面倒な男、後醍醐天皇
太平記では後醍醐天皇は正義の人のように書かれていますが。
持明院統と大覚寺統の相互に天皇を出していたのですが、大覚寺統の後二条院天皇の死後、持明院統の「花園天皇即位し、その在位の前半を父である「伏見上皇」が、後半を天皇の兄である「後伏見上皇」が院政を行い、急死した「後二条天皇」の息子が成人するまでと言う形で「後二条天皇」の弟の「尊治親王を即位させようとします。そうして院政を行うという名目だったのですが、この「尊治親王」即位(1318年)すると、様々に変わったことを始めます。
今まで〇〇天皇と言っていましたが、基本天皇の呼び名がつくのは、譲位後か崩御後です。ですので今の天皇は平成天皇ではありません。「平成」の贈り名がつくのは、譲位後です。ですから今の陛下は「今上天皇(今の上様と言う意味)の呼び名になります。彼は天皇を中心に世の中は回っていると考える人で、「自分は平安時代の醍醐天皇の時代が一番いい時代(天皇にとって)だとおもう。だから今後は私の事を後醍醐と呼べ」っていい始めます。まあ、たまに天皇のころから贈り名を自称する天皇もいたので、周りはしょうがないなあと思いながらつきあいます。
そのあと後醍醐天皇は、俺が一番偉いからと、院政をやめたり、持明院統と大覚寺統の交代で天皇を出すっていうのも辞めちゃいます。周りの人が「おいおい」と思ってたら、日本は天皇のものだから、俺が政治をつかさどるんだって、いいはじめ、各地に幕府打倒を通達し始めます。
この辺でみんなが気づきます「この人。ダメな人だ」って。言い方を変えると「無能な働き者」ってやつで、自分の立場や、周りとの関係のわからない人です。ただただ自分の理想が正しいと思い突き進んでいきます。
彼の行動には中身が伴っておらず、単に自分を中心とした世の中を作ること足か頭にありません。そのため、彼の手足となって働く人にその分の負担が重くのしかかります。よく言えば理想主義、悪く言えば空にの読めない人でした。
言い方はまずいですが、自己中心的な行動の多い人です。




