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歴史における通説と私見  作者: 鹿島三塁手
平将門ってなんか不思議なんです
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四神 改定稿

世界の歴史、神話、そして宗教、今更ですが奥が深いです。

先日『四聖獣』の話を思いっきり、間違えて書いていたことに気づきました。

龍は皇帝を表すのは正しいのですが、級が必ずしも同じところから現れるものでなく、当然、その国の都もいつも中国の中心にあるわけではない。それを気付かずに考えていたので、結論が変わってしまっていました。

 つまり中国の中心が、中華なのではなく、皇帝のいる場所が『中華なのです』中国の地図を思い出すと、今の首都北京は明らかに北によっています。唐やそのほかの周など都だった長安(現西安)も西によっています。


 中国の中心というなら、地図上なら『武漢ウーハン』あたりになりますが、あそこのあたりは、昔から南方と呼ばれ、逆に首都がおかれた『中原』と呼ばれた土地は黄河流域に多く存在します。

先ほど言った、長安、洛陽、そして三国時代の魏の都『許昌』どれをとっても明らかに北側であり、黄河流域の地域が『中原』なのです。


 次に言った周の都も長安で、そこが首都でした。あそこもぎりぎり『司隷(しれい)』と言われる中原、に含まれます。

 しかし地図上では北は西涼と呼ばれた地域、モンゴルに近く、南も三国志風に言えば、漢中や巴蜀といった、西方南方域が広がっています。そう考えると先ほど言った『皇帝のいるところ』が中華なので、今の北京も中華思想からすれはあそこが中心なのです。


 思い出したのはある単語からでした。『卡拉 ok』知ってる人は知っている中国語です。

これで『カラオケ』と読むのだそうです。中国語は外来の漢字で表現できないものは、一旦『表音文字』にします。

 次に『南天全星』これはどうでしょう。音楽好きな人はすぐにわかるでしょう『サザンオールスターズ』の事だそうです。このように、意味が解ると、それを『表意文字』に書き換えます。

ただし、中国には昔から『自分が一番』という自負があるので、文化がフィードバックしてきても、それを受け入れなかったりします。


 そして龍も青龍以外、黄龍、紅龍、土龍、黒龍に白龍がおり、白龍が『神龍(しんりゅう)』とされ、龍の中のトップに置かれます。北側の聖獣は玄武と呼ばれ、色は玄、黒に似た色とあったので、騙されやすいですが、実際に色で『玄』を検索すると気づきます。あれは黒ではなく『明らかな茶色です』そして中央に置かれる聖獣が麒麟になったり、鳳凰になる場合があるのは、それこそ、西や、南に近い場所(南宋)なんかの場合がそうなります。朱雀は南ですが、南に中心が移ると中央に置かれる聖獣は鳳凰になります。逆に西の長安などに置かれると、麒麟が西から引っ張られてきて中央に来る。そういうことなのでしょう。その都度、首都の場所によって、中央の聖獣が変わるのでしょう。

ですから東西南北上下の6つから対角線を引いた交わる場所が『六合』という意味なのでしょう。


 これに気づいた理由は、古代の様々な地域に神話があり、その神話には星は星座として対応していることが多いのですが、日本ではそれが七夕くらいしかないのです。古来日本は中国の真似をして、平城京、平安京をつくり、陰陽道には天文と、歴が関連します。当然それには、何かの基準がないと不可能でしょう。


 つまり日本の星座は、ほとんどの人の理解のできない星座であると考えると、中国の星座を思い浮かべます。

 中国でも古来からの星座がありますが、それは皇帝と、その周りにある人々を表していて、日本では理解不能な星や星座の名前があります。


 ですがその中でも、北極星ポラリスとその周辺の星には、日本でも古来からいくつかの名前があります。ポラリス(北極星)を、北の一つ星や北辰様、射手座の南斗六星を、南のかじぼし、ふじみぼし、白鳥座のデネブを、あまのかわぼしや、たなばたのあとぼしなど日本各地には、方言によって伝わっている星や、星座名があります。

 しかし、中国や、ギリシャのような精密なものでなく、ある特定の星をさしたものが多いのは、それを体系化する人間が民間にいなかったのでしょう。


 何年か前に映画で、江戸時代に星を観測した男の話がありましたが、それは和暦という、陰陽道から離れた日本独自の暦を作る話でした。

 日本では古来より、暦を作るのは朝廷の仕事とし、陰陽道に『天文方』と『暦方』というのがありましたが、それが分かれたのが『安倍晴明』の師匠、『賀茂忠行』で、晴明に『天文方』息子の家系に『暦方』がわけられて伝わっています。

 当然天文方だった晴明には中国の天文、星座などが伝えられたと思われます。ならば晴明の残したといわれている『八方』の説明書きが不自然なのですよね。


 どうも日本側から考えるのは無理がありそうなので、インドや、メソポタミアから調べるほうが良い気がします。なぜかといえば、メソポタミアには1万年以上前の歴史が残っている地域もあり『文化は高きから低きに流れる』と私は考えるので、そちら側から調べたいと思います。


 世界的に宗教は、古代から近世になる前の『大航海時代』にかなりの、宗教が、多神教から、一神教に改宗させられ、それ以前の神を『悪魔』や『怪物』とする国が、ヨ―ロッパを中心に増えていきました。アッガルドをを含む、シュメールや、バビロンも、原始宗教から、一神教のユダヤ教や、キリスト教、イスラム教が生まれていきます。


 これは、約紀元前3000年の歴史にある『大洪水』アッガルドの神話にある『淡水のアスプ―と、塩水の神『ティアマト』が混ざることによってというのも、中々気になる言葉ですが、明らかに古代の中東はどんどん農業に適さない地域になっていきました。


 そうすると、様々なものに神を見出す多神教より、目の前に見えるもの、この場合は月や太陽でしょう。人は暗闇を恐れる生き物で、火を大事にする生き物なのは、古代この差があいまいだったのが、今ですら、日曜日、火曜日とわけて存在することにもあるでしょう。


 その中に、多神教でありながら、日本と同様に生き残った国があります。インドです。

 あの土地は、宗教的にもあの位置にありながら、多神教が残っています。

 そして、中国というフィルターのない様々なものが残っています。『インドの占星術』なんて言うのは、その最たるものでしょう。あれは、元々中東から伝来した太陰暦の月の道、『白道』を基準に、インドの様々な神があてはめられていましたが、その後、西洋からの文化のフィードバックもあり、西洋の黄道十二星座、中国からの易学の影響を受けつつ、それをすべて彼らなりに整合性の取れる形にしているところにあります。

 そのあたりは、クリスマスを祝い、大みそかにお寺に行き、正月に神社に行く日本人に近いものがあります。


 そこでは仏教において東西南北中心を青、赤、黄、雑色(樺色)、白に分けます。そうして、東に『楽園ホウライ』があるという考えです。正直中国の東西南北が、東の青(蒼)しかあっていなかったのは意外ですが、樺色を茶色から玄も合わせれば2つでしょうか。他は言われると意味は解ります。

 南は太陽の通る道『黄道』から黄色、西は夕日の色で『赤』、北は樺色と言っていますが、インド仏教において北は山ですから『茶色』そして中央が『煩悩を消し、悟ったブッタ』とするなら白なのでしょう。


 しかし、この考え方は、どう考えても太陽暦の影響が大きい気がします。そして、この考え方が、できた頃、おそらくインドでは5世紀頃でしょう。中国は大激動の時代に入っています。


 先日までは、世界史というものを、よく理解していなかったので、宗教史、考古学と共に、少し勉強してみました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


それに比べると、日本は大木、巨木が多く残り、屋久杉だけでなく、日本各地に大きな木が残っているのは、中々面白はあります。

 それで、六合を東西南北上下とその対角線の交わる中心とすると、黒は地下(冥府)、東は青、西が赤と仮定すると、南の黄色は対応するものとして考えると、赤と青の中間色というか三原色から考え、北が青と赤の中間の『紫』中央が混ざった色だと土色の玄、空を白なんて言う感じに分けたくなります。


 中国の星座が北に皇帝があり、なぜか北極星でない星がそのイメージになっていますが、中国で星座は殷を滅ぼした周王朝の象徴ですから、周の成立はざっと3000年前の紀元前1000年ころです。その時の北極星は、今とは違い、その時の皇帝ををしめす小熊座のβ星、が天の中心に最も近い星でした。中国風に言えば『()()()()()()』住んでいる場所が「()()()」、「()()殿()」というのですから北は、紫でしょうね。


 なぜその位置が変わったのかですが、それは古代中国が北方、東方を嫌っていたことにあります。中国史だけではわからないのですが、中国北部には、渤海や契丹(モンゴル系)がおり、三国時代の次の西晋の時代以降中国北部は、その勢力下におかれます。北方民族は、『わざわざ万里の長城を何度も超えたのではなく、その内側に勢力圏を伸ばしていきました。そのあたりは渤海や、契丹などの歴史になるので割愛しますが、北方からの圧力がやっと亡くなったのが『明代』に入ってです。


 明代に、周の神話をSFのようにした『封神演義』、三国時代という北方民族の影響の少なかった時代のフィクション化した『三国志演義』、そして宋の時代北方民族に対抗したことになったアウトローたちの物語『水滸伝』なぜこれが入っているのか謎だった西に楽園の幻想を見た『西遊記』なんかが、一気に書かれたのも、北方の圧からの解放だったのでしょう。

 もっとも、明の後に同じ北方の『女真族』に国を奪われ『清』が成立してしまい、清王朝滅亡後の『中華民国』の成立時の国民を『漢民族』と定義しなければ位いけなかったのは、様々な民族が混ざりあい過ぎているのと、昔の漢へのあこがれがあったのかもしれませんね。 


最近になって、様々な歴史の変更がありますが、ここまでのものがあるとは思いませんでした。

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