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02.セラと学舎での一日

 それからしばらくして、いつものようにエレンさんが家に来た。

 エレンさんは僕のおばあちゃんと同じくらいの歳の人で、僕が小さい頃からこの家で働いている家政婦さんだ。

 いつもにこにこしているエレンさんだけど、今日は「お母さんのお弟子さんみたい」と僕が紹介したセラを見て、きょとんと目を丸くしていた。


「あらあら、ずいぶんとお若い方ですねえ」

 エレンさんがそんな事を言ったので、僕はセラの姿をまじまじと見つめてしまう。

 言われてみれば、今まで見たお弟子さん達はみんな、僕よりずうっと年上の人ばかりだった。それはお母さんが、学舎を卒業して基礎的な知識を身につけた人しか弟子にしないからだ。

 だから、僕とこんなに歳の近いお弟子さんを見るのは、確かに初めての事だった。


「いつから奥様のお弟子さんになられたんです?」

 エレンさんが不思議そうに尋ねたけれど、セラは答えない。あまり楽しそうに見えない笑顔を浮かべたまま、じっとエレンさんの顔を見返している。

「ご、ごめんねエレンさん。セラはまだ、言葉が良く分からないみたいなんだ」

 無視されて嫌な気分になっただろうと、僕は慌ててセラの代わりに言う。

 でもエレンさんは気を悪くした様子もなく、「あらあら」と笑いながら、僕とセラのご飯を用意してくれた。


「セラもお腹、空いてるでしょう? 朝ご飯、食べるよね?」

「セラはご主人様が下さるものなら、なんでもいただきます」

 僕まで無視されたらどうしようと思いながら聞いてみたけれど、今度はちゃんと答えが返ってくる。

 椅子に座ってフォークを取り、朝食を食べ始めたセラを見て、僕はほっと息をついた。



 エレンさんは住み込みではないから、ご飯はいつも、自分の家で食べている。だから僕は、朝夕の食事を取る時いつも独りぼっちだ。


 だけど今日は向かいの席で、セラが一緒に食べてくれている。

 別に、わいわいおしゃべりしながらというわけではないけれど――それなのに僕は、一人でない事が、少しだけ嬉しくて楽しかった。



「セラ様、そんな服では風邪を引いてしまいますよ」

 食後エレンさんが、一旦帰った自宅から持ってきた服を、セラに着せてくれた。

 エレンさんの娘さんのお下がりだという、葡萄酒色のビロードのドレス。髪も肌も色の薄い彼女に、そのくっきりとした色合いのドレスはとても良く似合っていた。


 ちゃんとした服を着て綺麗に髪を梳いてもらったセラは、本当にどこかの国のお姫様のようで、僕はしばらく見とれてしまったけれど。

「坊ちゃん、そろそろお出かけの時間ですよ」

 エレンさんにそう声をかけられて、はっと我に返り――少し焦って、セラに挨拶した。


「じゃあセラ、僕は学校に行ってくるから」

 お母さんのお弟子さんなのに、ここに置いて行かれたセラ。僕が彼女に何かをお願いするわけにもいかないから、今日はここで留守番してもらうしかないのだろう。


「セラはお母さんが帰ってくるまで、家で待っていてね」

「セラはご主人様が行かれる場所に、一緒に参ります」

 けれど、ちょっと申し訳なく思いながら言った僕に、セラが返したのはそんな言葉で。

 僕は一瞬、ぴしりと凍り付いてしまった。



 それから、僕はなんとかセラに留守番してもらおうとしたけれど。

「ごめんね、僕は学舎に行かないといけないんだ」

「ご主人様が行かれるのでしたら、セラも一緒に参ります」

「でもセラは、学舎の生徒じゃないでしょう?」

「セラは、セラです」

「……うん。だからセラは、僕と一緒に学舎には行けないんだよ」

「ご主人様が行かれる場所に、セラも一緒に参ります」

 ――僕の言う事に、へんてこな言葉ばかり返してくるセラは。

 可憐な外見に似合わず、とても頑固な女の子だった。



 それからしばらく『待っていて』『ご一緒します』の押し問答が繰り返されて。

 彼女を説得するのは無理だと判断して、僕は大きなため息をついた。


 仕方なく『セラを留守番させる方法』ではなく『セラが学舎に行きたい理由』の方に、頭の中身を切り替える。

 セラが僕と学舎に行ってしたい事。考えた僕は、すぐに一つの可能性に行き着いた。


「ひょっとしてセラは、お母さんに会いに行きたいの?」

「セラはご主人様の行かれるところでしたら、どこへでもご一緒します」

「……分かった」

 どうやらセラは、師匠であるお母さんのところに早く行きたいらしい。確かにここで帰りを待つよりは、自分から会いに行った方が手っ取り早いかも知れない。


 お母さんの研究室がある建物は、学生は立入禁止。だけど建物の前まで連れて行くくらいなら、僕にだってできる。


「じゃあセラ、一緒に行こうか」

「ご主人様の行く場所に、セラもご一緒いたします」

 困る僕と頑ななセラの間でオロオロしていたエレンさんが、このやりとりを聞いて少しほっとした顔をして。

「坊ちゃま、セラ様、行ってらっしゃいませ」

 それでもやっぱり、ちょっとだけ心配そうな顔で、僕達を送り出してくれた。


 ***


 ――ところが。

 学舎に行っても、セラがお母さんに会う事はできなかった。

 お母さんの研究室がある研究棟。その入口に強力な結界が張られていて、入る事ができなかったのだ。


 中で問題が起きたから、一部の教官を除き、誰も入ってはいけない。入口を守っていた警備兵に、そう言われてすげなく追い返されて、僕は頭を抱えてしまった。

「どうしよう……」

 呟いたのちに、この後の事をしばらく考える。

 そして僕はため息をついて、セラを振り返った。


「……僕と一緒に来て。中に入れるようになったら、またここに来てみよう」

 つたない言葉しか扱えない彼女を、一人で放り出す事はできない。だけど僕も、もうすぐ始まる授業をさぼるわけにはいかない。だからしばらく、一緒に来てもらうしかないだろう。


 せっかくここまで来たのにお母さんに会えなくて、きっとがっかりしただろうな。そう思いながら僕は、セラの様子を窺ってみる。

「セラはご主人様と、一緒に参ります」

 だけど、微笑みながら僕を見下ろす薄青色の瞳には、相変わらずなんの感情も浮かんでなくて。

 そしてやっぱり僕の言葉が良く分かっていないのか、彼女は奇妙な返事をしたのだった。


 ***


 講義室に入り、後方の長机の一つに腰を下ろした途端、どっと疲れが押し寄せてきた。

 寄り道をしたせいか、妙に身体が重だるい。隣に腰掛けるセラを横目に、僕は大きなため息をついた。


 途端に、すでに着席していた同級生達の視線が、僕らに一斉に突き刺さる。

 でも僕は、気づかないふりをした――変な目で見られるのは慣れている。セラも多分、人の目はあんまり気にしていない。だから、なんて事なかった。



 この学舎の中に、僕を『ただのシオン』として見てくれる人はいない。

 『天才魔法使いの息子』。生まれた瞬間に与えられたその肩書きが、僕の行く先々にいつもつきまとっているからだ。


 『お母様と同じ、素晴らしい才能の持ち主』『きっと歴史に名を残す魔法使いになる』――大人達が、そうやって僕を褒めそやす。そして子供達に『失礼のないようにお付き合いしなさい』と言い聞かせる。

 だから同級生はみんな、僕を遠巻きにする。必要以上に近寄らず話しかけず、何があっても遠くから見ているだけ。


 友達ができないのを、寂しいと思った事も確かにある。

 だけどその寂しさにも、僕はすっかり慣れきっていた。



 やがて講義室に、教官が入ってきた。

 教官は、僕とセラの姿を見てぎょっとしていたけれど。『母の弟子です』とセラの事を説明したら、それ以上何かを言われる事はなかった。

 授業が始まれば、同級生達の視線も黒板に向けられる。僕はこっそり、ほっと安堵の息をついた。


 そして始まったのは、基礎魔法学の授業。小さい頃からお母さんの蔵書を読んで育った僕にとって、その内容はとても簡単なものだ。

 けれど今日は、その授業の内容がうまく頭に入ってこない。教官の話や黒板の文字を、耳と目が上手に認識してくれないのだ。


 それは、いつも誰も座らない僕の隣に、人の姿があるからだろうか。

 背筋をぴんと伸ばし、黒板をじっと見つめるセラの綺麗な横顔。僕は何度も、彼女の姿をちらちらと窺ってしまい――数十分の授業時間を、なんだかひどく落ち着かない気分で過ごしたのだった。


 ***


 その日の授業は、セラが常に隣にいるせいで調子が狂ったのか、どれも散々な結果に終わった。


 基礎魔法学の授業に集中できなかっただけでなく、その後の魔術実習の授業でも、上手に魔法を発動できなかった。

 僕にはお母さんから受け継いだ魔法の才能がある。だからいつもなら、もっと簡単に魔法を使えるはずなのに――担当教官や同級生のがっかりしたような顔。それを思い出して、僕は盛大なため息をついた。


 とはいえ、午後の授業のためにも、きちんとご飯は食べておかなければいけない。

 僕は重たい足取りで、セラと一緒に食堂に向かった。



 学舎の食堂は、僕らの払った学費や税金で運営されている。だから食べる時に、お金を払う必要はない。

 セラもお母さんのお弟子さんなら、学舎の関係者。だから彼女にも、この食堂を使う権利はあるはずだ。


「セラは、何か食べたいものはある?」

「ご主人様がお召し上がりになるものが、セラの食べたいものです」

 この国の料理の事がまだ良く分からないから、僕と同じメニューでいいという事だろうか。とりあえずそう判断して、僕は二人分のシチューを注文した。



 お昼休みの食堂は混雑していた。

 賑やかな笑い声で満ちたフロアをしばらくうろうろと歩き回り、ようやく見つけた二人分の空席に、並んで腰を下ろす。

 冷めないうちにとスプーンを持ち、シチューを口に運んだ――いつも通り、なんだか落ち着く味がする。僕は少しだけ、気分が軽くなった。


「僕、ここのシチューが好きなんだ」

 そのせいか、誰にも言った事のない、そんな本音がぽろりと漏れた。

「お母さんが時々作ってくれるのと、そっくりな味がするから」

 お母さんは、子供の頃からこの学舎で勉強していて、今もここで仕事をしている。何年もこの食堂でご飯を食べてきたから、ここの味にすっかり馴染んでいるのだろう。


「セラはご主人様のご希望のものを、なんでも作らせていただきます」

「セラ、お料理できるの?」

 すると意外な言葉が返ってきて、僕は思わず顔を上げた。

 聞き返すと、彼女は相変わらず笑っていない笑顔のまま。柔らかそうな唇が、抑揚のない声を紡ぎ出した。


「セラは研究のお手伝いも、身の回りのお世話も、ご主人様をお守りする事も、なんでもできます」

「……セラは、お母さんのお弟子さん……なんだよね?」

 僕はセラの事がまた良く分からなくなって、思わずそんな質問を投げかけてみたけれど。

「セラのご主人様は、ご主人様です」

 返ってきたのは、やっぱりへんてこな答えだった。


 でも僕は少し慣れてきたのか、そんなセラとの会話が少しだけ楽しくなっていて。

「……セラって面白いね」

 ぽつりと呟きながら、ちょっとだけ笑ってしまう。



 ――友達と過ごすって、こういう事なんだろうか。

 セラの隣でシチューを食べながら。僕はふとそんな事を、頭の端っこで考えていた。


 ***


 ――身体に異変を感じたのは、ご飯を食べ終わり、食堂を出てすぐの事だった。



 なんだか手足が、ずっしりと重たい。

 まぶたも重くて、油断すると歩きながら寝てしまいそうだった。


 この眠気は寝不足ではなく、魔力を使い過ぎた時に特有のもの。

 だけど、魔力をこんなに消耗するような事をした記憶はない。そもそも僕の魔力容量はお母さん譲りだから、授業で魔法を使ったくらいで枯渇する事もないはずだ。

 それに魔法使いは、食事をする事でもある程度魔力を回復できる。お昼ご飯をちゃんと食べたのに、まだこんなに魔力が足りないなんて、明らかに何かが変だった。


 だけどそれなら、一体何が原因なのだろう。そんな事を考えながら、うつむき加減で歩いていた僕だったけれど――その時、絹を裂くような悲鳴が耳に突き刺さって、はっと顔を上げる。



 そして、僕は気がついた。

 少し離れた場所で蠢く、異形の怪物の存在に。

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