01.婚約騒動
「エルマー・ライマン、少しいいか?」
昼中の学校の中庭。よく陽の当たるベンチで読書をしている1人の男子生徒の前に2人の男女。声をかけたのは男の方だ。
「……ええ、何か御用でしょうか」
「単刀直入に聞こう。君は彼女、アンゼルマ嬢との婚約に乗り気か?」
男の隣の女子生徒はアンゼルマ・レーガーで、先週ベンチに座る男と婚約の話が出た伯爵家の令嬢だ。
この国の貴族は政略結婚が普通であり、どうしようもない事情がある場合を除いては家の力で縁談が組まれる。救済措置として必ず顔合わせからの打診、という見合いの余地が与えられているが、それでも親の意志は強く働き、恋愛結婚は平民の特権と言われる程、貴族の縁談が苦しみを伴うケースもある。
これだけ結婚が厳しいのには理由がある。流行り病で多くの命が失われた時代に、男女共にあらゆる仕事に就く権利が与えられ、長子であれば性別を問わず家を継げる決まりが定められた。加えて未来の働き手であるこどもの出生率を上げる為、貴族には結婚が義務付けられたのである。この時に成人までの間にほぼ強制的に婚約、結婚という流れも定まった。当時は離れた年齢差も数人の愛人も当然のことであった。
時代が進み、割と安定した時代になった今は見合いという段階が加わり、当時のような強要はない。しかし今更変えられない決まりもある。特に仕事や家の関係をそれ以前に戻そうとすると、当然女性当主側に不利益が大きくなる。女児が多い家系は緩やかな没落の危険性が生じる。女児が多い家というのは結果的に多産であることがほとんどのため、ここまで国に貢献したその家が不幸になる見直しなど誰も認めなかった。
現在、王政は力を弱め、形を残すだけになった。王はあくまでも管理者として上位に君臨するのみだ。王を議長とする議会を貴族が開き、多少の派閥ごとに政を推し進めていく。王自身も国を支えてくれる貴族や平民たちに不利益の大きい政策を推し進めようとは思わない。
そのため、現在のこの国では条件こそ厳しいものの見合い、婚約、結婚という流れと同時に、男女共に切磋琢磨し社会の向上を目指すという、近隣諸国に比べて生産性の高い社会構造が生まれていた。
こうした結婚制度に倣い、先週ライマン伯爵家とレーガー伯爵家の見合いが行われたのである。
ベンチに座ったままのエルマー・ライマンは目の前の男女にどう答えるべきか考えあぐねていた。乗り気と言えばこの令嬢に懸想していることになり、乗り気じゃないと言えばこの令嬢を振ったことになる。
本音を言えばどうでもいい。興味がないのだ。親の意志でどうにかなる婚約にそんな自分の意志など関係ないのだから。それに第三者に乗り気かどうかと聞かれて答える義理もない。
言葉を探していると目の前の美男子が困ったような声を出す。
「私はラングハイム公爵家のリーンハルトだ。聞けばこのアンゼルマ嬢に婚約を無理矢理迫ったと。同じ伯爵家同士だが、いくら貴族とはいえ無理にというのは感心しない」
エルマーは呆れた。そもそもこの婚約はレーガー伯爵家が、卒業後に高級官僚である文官になるエルマーの将来性を見込んで見合いを申し込んできたのである。とはいえ目の前の公爵家の男がもし彼女の恋人であるなら妙なことを言うわけにはいかない。
「……はぁ。私はどうにも。家の指示に従いますが」
やる気のない返答にアンゼルマがわなわなと震える。
「あなたが文官になるから私には苦労させないって、我が家に婚約を持ち込んだんでしょう? 私は断ったのにお話を進めるなんてひどいわ」
これは嘘だ。聞いてくれないのはアンゼルマの親だ。文官の夫というのは文句なしに素晴らしいが、エルマーだけは嫌なのだ。どうにか自分に非がないように見合いを断りたいというのが彼女の本音。
都合良く、憧れのリーンハルトがエルマーを好ましく思っていないという噂を耳にした。この公爵令息は容姿端麗で頭もよく、何より女性に優しい。学校中の女子の憧れであった。
彼にしがみついて泣きながら事情を脚色すれば、すぐに味方になってくれた。
「アンゼルマ嬢はお困りの様子で泣いていらしてね。貴殿は勉強はできても女心には疎いと見える」
リーンハルトはリーンハルトでエルマーが嫌いだった。学校でエルマーに出会うまでリーンハルトは同年代の貴族の中で1番だった。家柄も容姿も、剣の腕も勉強も、女性の人気も。だが学校に入って状況は変わった。エルマーは成績優秀で常に成績は男子の中で1番。それ以外で全部勝てても、何か1つでも格下の伯爵家に負けることをリーンハルトは悔しく憎く思っていた。
だからたまたま泣きついてきたアンゼルマに、エルマーから嫌がらせを受けたと言われ、いつもより数段勢いを持って協力する気になったのだ。
だが目の前のエルマーはアンゼルマに執着している様子はない。アンゼルマは同年代では飛びぬけて美しい少女で、初めはエルマーが彼女に恋をしての暴走と思ったが違うらしい。彼女に興味がないのなら、結婚への執着か? と頭を回す。
エルマーの容姿は端的に言ってひどい。いつもぼさぼさのひどい巻き毛は色も艶のない赤色。量があり長さもあるため、鬱陶しくもっさりとしている。まるでブロッコリーの様だ。前髪は垂れ下がり、顔は暗い。いつも本を読み、話すときも気だるげで感情の起伏が乏しい。自然と、惰性でこちらの相手をしているだけで本当は見下されているような気分になる。
改めてアンゼルマとエルマーと結婚という言葉を見比べ、婚約者の美しさまでこんなやつに負けてたまるかと苛立ちが沸き上がった。
「そんなに結婚したいなら、お前にはもっと似合いの者がいるだろう」
エルマーが怪訝そうな顔をする。
「なんなら私が紹介してやっても構わない」
「誤解があるようですが、僕は別に結婚したいわけではないので、なんでも構いませんが」
エルマーは困っていた。心底どうでもいいのだ。いずれは結婚するのだろうが自分は務めを果たすだけだから。結婚に求めているものはない。
思わず口から出た無礼ともとれる発言にしまったと思うが、目の前の2人は気にしていないようだ。
「そうか。ともかくアンゼルマ嬢に近づくのはやめるよう忠告したからな」
薄笑いのリーンハルトとアンゼルマが去る背中を眺めもせず、エルマーは読みかけの本に目を戻した。
後日、ライマン家に別の見合いが打診された。打診と言ってもこれはほぼ強制的に婚約まで決まっており、「二人は相思相愛である」という噂までついていた。
これらは全てラングハイム公爵家の横やりによるもので、当然レーガー家との婚約話は流れた。こんな嘘で美談の結婚をまとめられるのは公爵家以外にない。この仕組まれた縁談に気が付いたのはライマン家と相手先であるタウベルト子爵家だけ。エルマーの妻となる令嬢ニコラ・タウベルトも同じ学校に通っているため、この見合いの話は公表されたその日から学校中の話題をさらった。
それも相手がニコラだから特に。
このニコラこそ、エルマーが学年首席を争うライバルであり、生徒たちの間で意地悪目的で密かに流行っているランク付けでも、ナンバーワン地味貴族の称号を知らないうちにエルマーと争うもっさり令嬢だった。