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歴史における通説と私見  作者: 鹿島三塁手
第一章 越後上杉、長尾家の暗闘
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第1話 越後上杉家と長尾家の成立

越後上杉家や長尾家については、小説「天と地と」や「天地人」により描かれていますが、謎や、整合性に不具合のある部分も見られます。なぜでしょうか。

 まずは、よく講談などで語られる上杉謙信で有名な、越後の長尾、上杉氏の事ついて書いてみたいと思います。


 まずざっくりと上杉氏、長尾氏の流れについて述べたいと思います。

 上杉氏は藤原北家の子孫が、丹波の上杉の荘に土着し上杉氏を名乗ったことが、始まりとされています。そして鎌倉時代に源頼朝家の断絶により、京都から6代将軍に就いて、鎌倉に鎌倉に下向しぶけとなります。

 そしてその後上杉家から足利家への婚姻によりうまれたうまれたこと子供が、室町初代将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)直義(ただよし)の生母となり関係を強め。室町幕府成立後は上杉氏が上野(こうづけ)越後、武蔵、相模の守護と、関東管領職を世襲していくことになります。

 それが戦国時代になると、越後上杉家、山内上杉家、扇谷(おうぎがや)上杉家などに分裂していきます。


次に長尾氏について述べます。長尾家は平将門(たいらのまさかど)良文(よしふみ)の子孫関東八平家(かんとうはちへいけ)の一つ、鎌倉家の分家と称しています。それが上杉氏の守護代として仕え上杉氏の分裂によって、長尾氏もそれぞれの上杉氏に別れ仕えます。

 その一つが越後長尾氏で、その長尾氏も戦国時代には上田長尾氏、古志(こし)長尾氏、三条長尾氏に分かれます。そのうち三条長尾家が守護代の立場を強くし、長尾為景(ながおためかげ)(1486-1543)が越後上杉氏に対して下克上を行い事実上の実権を握ります。その四男が長尾景虎、後の上杉謙信(1530-1578)になります。

上杉謙信は下克上を起こした長尾為景の末子となっています。

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