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丙午の女の肝っ玉。

 ――翌朝


「ピンポーン、ピンポーン」


「お早う御座います。大森です。菜月さん起きてらっしゃる?」


「はい。お早う御座います。あの、昨日は有難う御座いました。どうぞ……」


 文子は部屋に上がると、朝食の準備を始めた――


「朝食は直ぐ用意しますからねぇ、おーっほほ」


「あっ…………それでは、お言葉に甘えて……」


 菜月の目の前に並んだのは、鯖寿司と近江牛の薄切りを出汁で煮たうどんだった――


「あっ、これはよっちゃん家の鯖寿司だっ! それに肉うどん……」


 文子はバーナーを取り出すと焼き鯖寿司にした――


「はい。召し上がれ」


「何年ぶりだろう……焼き鯖寿司、最高ですよっ! この肉うどんもとても美味しいです」


「あなたも東京に出て来て、関東の味付けにも慣れて来たでしょう? 少し関東風の味付けだけど、近江牛の脂と出汁が良く合うでしょう?」


「故郷の味なんて、すっかり忘れていました」


「そうでしょう。でも、御日にちは忘れないでね、十八日の月曜日の夜七時だからね。おばさんが迎えに来るから、心配は要らないから。おーっほっほ」



 菜月は朝食を食べ終えると、文子に感謝をして後片付けを手伝うと、涙が込み上げて来て本当の事を全て話す事にした――


「お見合いをする前に……いいえ、する以上、その前に文子さんに……お話ししたい事が有ります……」


「あら? 何かしら? 今更、好きな人が居るとか言わないで下さいよ」


「あはは、そんなロマンチックな話では無くて……私、そのぉ……」


 菜月は顔色が変わり黙り込んでしまった――


「はっきり言いなさいな」


「あの、冷蔵庫のお出汁の入っているペットボトルにガソリンを買って、東京の街を燃やしてやろうと思ったんですっ!」


「ふーん。まぁ、思うだけならタダですからねぇ。それで?」


「えっ、それでって……驚かないんですか?」


「馬鹿ねぇ、驚いたりしませんよ。それ位の事、誰でも考えますよ。むしろ発想が貧困ですよ」


「いえっ、リアルに貧困ですけど……あの、大それた事をしでかしたかもしれない……とんでもない人間なんですよ? それに、あの柳刃包丁だって料理の為じゃなくて、ガソリンが買えなかったから、通り魔殺人の為に買った物なんですっ! こんな私が、お見合いをする資格が有るでしょうか……」


「はぁ? 有りますよぉ、大有りですよ。お馬鹿さんねぇ、その程度の事は誰だって一度や二度は考える物ですよ。それに結局、何もしなかったのだから、何も問題無いじゃないの」


「その程度の事って……普通の人はそんな事を考えたりしませんよ……文子さんは考えた事が有るんですか?」

 

「あたぼーよっ!」


「あたぼう?」


「『当たり前だ、べらぼうめ』の略よ。おばさんは一九六六年生まれ、丙午の女よ。主人と結婚する時に親に反対されてねぇ、駆け落ちも心中も出来ないなら、地球ごと無くなってしまえば良いと思ったわよ。江戸市中が業火に包まれるのを高みの見物だなんて、その程度じゃぁ、まだまだねぇ、若い若い。おーっほっほ」」


「まだまだ……って、でも、私……」


「黙らっしゃいっ! デモもストも無いのっ! あなた、街行く人が皆、幸せだとでも思ってらっしゃるの? 皆、悩みや苦しみを抱えて生きているのよ。東京にはあなたの様な悩みを抱えた人なんて何千何万と居るわよ。親からの援助も無く東京に出て来て、たった一人で悩んで出した答えなんて、所詮その程度よ。そんな考えこそゴミ箱にでも捨てて燃やしなさいっ!」


 菜月は文子の腕の中でひとしきり泣いた――


「ほら、泣いたらスッキリしたでしょ?」


「…………はいっ!」


「うん、良しっ! さて、お土産も渡したし、その風呂敷に、お見合いの時に着る着物を持って来ましたから、後で見ておいて下さいな。十八日の月曜日は美容室に行って着付けをするから……そうねぇ、四時半頃に迎えに来ますから。それでは。おーっほっほ」


 朝の寝起きに仕掛けて畳み込み、着物を渡して逃げ道を封鎖するのが文子の常套手段だった――



「おっ早うございまぁ――すっ!」「お早う御座います」「おざ――っす!」


「紗耶香さん、御魂入れに使う白黒の鯨幕が見当たらないのだけど、知らない?」


「それならぁ、社務所に置いて有りますよぉ、昨日、言ったじゃないですかぁ」


「まあまあ、お囃子に気を取らて忘れただけですよ。ねぇー、典子さん」


「そうなのよ。めぐみさんの言う通り、なんか身体が反応するって言うのか、日本人の血が騒ぐのよねぇ。紗耶香さんは、神前舞に緊張してピリピリして怒りっぽいのよね。めぐみさんの舞いは完璧だから、見習ってね」


「もうっ! 分かってますよぉ」


「いよいよ明日ですねっ! 神輿が楽しみですよ」


「凄い数の人が来ますからぁ、覚悟しておいて下さいよぉ」


「えぇっ! 脅かさないで下さいよ」


「めぐみさん、宮司が九つの神社を兼務しているでしょう? 兼務している地域や、格式ある喜多美神社の神輿を担ぎたいと来る団体も在れば、今の時期は他の神社では祭礼が終わっているから、今年最後の担ぎ納めは喜多美神社でって、色んな団体が来るのよ」


「太鼓引きの行列が二百メートルくらい続くう、都内でもぉ、屈指のお祭りなんですすからぁ。宮入の時なんてぇ、社殿前の見物人と担ぎ手で大混雑するんですよぉ、盛り上がりと迫力にビックリなんですからぁ」


「地域の人達にそんなに愛されているなんて、素晴らしいですよ。うふふっ」


 日も暮れて夜になると、お囃子の奉納が始まった――







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