大日本史の限界
大日本史にも限界があります。
大日本史と言えば徳川光圀によって開始された日本史の編纂によって200年以上たった明治期に完成した歴史書と言われています。これによって細かな日本の歴史が残っているといっても過言ではありません。
これは神武天皇から南北朝統一の1392の後小松天皇ことを記録したものとなっています。
現在の天皇家は南北朝統一時の北朝の流れを汲んでいますが、大日本史では「南朝」を正統な血統としています。なぜでしょう。
答えは徳川家の血統にあります。徳川家初代将軍家康は松平から徳川に改名する時に「徳川家の祖先新田氏の領地徳川からとった」と言っています。新田氏と言えば南北朝時代南朝側に仕えた新田義貞で有名です。多分この時の家康は、今の足利家に対抗できる名家なら南北朝時代に戦った新田氏だろうと、考えたと思われます。
しかし現在続いている天皇家は北朝側の子孫であり、北朝を正統とすると、徳川家は逆賊の子孫になってしまいます。さすがに徳川御三家と言われる水戸徳川家では南朝を正統とせざるを得なかったのでしょう。
その時のノリや勢いで名前を付けるとあとで困るのは、今も昔もかわりませんね