―閑話―最近の歴史上の人物における出典のあやしさ
最近は、歴史上の人物、その周辺の人物に対しての記録に、明らかに不自然な著作があることは述べてきていたが、そのせいで、家系図や一族の名前を調べると、めちゃくちゃになっている。
以前から不自然な系図の繋がり方があったのだが、今はめちゃくちゃである。信長の父信秀」と同じ名前の子供がいたり、ある人物の兄弟と、その孫が同一人物としてリンクされていたりと、めちゃくちゃである。その上先日の「老人雑話」のようなものはまだましで、全くどこを調べても出典はおろか著作者の名前も出てこないものもある。どうやら最近(1990年代の著作)にその名があるようなのだが、その著作自体の信用性がない。著者が解らないうえ、アマゾンのレビューもよくない。
まさかここから、名前のあった本で出典を、持ってきているのではと思うと頭が重くなる。
非常に怪しい文献や、著作者がふえて、ここ20年ほどの記録、著作、などを出典としているものが信じられない。
先日も「蒲生氏郷」の記録を調べていたら、なぜか「大谷吉継」の逸話が混じっていた。そこから調べだすと、まあ無茶苦茶である。名前のあるひとなら、どんな著作か、どこの出版か、どんな人との共著かで、大体の人となりが解ってくる。それを繰り返し、今ある記録から、その人たちの著作、出典の怪しいものを除きながら調べる。
そうやってまで隠すということは、そこには「だれかの」都合の悪い記録が眠っているからだ。
話をちょっとかえる、ギリシア神話と、ローマ神話、後にできたのはローマ神話で、基本、神の名前は変えてある。しかしなぜか太陽の神は「アポロン」とある。
よくよく調べると、ギリシャ神話の太陽の神は「ヘリオス」といい、妻は「セレナ」、有名なテニス選手の元ネタだろう。そして子供もいる。なぜこれをかくすのだろう。
良く調べると、ギリシャに都合の悪い事実にぶち当たる。冤罪なのかもしれないが、ある団体がそれを高らかに叫べば、通った時代である。
歴史とは、記憶暗記するものでなく、その時代に生きた人たちの動き、行動、失敗などから、今にtながる同様な時代に対しての教訓を得るものだと思う。
このように偽造捏造が多くては、その時代に生きた当事者も浮かばれまい。




