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歴史における通説と私見  作者: 鹿島三塁手
鎌倉末期から南北朝、なんでこんなにややこしい
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源氏の嫡流(予想外でした)

源氏の嫡流って「どの」源氏なんでしょうね。

 源氏の嫡流で有名の人は?というと大体が、源頼朝か義経、ちょっとひねった人で、善平(頼朝の兄で長子)や頼家(頼朝の嫡子)あたりをこたえる。

 よく歴史を知っているなら「源頼光」やその子孫で「鹿ケ谷の陰謀」に加わった源頼政あたりを答える。


 私は「清和源氏」と区切ったわけではないので、嵯峨天皇の子孫、天皇家で最初に源氏の姓を与えられた「嵯峨源氏」の子孫「渡辺綱」と答えるかもしれない。つまり天皇の子孫で「源氏を名乗ったものは多い」ここからは推測だが、天皇の子孫は親王や王と名前の前に付き、姓はない。つまり姓を与えられること=臣下になり皇統から外れることを意味する。だからその源流と言う意味の「源」であろう。


 今の天皇陛下で125代、現皇太子殿下で126代目となるであろう皇統のうち21の天皇の子孫に「源氏」がいる。途中で途絶えてしまって記録に残っていないもので21系統である。

 逆に「平氏」は何系統記録にあるかと言うとわずか4つである。圧倒的に少ない。その上活躍したものが「桓武平氏」に偏っているため、桓武平氏の系統を「平家」と言う。


 しかし桓武平氏(平家)は嫡流と呼ばれていう清盛系が途絶えているので、滅亡しているように見えるが、平氏の家に生まれ、別の苗字を名乗った者もいる。「関東八平氏」の千葉や上総、もっと下れば、長尾なんかもある。

 織田氏も平氏じゃなかったかと言う人もいるが、織田氏は元々藤原氏が源流で、越前(福井)の織田剣神社(おだつるぎじんじゃ)の子孫である。ただ足利氏が清和源氏だったので、その当時に言われていた「源平交代思想」源氏と平氏が交互に政権を取る、と言うもの。

 平清盛>源頼朝>北条氏(平氏の庶流)>足利氏(清和源氏)とあるので、織田信長に近い誰かが「平氏の方が都合いいですよ」と言って平氏になったのだと思う。


 だがよく考えてみると源氏の通字は「義」であり源頼朝の父義朝も祖父為義にも名前に「義」の字が含まれている。これは源義家、父頼義のころから「河内源氏」の通字でありこの系統を嫡流とするなら頼朝の子にも「義」の文字が含まれていて当然なのだが、頼家、実朝ともに「義」の文字は含まれていない。

 平治の乱(1159年12月~1160年)の時父源義朝には長男「義平(よしひら)」(1160年没)20歳と、次子「朝長(ともなが)」(1160年没)17歳がおり、頼朝は13歳でした。

 そして父義朝と次子朝朝は落人狩りに、長子義平も頼朝と同様に父とはぐれ東国に落ち延びる最中に落人狩りで殺害されています。ちなみに長子である義平には「悪源太(あくげんた)」という別名がありこのころの「悪」とは「わるい」ではなく「つよい」と言う意味なので「強い源氏の長男」と言う意味になります。このことから生きていれば義平が嫡流で頼朝は庶流であった可能性が高いと思われます。

 しかし歴史は「生き残った者が作る」ため、兄二人を失った頼朝が嫡子と伝わっていますが、源氏の嫡男ならいくら平清盛が甘いからと言って生かすはずがありません。13歳で平治の乱に参加していても伊豆に流罪で済んだのは、弟、範頼や義経と同じく嫡流とみなされなかったからでしょう。


 足利氏の通字は「氏」であり父も貞氏で、あり長子の高義(たかよし)(1297-1317)の弟であり高氏は次子です。長子の「高」も北条高時からの偏諱であり、妻も北条家からもらっています。つまり 北条家はこの時点で足利家を源氏の嫡流と認めたうえで偏諱を与えたということになります。

 ですから足利尊氏以降の将軍は二代目義詮以降「義」の文字が入ります。


 徳川家康の改名時には足利家は存在しており、天下取りなんぞ考えたはずがありません。そもそも「松平」家は賀茂氏の子孫が三河、松平郷に土着したものが祖先となっています。そして松平氏は家康の家系以外にも存在し、家康は箔をつけるため上州新田氏の子孫を名乗ったわけです。


 おそらくこの改姓には遠江、三河に勢力を古くからもっていた「吉良氏」がかかわっていると思われます。「足利が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われた名家です。

 吉良家の通字も「義」であり、忠臣蔵で有名な吉良は「吉良上野介義央きらこうずけのすけよしひさです。新田氏の源流である上野(群馬)と源氏の通字である「義」が入っています。一方徳川氏は通字が「家」で源義家の「義」の源氏の通字でない方の家の方をとっています。

 同様に清和源氏を称している佐竹氏も通字は「義」で足利氏と同じです。と言うことは徳川家康は、今でいえば本名を名乗らず芸名を名乗るようなものでしょうか。

 そうなると忠臣蔵にも裏があるように見えますね。その他にも新田氏の末裔(清和源氏)を名乗ったおかげで子孫が苦労することになります。


 そうそう、最初に言った清和源氏の嫡流が長男である源頼光であるとすれば、その子孫は美濃に下り、「美濃源氏」と言われています。その庶流には土岐氏や、明智氏もいます。と言うことは明智光秀は源氏の嫡流と言えるでしょうか?


これは調べて予想外でした。

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― 新着の感想 ―
もう少し調べて書いた方がいいですよ 悪源太義平は保元の乱〜平治の乱の時点で無位無官、一方、三男の頼朝はといえば同時期には既に複数の叙位除目を経験しており、ステータス上からして明らかに嫡男扱いです 付け…
2024/12/22 20:47 えっとですねー
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