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密航するもの

作者: LE-389

 その生きものが虐殺、人間の視点で表すなら駆除、から逃れられたのは偶然のことだった。


 自身のみならず、多くの同胞が住まう水路の中。水の中をさまよう生きものの感覚が、見逃せないものを捉えた。

 生物の体液。ほんの僅かな量であるが、確かに上流から流れてきている。


 外骨格で小型の、小さな獲物の体液とは味が違う。滋養に溢れた大物のそれだ。この痕跡を辿らずにはいられない。


 生きものがこれまでに遭遇した全ての存在は、それ自身の生存を脅かすことが無かった。体躯の差は問題ではない。どれもこれも、攻めるべき構造上の弱点がいくらでもある。まるで、自身のような形態の捕食者を想定していないかのように。


 自身の飢えと、熱量を奪う低温。生きものにとって忌避すべきものはその二つのみ。だがその忌避すべきものひとつ、低温故に長時間行動できない上方の空間から、体液は来ていた。


 冒す危険と報酬。その釣合いに一瞬逡巡し、生きものは前進を選択した。

 勝算も無く判断した訳ではない。辿っている体液の温度から、獲物への距離はそう遠くないと推測しての行動だ。


 結果として、この推測は当たっていた。体液を漏らす獲物は、低温の空間への出口すぐ近くに横たわっていたのだ。


 肉体が液状であるが故、生きものはそれの循環系へと入り込むことができる。分解して自身の熱量へと還元せず、自身の肉体を隅々まで送り込み構造を探る。


 大体の構造は、体躯こそ違えど過去に捕食した獲物のそれと大差ない。

 内骨格、複雑なガス交換と循環系、体温の恒常性などを備えている。


 体液の漏出により肉体の機能は停止しつつあったが、傷を塞ぎ失われた体液の役割を代行することによってこれは防がれた。

 後はこの肉体の制御系を解析し、掌握することが可能となれば。食料に溢れた環境への安全なアクセス手段を手に入れることができる。


 しばしの後、生きものが入り込んだ肉体は立ち上がり、この場を後にする。

 下水で増殖していた、生きもの達に対する駆除が開始された時刻のことだった。





――――





 新しい住処、人間という生物の体内へ移住するという行為は、生きものにとって予想外の成果をもたらした。

 神経系の解析、知覚を通して得る外界の情報から、彼らの思考や知識、視点といったものを少しずつ理解していったのだ。


 人間という種はサイズに対して個体数が多く、生息範囲も幅広い。今のような形でその体内を住処とすれば、何十億もの同胞がこの広い世界で生きていける。


 肉体の行動を操作することで確認したかつての住処は、未知の脅威により同胞が全滅していた。何者の仕業か、というところは無視できないが僥倖という他無い。

 人間という生物の有用性を知らない個体は、気温が上昇し外界での行動可能になった時点で、食欲に任せて彼らを貪り喰らっていたはずだ。生きもの自身、温度の低さという枷がそのような形で外れていたら、同じ行動をしていたという確信を持っている。


 また生きもの達は、高温や化学物質に対して高い耐性を持つ。人間の身近にあるものを使っての撃退は、ほぼ不可能。

 生きものは同胞のおおよその数、捕食と増殖のペース等から人間のように結果を推論する。住処の上で生活していた人間は、半日と経たずに食い尽くされるというのがその結果だった。


 ただしその後一時的に同胞が殖えたとしても、いずれは人間の報復を受けて駆逐される、と生きものは予想した。


 人間から得た情報を元に判断する限り、生きもの自身の自負する通り彼らの能力は高い。

 だが、人間が自分たちへの対応策を立て、それを実行に移す前に駆逐し切れる程では無い。低温という明確な弱点もある。


 人間についての洞察を深めた今でこそ、付け入る隙が無くはないと言える。だが、人間という存在を知らず、手の内を晒した上で明確に敵対してしまえば、勝ち目は無い。


 故に、人間に認知されることなく一方的に情報を得ることができる、今の状態は都合が良かった。駆逐、寄生、あるいは共生。目指すべき人間との関係性についての判断材料を無数に得られる。


 例を挙げるならば、細胞小器官の起源に関する説がそうだ。


 細胞内共生。ミトコンドリア、葉緑体といった細胞小器官は元々別個の生物であり、それらが細胞内に入り込んだ結果共生が始まり、一つの生物に統合されたのだとする説。


 現状、生きものと人間との関係は共生にあたる。生きものは人間に食物と低温からの防護を提供され、肉体の損傷や異常を修復している。肉片が大きく飛散するほどの衝撃でなければ、現在居住している肉体にとって致命傷にはならない、と生きものは認識していた。火炎や電気のような高温も同様だ。


 不死とまではいかないものの、人間の領域をはるかに超えた耐久性。己がものにと望む人間は少なくないはすだ。

 それを提供する生きものが独自の知性を持ち、記憶や思考を操作し得るのでなければ。


 人間の強みとはすなわち、蓄積した知識と複雑な道具や組織による能力の増幅である。その強みを、生殺与奪の権を握られてしまうことを、人間は確実に許容しない。


 人間が試行錯誤の末に作り上げた数多のシステム。途方もない力を発揮するそれの受益者になりたい、と生きものは考えている。

 可能ならば、自身の持つものを代価に繁栄を享受したい。だが思考を支配し寄生という選択肢も選ぶことが可能と発覚してしまえば、それは叶わない。


 ならばどうするか。一部の病原体の振る舞いが、一つの回答となるだろう。


 免疫というシステムは、体内に侵入した異物を検知、排除する。病原体も通常はこれによって排除されるが、一部のそれはシステムをかく乱させて排除を免れる。時には、免疫システム自身に肉体を攻撃させることすらある。


 人間の社会は、医療や衛生に携わる人間の組織によって病から守られている。この、人体でいうところの免疫に相当する部分をかく乱、あるいは掌握する。人間の社会における、生きものという異物を検知する機能を狙う。そんな戦略が考えられる。


 人間の蓄積してきた知識は素晴らしく、また恐ろしいものだが、全ての人間がその全てに精通してはいない。一部の人間の認知をほんの少し狂わせる、それだけで億を超える人間全ての目を眩ませられる。


 あるいは、記憶や精神に干渉されるというデメリットを隠蔽し、肉体が頑健になるというメリットのみを喧伝することで、人間の側から積極的に共生させることも可能、かもしれない。

 メリットが可視化され、共生者が多数派となればその傾向は加速するはずだ。選択の正誤を問わず、人間は多数派に流される。


 あくまで、現状数ある選択肢の一つでしかない。計画と言えるほどの具体性もない。

 だが、人に自身の存在を認識されてはならないという行動指針は重要だ。


 人がいかにして体内の自身を検出し得るか、より正確な情報が必要になる。


 就寝後に肉体を操作して行う情報収集で得られるものだけでは不足だ。覚醒時の行動もこのような情報に興味を抱くよう脳に対して働きかけるべき。


 未知の脅威に捕捉される可能性を考慮すれば、あまり長い準備期間を取る訳にもいかない。だが、急いて人間に見つかってしまえばそれこそ取り返しがつかない。


 種としての存亡を賭けられるだけの情報収集と思案の後、行動を開始しよう。

生きものが、人の管理下にあった頃の話『ホムンクルス製作キット』。

https://ncode.syosetu.com/n8455ex/

生きものが、地下に住んでいた頃の話『飢えた塊』。

https://ncode.syosetu.com/n8074fh/

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― 新着の感想 ―
[一言] 小生物の一匹が、仲間の不特定多数に向けて書いたという感があります。 ウイルスの営みにも、作戦を立てて行動するという意図があっておかしくないですね。 粘菌にも新幹線の路線を築き上げるほどの知性…
[良い点] タイトルの密航。言い得て妙だ。 [一言] 寄生獣みたい。
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