ー閑話ーある仮説
なぜ昔の文献が私には怪しく見えて、全てが正しくない様にみえるのだろう。
それを考えたときにある仮説が浮かんだ。
ひょっとして昔の文書って、「苗字が書いてないの?」という実にばかばかしい仮説だった。だが思い出してみると恐らく中国の「正史 三國志」が「三國志演義」になったのは、宋の時代以降だが、そこにでている「諸葛亮孔明」の書いたとされている「出師の表」を思い出す。
「臣亮曰先帝偉業…」で始まる文なのだが、ここには姓が描かれていない。この書式が三国時代のものなら、目上のものに対して苗字はつけなかったのか?となる。
次に日本史を習うと最初に出てくる「臣と連」なのだが、これは、文官(内政官)と武官(軍人)と思っていいらしい。そうすると、内政官はすべて正式には「臣○○」武官は「連○○」になってしまう。たしかにこれではだれがだれかが解らない。
その後天武天皇の時代に「臣、連」から「八色の姓」というものが出来たらしい。数は8つに増えたがそのうち特殊な使われ方(皇族など)に使われるものなどを減らすと5つか6つになる有名なのは「朝臣」でこれはかなり最近まで使われている。でも正式文書に「朝臣〇〇」と書かれると、誰の事か困ってしまう。同名の人間がいた場合が困る。
そんなに同名の人物なんていないだろう?と考えるのだが、時代劇でよく使われた「マロ」、正式には「麿」「麻呂」「万呂」と3種類がマロなのだが、唐へ留学した「阿倍仲麻呂」、聖武天皇の時代の「藤原仲麻呂」この二人は「なかまろ」になる。この二人は、実は、時代もかぶっている。時代が被らないなら同名など山のようにあるが、大体が「○○家」藤原家なら北家、南家、式家、後に、近衛家や一条家に変化していくが、正式には「藤(原)〇〇」である。
こうなってしまうと尊卑文禄がどうのではなく、もはや制度的なものなのだろう。確かにこれでは、誰が誰やらわからなくなる。源頼朝、平清盛はまだいい。足利尊氏(正式名称、源高氏、尊の文字は後に袂を分かつ、後醍醐天皇の本名からもらった文字である)北条時宗は平時宗、となり、関東八平氏など、もはや区別のつけようもないだろう。
そう考えると文書が悪いとは言い切れない。なぜかというと、今売っている「尊卑分脈」なのだが、ものすごく高いうえに、ものすごく量が多い文章らしい。そう考えると、なんとなく書いた人に悪い気がする。そういえば、氏と姓ってあったなと思いだす。
「マイナンバーもない時代にどうしろと言うんだ。」そう言われれば最もである。
単純に、否定してごめんなさい。




