八. ~鬼の帰郷~
ガタゴトガタゴトと列車に揺られながら、村から逃げたときのことを思い出していた。あのときも、ありったけの金を使い、列車に乗ったはずだが、このように揺れを感じる余裕もなかったのか記憶が曖昧である。気がついたときには神島を歩いており、柚葉に出会った。
幾度か乗換え、村から一番近い駅に着くと、すぐにタクシーに乗った。バスという選択肢もあるが、桜と出かけたあの日のことをできるだけ思い出したくなかった。
しばらくして、懐かしい風景が見えてきたのでタクシーを停めてもらった。家の前まで行く予定だったが、少し村を歩いてみたいと思った。バスの数倍もするタクシー代を払い車の外に出ると、冬の空気が肺を満たした。
村は何も変わっていない。見上げる冬の空はビルに囲まれた神島のそれより広く高く感じる。変わったのは季節だけで、あれほど暑かった村の道には雪が少し積もっていた。
ふぅっと白い息を吐いて実家に向かって歩きだそうとしたが、その一歩はとても重く感じた。荷物はけして多くはない。ただ腕に抱えた軽いはずの骨壷が俺の歩みを重くさせるのだ。
実家まで歩いている途中、神島駅まで送ってくれた六条先生との会話を思い出していた。
「事件のことは任せて欲しいと言ったのに、こんな結果になって申し訳ないと思っているわ」
俺は窓の外を見ていたが、ガラス越しに六条先生の顔を見た。その顔は苦悶に満ちている。
「先生のせいじゃありません。犯人が悪いんです。それに桐ねぇは実家に帰っているものと思った俺も悪いです」
「そこが気になるところね。桐子さんは朝に出かけたのに犯行は夜に行われたわ。犯人に監禁されていた可能性もあるわね」
桐子が監禁されている様子を想像して、心臓が苦しくなった。先生の予想は外れていて欲しい。
「桐ねぇはまだ調査していたかもしれません」
桐子は早朝に出ていったが、そのまま帰宅の途へついたとは限らない。何に興味を持つかわからない桐子である。どこかで道草を食っていたかもしれない。
「その調査についてだけど、桐子さんは一人で調べていたのかしら。桐子さんは神島には土地勘がないはずよ。協力者がいてもおかしくないわ。例えば、探偵とか」
確かにそうだ。いくら桐子が優秀だからといって、これだけ短期間で父のことと猟奇殺人のことを調べ上げるのは困難なことである。
「協力者がいたとしたら、犯人かもしれませんね」
「いずれにしても、犯人は必ず特定してみせるわ」
六条先生の言葉に同意した後、車内は再び沈黙に包まれた。
実家へ続く道をゆっくりと歩いていると、ところどころで知り合いに声をかけられた。
「桐子ちゃんは残念なことじゃったねぇ。まだ若いっていうのに」
だいたい同じような言葉の裏に事件のことを聞きたいという雰囲気を感じ、そうですねとだけ答えて、家路を急ぐことにした。実家についた頃にはタクシーでここまで来ればよかったと後悔していた。
久しぶりに見る実家はとても広く、とても古く見えた。実際、庭も広く、家は古い。ただ、柚葉たちの洋風の綺麗な家と比較してしまっていることもあるだろう。それに今の心境がこの家をさらに古く、暗く感じさせていた。
玄関の扉には鍵がかかってなかった。やっぱり田舎だなと軽く笑って扉を開けた。
玄関に荷物を置いて靴を脱いでいると、足音が聞こえた。祖母は足が悪いのでこれほど急ぐことはできない。俺は丘山刑事に言われたとおり強く心を持とうと覚悟した。
「じょう……ちゃん?」
玄関前の廊下で桜は足を止め、俺のことを夢でも見ているかのように見つめていた。
桜は引きこもりのようになっていたと聞いたが、その可愛らしさはまったく変わっていなかった。きっと桐子が励まし続けたおかげだろう。肩まで伸びた髪の毛は柚葉を思い出させた。
「そうだ、俺だよ。久しぶりだな。今日は桐ねぇを連れて帰ってきた。ほら、桐ねぇ。桜が迎えに出てくれたよ」
俺がそう言うと、桜はつまらなさそうに骨壷を見た。
「丞ちゃん何を言っているの。お姉ちゃんは出かけててしばらく帰らないんだって」
「だけど、桐ねぇはもう・・・」
「いつもふらっといなくなって困っちゃうよね。今もきっとどこかで調べ物をしているんだよ。さぁ、そんなところに座ってないで、中に入って。ここは丞ちゃんの家なんだから」
桜の言葉に困惑しながら部屋の中へ入っていくと、座布団の上に上品に座って祖母が待っていた。
「ばあちゃん……」
「おかえり、丞や」
優しい祖母の声に涙が溢れた。
「ばあちゃん、ごめん……」
「何を謝ることがある。丞が桐子を連れて帰ってきてくれた。それだけで十分」
そう言って、祖母は俺の側に寄り、風呂敷を外して骨壷を撫でた。桜はそれを不思議そうに見ている。その様子を見て、俺は小声で祖母に尋ねた。
「ばあちゃん。桜は大丈夫なのか」
ばあさんはため息をついて、小声になることなく答えた。気にしないで良いということだろう。
「桜は桐子が死んだことを理解しておらん。ニュースを何回も見ているはずなのに、まったく反応もしないよ。丞がおらんようになってから、心労が絶えなかったから、心を閉ざしておるんじゃろう」
桐子が言っていたとおり、桜は俺が出ていったことを自分のせいだと責め続けたのだろう。ただでさえ精神的に不安定だったのだ。姉の死を受け入れることができないのかもしれない。
「引きこもりのようになっていたと聞いていたよ。でも、今の桜は桐子のことは別として、まったく俺が出ていったときと変わらないじゃないか」
「そうだね。たしかに先日まで桜はふさぎ込んでいた。元気になったのはお前が返ってくると聞いてからだよ。桜にとって、それほどお前の存在は大きい」
俺にとっても桜の存在は大きい。だから、あのとき拒否されたことで自分を見失ってしまった。
「ばあちゃん、聞きたいことがあるんだけど……」
「まぁ、荷物ぐらい置いてきなさい。もうすぐご飯もできる。話はゆっくりすればええ」
荷物もそのままにしていることに気づいた俺は自分の部屋へ向かった。
部屋に入ると、背後に桜がついてきていた。
「ねぇ、丞ちゃん。あの日のことだけど……」
桜が言っているあの日とは、俺が桜の前で初めて能力を使った日のことだろう。
「丞ちゃんが助けてくれて、私本当に感謝してるの。でも、あんなことを言ってしまって、丞ちゃんを傷つけちゃったよね」
桜のせいじゃないと言いたかったが出てきた言葉は違うものだった。
「あのときの俺はどんな感じだったんだ」
この質問に桜は驚いたような顔をした。
「覚えてないの?」
もう一度、あのときのことを思い出そうと努力したが、無駄なことだった。
「自分ではわからなかったんだ。眼の前が真っ赤になって、気づいたときにはあの状態だった」
「……私が見た丞ちゃんはいつもの丞ちゃんじゃなかった。目が血走っていて、体も一回り大きく見えた。それにね、頭にガラスみたいな角が生えてた。それを見たとき、私怖くなっちゃって……。ごめんなさい」
桜にとっては思い出したくもない記憶であろう。答えてくれただけありがたかった。
「そんなふうになっていたのか。それじゃあ、もう普通の人間じゃない。桜が怖がっても不思議じゃないよ」
「でも……」
「桐ねぇがね、鬼の伝承について調べていたんだ。この村には鬼の一族が住んでいるって伝えられているんだって。もしかしたら、俺は鬼かもしれないな」
「じゃあ、私も鬼の一族だね。そう思ったら、あのときの丞ちゃんも怖くなくなってきたかも」
桜は嬉しそうに微笑んだ。
夕食を終えて、俺は祖母と話をすることにした。
「ばあちゃん、父さんと母さんについて聞きたいんだ」
「なんだって? 聞こえないね」
祖母の耳が遠いなんて話は聞いたことがない。
「ばあちゃん、これは桐ねぇが話してたことだけれど、父さんと母さんは神島市に住んでいたの?」
「わしとじい様の出会いはとても素敵だったよ。わしは村で一番の器量よしと言われていてね、じい様ったら……」
どこまでとぼける気だろうか。俺は祖母が話してくれるのをずっと待った。しばらく聞くふりをしていると、祖母は一度お茶を飲んで、曲がりかけの背中を少し正したように見えた
「ふぅ、仕方ないね。丞も知っても良いころじゃろう」
どうやら根負けしてくれたようだ。
「あれは二人が出会って一年が経った頃じゃったか。二人は結婚したいとじい様に言いにきた。だが、元々付き合いをよく思っていなかったじい様は大反対しての、その結果二人は駆け落ち同然で村を出ていったんだよ」
「でも、俺は村で生まれたんだろ? なんで、父さんたちは戻ってきたのさ」
「理由はわからん。だが、二人は逃げてくるように村へ戻ってきた。もちろん、じい様は激怒したが、娘の腹の中にお前がいることがわかって、しぶしぶ村で住むことを認めたんじゃ」
やはり、村に帰ってきた理由ははっきりしない。何があったのかが両親のことを知る上で大事なことだと思うのだが、証拠が出てこない。
「父さんが母さんを殺した理由がわからないんだ。警察だって父さんを探している様子がないし。それに母さんは亡くなる前に酷く体調を崩していたそうじゃないか。本当は病気で死んだんじゃないの?」
「いいや、じい様の言うとおり、お前の父親が殺したんだよ」
それだけ言って、祖母は黙った。俺は違う方向から話を進めることにした。
「それから、これは馬鹿馬鹿しいことかもしれないけど、俺たちには鬼の血が流れているんじゃないのか」
飄々としていた祖母の顔が驚きに変わった。
「お前、何か兆しがあったのかい?」
ふいに出た言葉に祖母は後悔しているようだったが、ある程度予想していた結果に俺は冷静だった。
「俺は普通の人間じゃないことはわかっている。それを桜に見られたから家から出ていったんだ」
「そうだったのかい。桜は何も言わなかったからね……」
「鬼の伝説は本当だったんだね。ばあちゃんや桜にも鬼の力があるってこと?」
「……確かにわしや桜、桐子にも鬼の血は流れている。だけど、鬼としての能力を持っているのは極わずか。その能力がお前にあることはわかっとった」
「わかっていた?」
「ここからはお前にとって辛い話になるが、お前を身ごもった娘は腹が大きくなるにつれて、精気を失っていったよ。お前が生まれた頃には床に臥せっていた。それでも、お前に乳をやると言って聞かなかった娘はどんどんやつれていった。それは、お前が娘から精気を吸っていたからなんだよ。鬼の子は親から魂を吸って成長すると言われている。わしも経験したことだが、母体が健康体であれば、それほど問題になることではない。だが、元々体の弱かった娘は耐えることができなかった」
衝撃だった。母さんが病気に苦しんだ原因は俺にあるという。そんな事あるはずないと叫びたいが、俺は何人かの意識を吸う体験をしていることに関係があるのではないかと気がついた。
「じゃあ、俺が母さんを殺したんだね……」
「いや、そうではない。殺したのは間違いなくお前の父親だよ。」
絶望していた俺は祖母の否定の言葉によって自分を取り戻した。
「お前の父親が殺そうとしたのはお前のことだ。あれはお前が二歳になるかならないかぐらいのことじゃったか。どうやって調べたのかわからんが、お前が鬼であることを突き止めたらしいあやつはお前を殺せば娘が元気になると思ったのだろうね。ある日、お前を刺し殺そうとした。だが、娘はお前を殺させまいと庇って死んだ。お前の父親は発狂して出ていってしまったよ。じい様は死ぬまでお前の父親を許すことはなかった」
父は俺を殺そうとしていた。それは悲しい事だったが、その行動は母を守ろうとしてのことだ。その事実を知ると父親を憎む気持ちが薄れていくのがわかった。
「お前の母親は強い子だった。どんなに自分が苦しんでも弱音を吐くことがなかった。お前のことも夫のこともとても愛していたんだろうね」
次の日、桐子の葬儀が行われた。俺は喪主として奔走していたが、忙しさで桐子を思い出すのを誤魔化していた。桜は祖母に言われるまま制服に着替えて葬儀に出席していた。何が行われているのかわからないという表情で、親族からお悔やみの言葉を聞いても理解していないようだった。
葬儀が終わってから、桜は祭壇をじっと見つめていた。
「あのお姉ちゃんの写真、丞ちゃんが撮ったやつだよね。すごくいい表情してる。お姉ちゃん、私にもすごく優しかったけど、あんな表情はしてくれなかったな」
桜は花に囲まれた桐子の写真を眩しそうに眺めている。
「そんなことはないだろう。俺と桐ねぇは口喧嘩ばかりしてて、俺には桐ねぇの笑顔が思い出せないよ」
「わかってないなあ。お姉ちゃんは丞ちゃんのことが大好きなの。もしかしたら私よりも好きかもしれない」
そんなことがあるものかと首をひねった。
「今度、ちゃんと顔を見てみて。きっと素敵な表情をしてるから」
それは二度と叶わないと桜には言えなかった。
葬儀が終わって数日が過ぎ、落ち着いてきた頃にふと思い出した。
そういえば、桐子の荷物の中に資料のようなものはなく、手帳にも特に気になることは書いてなかったと丘山さんは言っていた。犯人が持ち去った可能性もあるが、こちらの家に置いているかもしれない。
俺は何かないか探すべく、桐子の部屋へ入った。部屋の中はモノで溢れていて、資料どころではなかった。まずは片付けなければ。
掃除を続けること数刻、古い日記のようなものが見つかった。開けてみると、ボールペンで事細かくその日あったことが書かれていた。日付を見ると、だいぶ昔のものだ。
――これが父さんの日記か。
桐子が以前話していた日記ではないかと、ページをめくっていった。あるページに目が止まった。
『この村には心を操る鬼が住んでいるというが、まさにそのとおりである。私は彼女に一瞬で心を惹かれた。彼女と話していると、なんとも楽しく幸せな気持ちになるのである。彼女が鬼であるとしたら、鬼とはなんと心優しいものだろうか』
これは父が母と会ったときの日記であろう。まるで、子供のように母への愛情が素直に書かれている。
「父さん、恥ずかしいこと書くなあ」
少しこそばゆい気になりながら、さらにページをめくっていった。
『この村に足を運んで、一年になる。今日、彼女に結婚を申し込んだ。彼女はとても喜んでくれたが、少し寂しそうな顔をしていた。お父さんが許してくれないことを気にしているのかもしれない。私はそれでも彼女と一緒にいたいと思っている。いざとなれば、神島で彼女と一緒に暮らそう』
日記はさらに続く。
『本当に彼女と神島で暮らすことになるとは思わなかった。彼女は何の文句を言うこともなくついてきてくれた。二人を幸せにすると決めたのだ。この街で私ができるすべてをかけて、二人を守っていこう。兄貴には世話になるが、もう頼りになるのは兄貴しかいない』
この日記は両親が神島へ移住したところまで書いてあるようだ。兄というのは柚葉たちのお父さんのことだろう。
内容は桐子が言っていたことと一致する。
――父さんについては進展なしか。
次は猟奇殺人についての資料を探した。猟奇殺人についての資料はかなりの数が出てきた。まずは桐子が書いた手記のようなものを読んでみた。
『猟奇殺人と呼ばれるものは異常者が異常な理由で異常な方法をもって殺人を行うことである。その視点からいえば、今回の事件は猟奇殺人といっても良いだろう。
人間の行う殺人は二つで区別されると考えている。感情のある殺人と感情なき殺人である。この事件の被害者に共通点がないところから、通り魔的な感情なき殺人と考えるのが普通である。もちろん、加害者にとっては殺したい欲求をぶちまけたことですっきりしたいという感情があるのかもしれないが、これほど多くの殺人を行っている時点で人間の持っている感情のブレーキは外れているのは間違いなく、その点から異常者といえる。
ただ、これは犯人が人である場合のことである。この事件の加害者には特徴的な犯行がある。それは、人肉を食っている可能性があるということだ。被害者の遺体から唾液が検出されていることから、食べるなり舐めるなりしたことは間違いない。唾液や歯型などは大きな証拠となる。それでもそれらの行為がなされているということは、加害者は捕まることを恐れていないのだろうか。
だが、私はこうも考える。加害者にとって、これらの犯行は食事に準ずるものなのではないだろうか。人が牛や豚を食べるときに後ろめたさを感じないように、加害者はただ食事をとっているのではないか。そうすると、加害者は人を牛や豚と同じように思っている人ではない何かである。
そこで、その人ではない何かは異形であると私は考える。異形とはこれまで発見されていない能力を持つ存在だと思ってもらえれば良いだろう。私の専攻する民俗学では異形がいた伝承や証拠が多くみられる。その異形と総称されるものが、伝承のとおり人智の及ばない能力を持っているとしたら、この事件は猟奇的殺人というよりも、猟奇的になってしまっている殺人といえる』
手記はまだまだ続いていたが、やはり桐子が犯人は異形だと考えていたことは確かだ。それからも犯人が異形であるという考えと異形の伝承や能力について書き連ねているが、最後にこう書かれていた。
『私は異形の存在について一つ心あたりがあるのだ』
薄々感じていたが、桐子は俺が起こした事件を調べているうちに、俺が異形ではないかと疑っていたのだろう。神島で桐子が行った異形についての講釈は俺に聞かせていた節がある。殴り書きされた紙を見つけたとき、その考えは確実となった。
『桜からやっと事件のことを聞き出した。やはり異形は存在する。なんと素晴らしいことだろう』
桐子は桜が何も話してくれないと言っていたが、桜の口を割ることに成功していたようだ。桜は独りで抱えることに限界があったのだろう。最も信頼できる桐子に話をしていてもおかしくはない。
別の資料を見てみる。そこには新聞記事が貼られていた。新聞記事の見出しにはこう書かれている。
『妖怪の発見か。神島における警察局の謎の行動』
記事によると、神島において警察局による何かの捜査が行われていたそうだ。その捜査を行っていた部署が妖怪や怪奇を専門とした特殊部隊であると書かれている。
三流新聞の記事であろうが、桐子は興味を持ったようだ。
『この警察の捜査と叔母たちが村へ帰ってきた時期は近い。叔父と叔母はこの関係で警察から逃げてきたと考えるのは飛躍しすぎだろうか。
しかし、警察局にこのような部隊があるとしたら、異形は本当にいるのかもしれない。私は心が踊って仕方ないのである。』
両親が村へ戻ってきた理由の考察が書かれていた。
俺が鬼の血を引いているということは両親のどちらか――母で間違いないだろう――が鬼ということだ。この記事が本当だとしたら、警察の捜査の対象になっていてもおかしくない。
それに気づいた両親は神島を離れ、母の故郷の村へと逃げてきたのではないか。
――特殊部隊か。
陳腐な響きだが、このような部隊がまだ存在しているとしたら、俺や六条先生も安心してはいられない。
別の資料にはまた新聞の記事が貼られている。
『難病の少女、奇跡の復活』
『治療法がなく、まもなく死を迎えようとした神島病院に入院していた七歳の少女が一夜にして全快した。この事実に医療機関は治療法の発見に向けて、少女に研究協力を要請したが、少女と両親は断固拒否した。少女の病気が突如治った原因は謎に包まれたままとなった』
この記事の内容に興味というより既視感を覚えた。
――そうだ、六条先生の記憶。
病気で苦しんでいた少女を吸血鬼の眷属としたと言っていた。場所が神島病院ということは、六条先生が言っていた子の可能性が高い。桐子はこの事件に異質な力が加わっていると考えたのだろう。
さらに資料を探していたとき、桜が部屋に入ってきた。
「ねえ、どうしてお姉ちゃんの部屋を片付けてるの?」
「遺品を探しているんだ。桐ねぇは俺の父さんや猟奇殺人事件のことを調べていた。何か資料がないか探してたんだよ」
「そんなの本人から聞けばいいじゃない」
――またか。
「桜、桐ねぇは死んだんだ。もう会うことはできない」
「何を言っているの……」
「もう一度言う。桐ねぇは死んだ。猟奇殺人に巻き込まれて死んでしまったんだ」
「嘘よ! 丞ちゃんがいなくなった後、お姉ちゃんはずっと私のそばにいてくれたんだよ。お姉ちゃんがいなくなったなんて信じられないし、耐えられない!」
村に返ってきてから初めて桜が桐子の死について触れた。桜の正気を取り戻せるかもしれない。
「わかってる。だから今度は俺がそばにいるって言っているじゃないか」
「わかってないよ。だって丞ちゃんは一回私を置いていったじゃない!」
桜の慟哭を黙って聞くことしかできなかった。
「誰がお姉ちゃんを殺したの」
桜の声色が低くなる。
「まだわからない。でも俺が絶対見つけてみせる」
「わからないんだ……」
虚脱したふうに見えた桜だったが、俺の顔を見ながら震えだした。
「そうだよ。猟奇殺人って普通の人じゃできないって言ってた。でも丞ちゃんならできるよね。丞ちゃんはあのときも普通じゃなかったもの。お姉ちゃんを殺したのって……」
桜のたどり着いた考察はあまりに俺にとってショックなことだった。
「違う! 俺は桐ねぇを殺してなんかいない! たしかに俺は人間離れした能力を持っている。だけど、それは俺だけじゃないんだ。俺も桐ねぇを殺したやつを憎んでいるんだ。だって俺たちは家族だろう。そんなことできるわけない。信じてくれよ」
そう訴えた俺を桜は怯えたような目で見ている。俺はこの目を知っている。
もう限界だった。俺は桜の横を通り過ぎ、自分の部屋へ閉じこもった。
しばらくすると、電話が鳴っていることに気がついた。
「もしもし」
「丘山だが、夜分にすまないね」
この人は俺が落ち込んでいるときに現れる。
「いえ、だけど電話をかけてくるなんて、何かあったんですか」
「実はね。君のお姉さんが神島市である男と会っていたという供述がとれたんだ」
「ある男? 誰ですか」
「名前は爪崎という。聞き覚えがあるかい」
体が熱くなりそうなのを何とかとどめた。あいつが関わっているというのか。
「知っています。関係があるわけじゃありませんが、何回か話しかけられたことがあります」
「会ったことがあるとは驚いた。どうやら、お姉さんはその男に何かしらの調査を依頼していたらしい。爪崎は情報屋まがいのこともしていてね、桐子さんはきっとそのことを聞いたんだろう」
怪しいやつだと思っていたが、やはりその手の仕事を生業にしていたらしい。桐子は度胸が座っている。危険だからといって、怯むことはなかっただろう。
「その男は危険です。姉が来る前から俺たちに絡んでくることがありました。危ない連中とも関わりがあると思います」
「ふむ、警察の方でも被疑者の一人として捜査しているんだが、まったく足取りがわからなくて困っているところだよ。誰かが匿っているのかもしれない。何か情報はないかい」
「いえ、話したのだって数えるほどですし」
「そうか、なんでもいいから思い出したらまた連絡をしてほしい」
「わかりました。それから柚葉たちのこと、よろしくお願いします」
「わかっている。危険な目には合わせないよ」
そう言って、丘山さんは電話を切った。
六条先生が桐子に協力者がいるかもしれないと言っていたのを思い出した。それが爪崎だとは思わなかったが、あいつを見つけて桐子と事件のことを聞き出す必要がある。爪崎のギラついた目を思い出す。あの怪しい光は危険だと本能的に感じた。協力者といっても桐子を殺したのはあいつかもしれない。必ず俺の手でやつを見つけて真相を聞き出してやる。
その思いとともに、桜から離れる理由ができたことに安心している自分が嫌になった。
桐子の部屋を調べた翌日、父の資料があったという納屋に行ってみたが、そこには積み重ねられた本やダンボール箱と古びた電化製品しかなかった。すでに父の資料は持ち出されているのだろう。
神島へ帰るべく準備を進めたが、今度は桜に言っておかなければならない。
桜の部屋に行くと、桜は一枚の写真を見ていた。そこには桜と桐子が仲良さそうに映っている。。
「桜……話がある」
桜はこちらを振り向かない。
「お姉ちゃん、変なことばっかり言ってたけど、やっぱり優しくて綺麗だった」
桜は桐子の死を受け入れたのだろうか。桐子との思い出を描いているようだ。
「俺はもう一度――」
「また、私を置いていくんだ」
桜と俺は子供の頃からずっと一緒だった。お互いの考えはよくわかる。桜は桐子の死を受け入れたときから、こうなることを予感していたのかもしれない。
「桐ねぇの死と関係しているやつが神島市にいるんだ。なんとしても、捕まえて桐ねぇのことを聞き出さないといけない」
「そうなんだ……。その人が犯人なの?」
「それはまだわからない。だから調べに行きたいんだ」
「わかったよ。一つだけ約束してくれないかな」
俺は頷いた。
「犯人だったら殺してきて」




