ずっとこのまま、時間を止めて。
空中で止まった容器は、蓋が外れ、中身のカフェ・ラテが飛び出し、床に着くスレスレで液体が固まった様になっていた――
「分かるか?」
「えっ、もしかして……時間を止めたって事?」
周囲の人間達も、店内の中央に掛けられた大時計の秒針も止まっていた――
「そうだ。正確に言えば地上の時間。人間の概念を止めたと云う事かな」
「人間の概念……」
「そう。つまり、そうだなぁ……人間風に言うなら君とオレの時間は止まっていないだろ?」
めぐみは驚いて空中に留まっている容器を見ると、不思議な事に溢れ出したカフェ・ラテは湯気を上げていた――
「見よっ!」
建御雷神は容器に手を伸ばすと、ゆっくりと元に戻した。すると、まるで逆回しの映像の様に溢れ出たカフェ・ラテは容器の中に戻って行き、テーブルの上に置くと、外れた蓋がパッチっと閉まると同時に指を鳴らした――
「あっ、時計が動き出したっ! うわぁ! 皆、元通りになっているっ!」
「時を止め、時を戻した。只、それだけの事だ。驚く程の事では無い」
建御雷神が指を鳴らすと、再び時間が止まった――
「時間を止める事が出来る様になったら、次は時間を戻す。そして、時間を進める術を身に着けるのさ」
「そんな事が出来るなんて……」
「さあ、驚いていないで飲んだらどうだ。美味しいカフェ・ラテが冷めてしまうよ」
めぐみは建御雷神の優しい心遣いと甘い声にうっとりした。そしてカフェ・ラテを飲み干す頃には、すっかり落ち着きを取り戻していた――
「ふうっ、美味しかったぁ。でも、時を止めて戻す事が出来るなんて、凄いなぁ……」
「はっはっは。時間の概念が有る人間が見ていたら、時間を止めて落ちた物を戻した様に見えるかもしれない。だが、周りを見て御覧。誰も気付いていないだろ?」
建御雷神が指を鳴らすと、店内の大時計の秒針が勢い良く回り始め、人間達が早送りの様に高速で動き出して止まった――
「あれ? 容器が片付いている! 時間を進めたって事?」
「オレと君が過ごした時間。それを元通りにしただけさ。さぁ、行こう」
「はいっ!」
めぐみは時を止めたり戻したり進める事が出来る建御雷神に畏敬の念を抱いていた。そして、職場である喜多美神社に戻った――
「君が働いているのは此処なんだね。祀られているのが素戔嗚尊とは驚きだな……さぁ、昼休みに時を戻そう」
建御雷神が指を鳴らすと時が戻り、鳥居の向こうに外出をしようとするめぐみがいた――
「ほら、あそこに自分が居るのが分かるだろ? 自分自身に憑依すれば、元通りに時間が動き出すのさ」
「うわぁ! 凄い。あのっ……色々と、教えて下さり有難う御座いました。何とお礼を言ったら良いのか分かりません……」
「いやぁ、お礼なんて要らないよ。君のお陰で、面倒な外出届けの手続きをしなくて済んだからね。此方こそお礼を言うよ。ありがとう」
「あっ、あの、今日は楽しかったですぅ……」
「はっはっは。君とデートをしていた訳じゃないさ。あ、それから『シローの蘇り』の件だが、後は全てオレがやっておくから心配しなくて良い」
「えっ……本当ですか? 嬉しい、有難う御座いますっ! あっ……でも、レポートを提出しなければいけないの。あなたに任せた……と書いて提出すれば良いの?」
「おっと! それは駄目だ。全て君が実行した事にしなくては。そうだ、進捗状況は逐一報告するから連絡先を交換しよう」
ふたりはケータイの番号を交換した――
「これで良し。さぁ、早く戻りな」
「はいっ!」
めぐみは時間の止まった喜多美神社の鳥居をくぐり、参道を歩くと不思議な気分になった。そして、止まっている自分に憑依して時を戻した――
「めぐみさん、今日は紗耶香さんがお昼をご馳走してくれるってっ!」
「本当ですかっ、ラッキー!」
「たまたまぁ、ブーバー・イーツのクーポンを貰ったからぁ、虐め疑惑を晴らすためにぃ、皆さんにご馳走しますからぁ、どれでもぉ、好きな物を頼んで下さいよぉ」
「パスタにフォカッチャも良いけど今日の気分はなぎうっ! ひまつぶし一択ねっ!」
「変な言い方しないで下さいよ、ひつまぶしかぁ。それ良いかも。乗ったっ!」
美味しい昼食を頂いて、仕事に戻ると早速、建御雷神からメールが有った――
『猫は蘇らせて腎臓の病も取り除いておいた。今夜、自宅にて再会を果たす。追伸、君の任務は完了して居る。事後のトラブルと顛末はレポートの再提出も記載の必要も無いと思われる。神官に確認して連絡する。暫く待て』
「良かったぁ。だけど……仕事が早いなぁ。やり方を教えて貰おうかなぁ……」
―― 世田谷区成城 藤島家
「ただいま。綾香、結菜、今、帰ったよ」
「おとうさん、おかえりなさい」
「直人さん、お帰りなさい。どうしたの? 濡れているじゃない」
「ちょうど、コンビニ角を曲がったら雨が降って来たんだ、参ったよ」
「天気予報では雨になるなんて言ってなかったけど……大丈夫?」
「あぁ、ちょっと濡れただけだから。一本次の電車に乗っていたら、ずぶ濡れになる所だったよ。ふぅ」
「早く着替えて、お風呂にでも入ったら? 夕飯はもう用意してあるから」
「そうさせて貰うよ」
直人は風呂から上がると、綾香と結菜と食卓を囲み家族団欒の時を過ごしていた――
「あれ? シローのお供えが新しくなっているけど、どうしたんだい?」
「結菜がシローの夢を見た日に無くなっていたのよ、だから……買って来たの」
「おいおい、変な事を言うなよ。結菜、イタズラしたら駄目だよ、どこに隠したの?」
「かくしてないよ。シローちゃんに、あげたの。あのね、きょうシローちゃんが、ようちえんに、たすけにきてくれたんだよ、ほんとだよ」
「直人さん……良いじゃない。それで結菜の気が済むのなら。ねっ」
「あぁ、そうだな……分かったよ」
綾香が食事の後片付けをしていると、雨足が強くなり風も吹いて来た――
「シローが助けに来ただなんて……結菜を一度、病院に連れて行った方が良いかしれないな。そう言えば、こんな雨の日だったなぁ……シローが家にやって来たのは」
「そうね、突然の嵐で、迷い込んで来たのよねぇ。こんなに小っちゃくて、肉球がピンク色で……可愛かったわねぇ」
「全く、野良猫って云うヤツは人に触らせもしないし、姿を隠すのが上手い癖に、困ると人間を頼るのが不思議でならないよ。あはは」
結菜を寝かし付けて暫くすると、雨足は更に強くなり、リビングの窓に吹き付ける程だった。そして、雷鳴が鳴り響き、近くに落ちた――
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