い流線形になり、甲らの骨は隙間が多くなり軽くなりました。この進化の為にウミガメはとても早く泳げるのです。
しかし、卵は海の中では死んでしまいますから母ガメは産卵のために砂浜に上陸するのです。毎年五月から八月にかけて上陸し外洋に面した砂浜で産卵が行われます。
アカウミガメは、大きなものでは体長が一メートル、体重百キロを超えるものが存在し、その大きさが特徴的です。貝類をはじめイカ、タコなどの軟体動物や海老、カニ、ヤドカリなどの甲殻類を食料として生活しています。
又「亀は万年」という言葉がある様に、とても寿命の長い動物なのですが、その寿命に関する確固たるデータは世界中を見渡しても存在していません。生態については、まだ明らかにされていない点が数多く存在しています。
推定寿命はアオウミガメ、アカウミガメで七十年から八十年と言われています。分かりましたか津村君!」
「流石、先生だね! もう一度生徒になれたら是非、倉持先生に担任になって貰いたいよ」
「もう、からかわないでよっ! それでは今度はこっちの番よ、それでは津村君! 確認されされている、最も長寿のカメは何年生きたでしょうか?」
「そうだなぁ百二十年位かな?」
「ブーッ!」
「もっと? 百三十年!」
「ブーッ!」
「じゃあ、百五十年で!」
陽菜はウインクした――
「残念、惜しかったわね。これまでに確認されている最も長寿なカメの例は『マリオンのゾウガメ』です。
一七六六年フランスの探検家マリオンがセーシェル諸島で捕獲し、モーリシャス島に持ち込んだアルダブラゾウガメの個体で、なんと一九一八年まで百五十二年間も飼育されていました。捕獲時には三十歳から五十歳位だったと云うので百八十歳から二百歳まで長生きしたのではないかと推測されています」
津村は唖然とした――
「二百年も生きたなんて……カメは凄いなぁ」
そんな話をしていると、マジックアワーは終わりを告げ、辺りは「すうーっ」と日が暮れて――
一番星が天高く登り――
大海原に白く輝く上弦の月が映し出されていた。
ふたつの月は、空と海で離ればなれで、まるでふたりの様だった。