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歴史における通説と私見  作者: 鹿島三塁手
第3章 本能寺の変と謎の記録
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織田信長暗殺を考えるきっかけ

吉宗について書いたとき、春日局を知らべるうちに気になりだしました

 今回は、本当に何となく気づいたことが、次々と線になっていったので、そのことからお話しします。吉宗の章を書いているとき春日局の名前を出したのですが、その時「なんでこのひとは家光の乳母」になったんだろう?という疑問がわきました。

 よくあるのは高札立っていてそれを見てという説ですが、将来の将軍候補にそれはないでしょう、と考えると自薦または推薦だと思われます。



 斎藤福(1579年―1643年)父は明智光秀の重臣であり、母は稲葉一鉄の娘にあたる人物です。父である斎藤利三(1534-1582)は稲葉家から明智家に仕え明智家においても筆頭家老に近い位置にいた人です。その後1582年に明智光秀の謀反で織田信長はなくなり、光秀も羽柴秀吉に討たれます。その重臣の斎藤利三の娘をなぜ家光の乳母にしたのだろう。私の疑問はここから始まりました。譜代や松平一族に乳母候補はいなかったのかと。


 次に徳川家康と、明智光秀に接点はなかったのだろうかと考えました。すると秀吉で有名な「金ヶ崎(かねがさき)の撤退戦」(1570年)が目に留まりました。

 この戦いは正確には「金ヶ崎の戦」と呼ばれ、太閤記にあるような秀吉が志願をして、撤退しながら戦ったものではなく、金ヶ崎城に秀吉の他に摂津守護である池田勝正、明智光秀、そして徳川家康が残り、籠城後に撤退した戦となっています。そしてその後の記録では、直後のものには家康のものはなく、江戸時代のものには家康の名前があります。この戦は撤退しながらのものではなく、金ヶ崎城で織田方が向けえうち筒見事な撤退戦をおこなったものです。このあたりは秀吉が天下を取った後の伯付のために単独の撤退戦としたというのが事実でしょう。ともかく家康と、光秀はこのころからお互いを知っていたことが解ります。


 次に春日局の父斎藤利三と、稲葉家の関係です。斎藤利三は最初の妻のあとに後添えとして稲葉一鉄(1515-1589)の娘をもらっています。その子の中に斎藤福がいます。

 稲葉家から明智家に主を変えたことに対しても「稲葉家譜」という稲葉家の記録に1582年の本能寺の4日前に裁定が決まったとあります。

 しかし斎藤利三は明智秀満(1536?-1582)と共に明智家の家臣筆頭格で、1579年に光秀の丹波平定が終わった時に、城主に任じられています。そんな人間を稲葉家に返せと言えるのでしょうか?「稲葉家譜」は信用性の薄い文書とされています。もしこれが後の後付け、稲葉家と明智家の親密さを消そうとするものならば何故そんなことをしたのでしょう。斎藤福は稲葉正成(1571-1628)は稲葉一鉄の長庶子(ちょうしょし)(正妻でないものの子である正室のより年長な子)である稲葉重通(生年不詳ー1598)の娘婿として稲葉家に入ります。しかし妻に先立たれ、当時稲葉家で養育されていた斎藤福を稲葉家の養女とし、後添えにもらいます。


 稲葉家と斎藤家はどうも仲が悪いようには見えません、血縁からみても、様々な行動から見ても逆に仲は良いように見えます。元々明智光秀は斎藤道三の時の家臣明智一族と言われ、信長の正室帰蝶とも面識があったと言われています。道三と義龍の争いで明智家は道三につき、稲葉は義龍に付きます。そのため義龍に、明智は攻められ、一族は離散します。


 そして信長の美濃平定後、朝倉氏に落ち延びていた足利義昭(1537-1596)に信長への使者として(1568年)赴き、そのまま織田家の家臣としてとどまります。いくら将軍家筋の使者としても、即取り立てられるのは不思議です。実際に帰蝶もしくは他の美濃の一族に顔がきいたのでしょう。


 なぜ徳川家と、稲葉家がこんなに近いのでしょう

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