六. ~鬼の余興~
「ありゃりゃ、これは偶然だね。彼女連れとはびっくりじゃないか」
文化祭の片付けが終わり、柚葉と家に帰る途中、その時は突然訪れた。
「お姉ちゃん、どうし――」
柚葉が間違えるのも仕方がない。初めて楓さんに会ったとき、俺も勘違いしてしまったことを思い出す。
「久しぶりだね、桐ねぇ」
桐子。俺のいとこにして姉。もう二度と会うことはないと思っていた人。懐かしさを感じながら、どうして居場所がわかったのかという焦りが生じた。
「どうしてわかったんだっていう顔だね。うん、こんなところでも何だし、家は近くかい? よかったら入れておくれよ」
飄々とした桐子を見て混乱しながらも柚葉は桐子を部屋に通すと、何も言わずにお茶を入れにいった。柚葉のそういう気配りは本当に助かるところだ。
桐子はなんだか子供のように、部屋の中を楽しそうに見ていた。
「丞はこの部屋にあの子と住んでるのかい?」
桐子はそんなことには興味を持っていないだろうに、意外なところに気を回すこともある。俺が柚葉と一緒に住んでいると答えても、驚くことはないだろう。
「この部屋は大家のあの子のお姉さんが貸してくれたんだ。二人とも恩人だよ」
柚葉が紅茶を持ってきてくれた。桐子は大げさに感謝の言葉を告げている。
その後、柚葉は自分の部屋へ戻った。
しばらく無言の時間が過ぎた。紅茶を半分ほど飲んだところだろうか、じれて先に俺が切り出した。
「どうやって、見つけたのかはもういいよ。俺を連れ戻しにきたのか?それなら応えられない。俺は犯罪者なんだ」
あれだけの現場を残してきたのだ。警察が動いているに違いないし、もしかしたら七幸家にも捜査が入っているかもしれない。
「それが、そうでもないんだな。桜はほとんど話してくれないから、あの現場で弟くんが何をしたのかは知らないが、あれだけの犯行を一人の人間では行うことができないんだそうな。最近、頻発してる猟奇殺人と関連もあるんじゃないかと言われているのだよ。ああ、大丈夫。全員重傷や意識不明だけど、死人は出ていない。それに弟くんが帰れない理由はそれじゃない」
いつもそうだ。普段は無駄なことばかり言っているくせに、ふいに核心をついてくる。
「桜は、あれだ。引きこもりってやつになってしまったよ。あの日、弟くんが出ていったって知った桜は自分のせいだって、泣き続けていたよ。それ以来、ずっと自分を責め続けてる」
俺は拳を握りしめた。わかっていたのだ。桜が傷つき続けていることを。だけど、近くにいても傷つけてしまう。俺にどうしろというのだ。
また無言の時間が過ぎていく。その間、俺は桜のことで頭がいっぱいだった。
ふいに桐子が指を鳴らした。まるで、話しの転換を行おうというように。
「実はあたしにはそちらのほうが興味がない」
桐子が何を言っているのかわからず、呆けたような顔をしてしまった。
「弟くんを連れ戻すなんてことは、今はどうでもいいのだよ。問題はどうしてここがわかったのかって方だね。今日、出会ったのは本当に偶然さ。あたしは弟くんを探しに来たんじゃなくて、この家を探しに来たんだから」
俺の頭は混乱していく一方だった。
「そうだ、さっきの子、名前はなんていうのかな。あの子を連れてきておくれよ。あの子にこそ聞きたいことがあるのだよ」
なぜという疑問も持たせてもらえず、桐子に言われるまま、柚葉を連れてきた。
柚葉は突然呼ばれて、少し緊張しているようである。
「柚葉ちゃんって言うんだってね。いくつか聞きたいことがあるんだけれども、まず、君の名字は千早で合ってるよね?」
柚葉は少し不安そうに「はい」と答えた。
「じゃあ、この写真の人を知ってるかな」
柚葉はじっくりと写真を見た。二人の男性が写っているが兄弟なのか、どこか面影が似ている。仲良さそうに肩を組んでいる写真だが、少し昔のもののようだ。
柚葉が少し驚いたように答えた。
「こっちの人は私のお父さんです」
柚葉はお父さんの若い頃の写真を見たことがあるので間違いないと言った。付け加えて、もう一人はわからないと桐子に申し訳なさそうに言った。
「いや、十分! あたしの目的は達成されたようなものだよ。こっちの男性はね、柚葉ちゃんのお父さんの弟さ。つまり叔父さんだね。そして……丞のお父さんでもある」
俺と柚葉の驚きはさっきの比ではなかった。柚葉の叔父さんが俺の父さんということは俺と柚葉はいとこ同士ということになる。
「どうやって、この家に住むことになったのか興味があるけれども、とてもとても凄い偶然だとしか言いようがないね。弟くんのお父さんがいなくなったとき、あたしは6歳ぐらいだったよ。うっすら顔を思い出せるほどだね。君が家を出てから、何か役立つものはないかと、納屋を漁っていたら、君のお父さんのものが出てきてね、彼にはお兄さんがいることや、神島市の出身だということがわかった。それで、ほいほいやってきたってわけさ。柚葉ちゃんのお父さんはここにはいないのかい?」
「父はずっと前に交通事故で他界しました」
「ありゃりゃ、そりゃ残念だ。お父さんから、もっと詳しいことが聞けるかもしれないと思ったんだがね。ふむ、こればかりは自分で調査するしかないね。そうだ、しばらくここに泊めておくれよ」
急な頼みに窮している柚葉の代わりに答えた。
「急に来て、何を言っているんだ。そんなことできるはずないだろう」
「どうしてだい? 他にも部屋は余っているようだし、ちゃんとお金は払うよ。それに、弟くんだって急に来たタチじゃないのかい」
何もかもを知っているような桐子の言葉に顔を歪ませていると、平静を取り戻した柚葉が言った。
「大家はお姉ちゃんなんです。お姉ちゃんに聞いてみて大丈夫だったらご滞在ください。それまでお待たせすることになりますが、家でごゆっくりされてください」
桐子は「構わないよ」と答えて、俺に向かってウインクをした。
夕食時になって、楓さんが帰ってきた。柚葉が桐子のことを説明すると、楓さんは二つ返事で桐子の滞在を認めた。
「私にとても似ている人が来たって言うじゃないか。そんな変人が二人もいると聞いては興味を持つってものだ。いや、しかし本当に似ているね。いつまでも滞在してくれ給え」
自分で変人とわかっていたんだなと感心していると、桐子のほうも楓さんに興味を持ったようで、失礼なほどじっくりと観察している。
桐子は自分の中で納得がいったのか、楓さんに満面の笑みを向けた。
「それはありがたい。ウチの弟くんはともかく柚葉ちゃんのような可愛い子と一緒に住めると思うと楽しみでしょうがないね。ウチの妹はさっぱり元気がなくなってしまって、妹成分が足りなくなっていたところでして」
桐子は俺の心に棘を指しながら――本人にはその気はないだろうが――柚葉の腕に絡んでいる。
柚葉は話はそれまでというように手を叩いた。
「さ、ご飯にしましょう。今日は桐子さんもいらっしゃったし、少し頑張ってみたんだ」
机の上には柚葉が言う通り、いつもより少し豪勢な料理が並んでいた。
「ほう! これはごちそうだね。弟くんや祖母の料理はマズいってわけじゃないんだけれど、少しばかり質素でね。いや、作ってくれるだけありがたいとは思っているよ」
「へぇ、感謝してくれてるとは初めて知ったよ。その言いようだと、今はばあちゃん一人に料理を作らせてしまってるんだな……」
「私が作ったら、ばあさんはもっと面倒を抱えることになると思わないかい。桜は家庭的に見えて料理はさっぱりだしね」
桜は料理を作れたとしても、桐子が言う通りの状態なら何もできないだろう。
俺が暗い顔をしていたからだろうか、柚葉が話題を変えた。
「桐子さんの地元はどんな所なんですか?」
「どんなところかー。はっきり言って何もないね。よく言えば自然がたっぷりだ。神島市とは同じ国とは思えないほどにね。鬼が住んでいるという伝説まであるんだよ」
桐子はちらっと俺の方を見た。鬼という単語に動悸が激しくなったが、話に反応したのは俺一人ではなかった。
「鬼だって?これはこれは興味を惹かれるね。私は少しばかり民俗学を学んでいてね、その手の話は大好物なんだ。詳しく聞かせてくれないかい」
楓さんは机に肘をついて眼鏡を少し触ると、桐子の話を聞く態勢をとった。
「またまた似ているものですね。あたしも民俗学を専攻してまして、地元の伝承を調べたりもしたのですよ。そうですね。ここ、神島市も無関係ではありませんし、お話しましょう」
桐子は一口お茶を飲んだ。
「千年ほど昔、神島は鬼島と呼ばれてまして、鬼が住んでいたと言われています。鬼は人にとって恐怖の象徴でした。そこで都から討伐軍が鬼島へ派遣され、鬼は退治されたり土地を追い出されたりしました。そんでもって、その土地に二度と鬼が住みつかないようにと神に願い、神島と名前を変えたってわけですな。ここまでは、わりと有名な話なので楓さんもご存知でしょう」
桐子の話に楓さんは頷いた。
「そこから先なんですが、都の軍勢から何とか逃げ延びた鬼たちは一族に分かれて各地に隠れ住んでいるっていうんです。その一つがあたし達の地元だと言われているのですよ」
そこで楓さんが質問を投げかけた。
「なるほど。ところで、鬼はなぜ鬼と呼ばれていたのだろうね。私は人とは異なる能力を持っていたと考えているが、もしかしたら、ただの山賊や海賊だったという可能性もありえる。そこのところを君はどう思うかね」
桐子はまるで答えを用意していたかのようにすんなりと応じた。
「あたしも鬼は異能の存在だったと思いますね。なぜなら、都からの軍勢には退魔師や巫女が帯同したと資料に書かれているからです。山賊相手では彼らはただの役立たずでしょうが、鬼が悪魔のような存在だと考えられていたってなら、連れてこられても納得できますからね。ただ、都の人たちが勘違い野郎だったという可能性は否定できませんが」
楓さんは質問を続けた。
「人とは違う能力を持っていたとして、いったいどんな能力を持っていたんだろうね。メルヘンな私はそこのところが一番気になるのだよ」
鬼の話のどこがメルヘンなんだろうかと思ったが、俺も能力については気になる部分である。
もし、桐子の話しにヒントがあるとしたら、能力を扱うのに役立つかもしれない。
「そればかりははっきりとはしませんが、能力は一族によって違ったんじゃないかなぁ。人にも各分野において能力が違うでしょう。力持ちな鬼や足が速い鬼、治癒能力が高いなんてのもいたかもしれない。伝説の吸血鬼なんてのもいいですねぇ。ちなみにあたしの地元に住みついた鬼は人の心を操る能力を持っていたと言われていますよ」
最後の言葉についつい俺は桐子に詰め寄ってしまった。
「心を操る能力だって!?それはどういう風に操れるっていうんだよ。心を読んだり……人の記憶を見れたりするのか?」
桐子は微笑を浮かべて、お手上げだという風に両手をあげた。
「知らないよ。知ってるわけないじゃないか。あたしは鬼じゃないし、鬼に会ったこともない。会ってみたいもんだけれどね。心を操れるなんてものは、もはや超能力や魔法のようなものだよ。事実なら楓さんが言うようにメルヘンだけれども、信じきれるものじゃないね」
興奮してしまった自分を抑えるように水を飲んだ。楓さんは話を聞く態勢を解いた。
「非常に興味深い話をありがとう。私の創作意欲も増すってもんだよ」
桐子は料理を口に運びながら、それは良かったと満足げだった。
「ところで、神島市では連続猟奇殺人事件が起きてるね。私はそれこそ鬼の仕業、いや鬼だけと限定することはできないか。何か異形なものの仕業だと考えていてね、こちらに滞在しているうちにその件も調べてみたいと思っていたんだ」
調子に乗っている桐子に俺は顔をしかめた。
「食事中にする話じゃない。それに危険なことはやめてくれよ」
なぜだいという顔をしている桐子に、俺は諦めかけていた。
桐子は興味を持ったら後先考えずに突っ走るタイプである。たとえ危険だとわかっていても好奇心のほうが上回って、行動に移してしまうことが多い。
俺が困っていると、ずっと黙っていた柚葉が同調してくれた。
「そうですよ。お姉ちゃんも調査したいだなんて言ってたけれど、お姉ちゃんは文献でも探して、ゆっくりと物思いにふけっているのがお似合いだって言ってやったんです。危険な仕事は警察に任せておけばいいんです」
その言葉に桐子と楓さんは苦笑した。それからは他愛のない話をしながら、まだ温かい食事をとった。
文化祭が終わっていつもどおりの学校生活を送っていたが、ある日、俺と長親は理事長室に出頭させられていた。楓さんはいつものようにソファーに寝っ転がっている。
「やぁ、よく来てくれたね。のんびりしてくれ給え。お茶でも飲むかい」
俺は慣れっこだが、長親は初めての理事長室なのか少し緊張しているようだった。
「お茶はいいですが、今日は何の用ですか?」
楓さんは残念だという顔をして、話を続けた。
「文化祭のコンテストで君たちは優勝しただろう。その賞品をまだ渡していないと思ってね。ほら、賞品はこれだよ」
そう言って、楓さんは四枚の紙を俺に渡した。
「温泉無料チケット?これが賞品ですか?」
「そうだよ。日頃の疲れを温泉で取ろうじゃないか」
温泉には行ったことがないから興味はある。
「なんで四枚なんです?俺と長親なら二枚でいいじゃないですか」
楓さんは指をチッチッチというように動かした。
「野暮なことを言うもんじゃない。ペアチケットだよ。君たちは涼宮ちゃんや柚に世話になったろう。そこんとこ、ちゃんと労ってあげなきゃ不公平ってもんだ」
柚葉の件は楓さんのせいなのだが、確かに助けてもらったので、何かお返しをしたいと思っていたところである。
「そうそう、六条先生も同行するからね」
六条先生もミス・コンテストで優勝しているので、当然賞品を貰う権利がある。
「六条先生のペアは誰ですか?」
楓さんは親指を立てた後、その指を自分に向けた。
「もちろん、私だよ」
温泉旅行当日、柚葉は桐子に留守を頼むと六条先生の大型車に全員乗り込んだ。
桐子は俺にお気楽だねと言っていたが、快く引き受けた。
温泉宿までは片道2時間ほどらしい。車内では色々と話が盛り上がっていたが、一番興奮していたのは俺かもしれない。なんといっても初めての温泉である。
そんな俺を涼宮先生は微笑ましく見ている。
「ジョー君、加賀君、誘ってくれてありがとう。温泉なんて久しぶりだわ」
「いえいえ、涼宮先生の演説のおかげで優勝できたようなものですから、お礼ぐらいはさせてください。柚葉もヒロインの代役を立派に勤めてくれたんだ。二人とも感謝してます」
「本当、長親君が倒れたときは大変だったんだから」
柚葉の言葉に長親がしゅんとした。その様子はまるで告白に失敗した可愛らしい女の子のようである。
思いの外、長親はショックを受けたような表情をしたので柚葉は慌てたように言葉を付け加えた。
「長親君のせいじゃないよ。全部お姉ちゃんのせいなんだから気にしないでね」
「おいおい、柚が旅行に来られるのは加賀君が倒れたおかげじゃないか。お姉ちゃんにお礼を言ってもらいたいもんだ」
楓さんはそう言ってはははと笑った。楓さんのなんでもポジティブに考えるところは正直うらやましい。態度が大きすぎるのは見習いたくないが。
だいぶ山道に入ってきたところで、風情のある和風建築の建物が見えてきた。
「ついたわよ」
六条先生が車を停めると、それぞれ荷物を持って外に出た。標高が高いからか、神島市より少し肌寒く感じる。
「すごいわ。紅葉がとっても綺麗」
涼宮先生がそう言うと、みんな山の景色を眺めて息を吐いた。目前に広がる壮大なパノラマの風景は赤や黄色に染められ、まさに晩秋を感じさせた。
しばらく紅葉に目を奪われていた。ただ、楓さんを除いて。
「さ、温泉、温泉。身も心も温まろうじゃないか」
楓さんはすでに宿に向かって歩いていた。その足取りは非常に軽く、本当に温泉を楽しみにしているようだ。
六条先生が仕方ないというように後に続き、俺たちも名残惜しいながらも宿へ歩いていった。
「ようこそいらっしゃいました。千早様、6名様ですね。ご案内いたします」
温泉宿は外見と同じように純和風建築で、俺が思っていた宿というものよりよほど広く、木の香が心地よい。
丁寧に対応していただいた女中さんに付いていくと、二名ずつの部屋に案内された。
「柚、涼宮ちゃん。ジョウ君と加賀君、どっちと同じ部屋がいいかね」
そんな提案をしてきた楓さんに4人は驚き、おそらく涼宮先生は照れて顔を赤くし、柚葉は怒りで顔を赤くしていた。
「お姉ちゃん、そんなわけないでしょう。私とすみれちゃん。ジョー君と長親君。それで決まり!」
少しばかり残念だと思ったが、当然の結果に安心もしていた。
部屋はとても広く、俺は畳の上に大の字に寝てみたが、長親がさっそく温泉へ行こうと誘ってきた。もう少しゆっくりしていたかったが、初めての温泉の魅力に負けて、長親の提案に乗ることにした。
温泉は一階にあり、標識があったので迷うことなくたどり着いた。男と書かれた青い暖簾をくぐる。
脱衣所で服を脱ぎ――長親は大変恥ずかしがっていた――扉を開けると、そこには大きな露天風呂があり、外から眺めたときと同じ綺麗な風景が広がっていた。これが温泉というものかと感心しながら湯につかってみると、少し熱めだが、たいそう気持ちいい。
「すごく気持ちいいねぇ」
長親も同じように、ゆったりとお湯に浸かっていたら、隣の風呂から柚葉や涼宮先生らしき声が聞こえてきた。みんな温泉に入りにきたんだなと思っていると、長親が急に真面目な顔をして周囲を確認した後、小さな声で驚くべきことを言った。
「丞、女風呂を覗きに行こう」
女より女っぽい長親がその言葉を発したことにしばらく呆けていたが、俺は平静を取り戻すと長親を睨んだ。
「……ラジャ」
長親は俺の答えに満足したのか、さきほどまで恥ずかしがっていた態度はどこへやら、堂々と女風呂との垣根を調べ始めた。普通なら変態なのだが、小柄な長親は子供がいたずらをしているように見えた。
「丞、やったよ。ここに穴を見つけた。きっと女風呂が見えるよ」
その言葉に俺はごくりと唾を飲み込んだ。
真っ先に浮かんだのは涼宮先生の裸である。涼宮先生は性格はおとなしいが、その清らかな胸は六条先生や楓さんよりもよっぽど大きく、目を奪われる。
妄想にふけっていると、長親が俺の肩を叩いた。
「丞から先に見ていいよ。僕は周りを見張っておくから、存分に目の保養をしてきてよ」
わかったと長親に向かって親指を立てると穴を覗いた。どんな桃源郷が待っているのだろうと思っていたが、何も見えない。いや、かすかに何かが見えるのだが、何かはわからない。そのとき、柚葉の声が聞こえた。
「お姉ちゃん! 男風呂を覗こうだなんて何を考えてるのよ!」
俺は驚愕して、後ろに倒れ込んだ。周りを見ると、長親はもういない。
「ははは、見えるかと思ったけれど、何も見えなかったよ。残念、残念」
楓さんの声が遠ざかっていく。俺は長親を追って、逃げるように温泉を後にした。
動悸が止まらないまま、部屋へ帰って長親に散々愚痴を言っていると、女中さんが部屋を訪れて、夕食の準備ができたことを伝えてくれた。
夕食は少し広い部屋で皆で食べることになった。
楓さんはにやにやとこっちを見ていたが、極力無視をして豪華な料理を堪能することができた。
食事が終わり、談話室で話をしていたが、尿意を感じたので席をはずしてトイレへ向かった。
「丞」
後ろを振り返ると、六条先生が廊下の真ん中にモデルのように立って、こちらを見ている。浴衣姿の先生は普段のキリッとしたスーツ姿とはまた違って扇状的でみとれてしまう。
俺が一人になるところを待っていたようだ。
「先生、どうしたんですか?」
「少し、外で話をしないかしら」
これは断るという選択肢はないのだろう。
外へ出ると夜の冷えを感じ、尿意が強くなって、ぶるっと震えた。もう秋も暮れてきた頃である。
「何の話ですか。と言っても決まってますよね」
「そうね。文化祭の話の続きよ。あれから、あなたに何か変化はあったかしら」
「いえ、何も。ただ、実家から姉が訪ねてきて、俺の父親について調べているようです。父親が俺の能力と関係があるかはわかりませんが、姉は薄々、俺が普通の人間じゃないことに気づいている様子があります」
「それは困ったわね。世の中に人間ではない異能のモノがいると知られたら、私達は安全に暮らしていけないわ」
「その点は大丈夫だと思います。姉は鬼といった類について興味は持っているようですが、俺のことを誰かに言うつもりはないでしょう。変人ではありますが、姉は信じられます」
六条先生は腕を組んで考えるような仕草をした。
「私はお姉さんとは会ったことがないから、簡単には信用できないけれど、どうこう言ったって、現状が変わるわけではないものね。お姉さんについてはそれだけかしら」
俺は桐子が来た日の食事中の会話を思い出した。
「姉は猟奇殺人事件についても調べると言っていました。あと、気になるのが姉が鬼の伝説について言っていたことです。俺の地元には鬼の一族が住んでいて、その鬼の一族は心を操る能力を持っていると言われているそうです」
「鬼が一族で住んでいるというのは本当だと思うわ。私の故郷にも力こそ弱いけれども吸血鬼たちが住んでいると言われているもの。それにしても、心を操る能力ね。本当だとしたら、とても珍しい力じゃないかしら。私は聞いたことはないわ。具体的にあなたは今までどんな能力を使ってきたの」
俺は数ヶ月前の出来事を思い出しながら、ぼつぼつと話し始めた。
「最初は妹が暴漢に襲われているときでした。眼の前が真っ赤になって、気がついたら暴漢たちは血だらけで倒れていました。彼らが俺を見て、怯えていたのを覚えています。一人、相手から霧のようなものを吸い上げて、意識を失わせてしまいました」
六条先生は顎に指を当てて俺の話を聞いている。
「神島に来てから柚葉や涼宮先生を助けたときは意識がはっきりしていましたが、力が沸くような感覚がありました。そのときも意識を奪うことをしました。後藤先生が意識不明になったのも俺の能力のためだと思います。それから、文化祭のときの先生との出来事です。記憶を覗いたりする能力も俺にはあるのでしょうか。自分で意識してやったわけじゃないので、はっきりとしなくて……」
「力や感情をコントロールできないのは確かに重要なことかもしれないわ。突発的に力を使っているのに今まで私にしか見つかっていないというのも運がいいのかしらね。ただひとつ疑問があるの。あなたが妹さんを助けようとしたとき、意識もなかったし、暴漢たちは怯えていたと言ったわね。それは体に大きな変化が現れていたと考えられるわ。異形の中には体の形が変わってしまうものも少なくはないし」
自分の体が変化したというイメージが浮かばず、俺は首をひねっていたが、先生は続けた。
「おかしいと思ったのは柚葉や涼宮先生を助けたときね。同じように怒りを感じているのに、体型に変化は現れなかった。何か違いがあるように思えるわね」
自分の能力にばかり気を取られていたが、六条先生の言うことも確かである。考えてみるが、これといった理由が見つからない。
「怒りの程度とかでしょうか。妹とは長いこと暮らしていましたが、柚葉や涼宮先生とはこの街にきてから出会ったわけですし」
俺の言葉を聞いて、六条先生は笑った。嘲笑したといってもよい。
「おやおや、それは情けない話ね。付き合いの長さ程度で、困っている人を差別するような生徒は私のクラスにはいないと思っていたのだけれど」
俺は恥ずかしくて黙り込んだ。柚葉や涼宮先生は俺にとても良くしてくれている。そんな二人を軽く見てしまった自分を戒めた。
「とにかく、力をコントロールすることは必要ね。特に暴力や意識を吸い上げる?なんてことは極力避けたほうがいいわ。あなたの周りで重傷者や意識不明者が多発するようじゃ、公僕もさすがに疑い出すかもしれない」
「コントロールすると言われても、どうすればいいんだか……。意識できないんだから、元々無理なことなんじゃないですか?」
「そうかもしれないわね。でも、安心しなさい。ちゃんと用意はしてあげるわ。旅行から帰ったらさっそく試してみましょう」
そう言うと、六条先生は踵を返した。
「長話をしてしまったわね。私は戻るけれど、あなたはゆっくりとトイレに行ってきなさい」
尿意が急激に戻ってきた俺は情けない走り方でトイレに向かった。
部屋に戻ると、布団がひいてあり、長親が眠っていた。
外に出て冷えてしまったので長親と温泉にもう一度入ろうと思っていたが、とても気持ちよさそうに眠っているのを起こすのも悪いので一人で温泉に入ることにした。
温泉には誰もおらず、独り占めだった。
「あー、温まる。露天風呂を独り占めだなんて贅沢だなぁ」
気持ちよくて、ついつい声に出してしまうと、女風呂からささやかな笑い声が聞こえた。
「ふふふ、ジョー君、おじさんみたいね。そっちも独りなの?」
涼宮先生の声が聞こえた瞬間、俺の頭は沸騰しそうになった。垣根一つ向こうに涼宮先生がいると思うと、襲いたいほどの邪な心が抑えられなくなる。
「そっちもということは、涼宮先生もですか」
長親が覗き穴を見つけていたことを思い出した俺は垣根に近づいていた。
「そう、露天風呂を独り占め。とっても気持ちがいい。こんな時間もジョー君が助けてくれたから過ごすことができるのよね。改めて、ありがとう」
涼宮先生の柔らかい言葉を聞いた俺は足を止めた。さっき、六条先生に感情をコントロールしろと言われたばかりじゃないか。涼宮先生を辱めることなんてしてはいけない。
なんとか、踏みとどまった俺は気付かれないように温泉へ戻り、そういえばと思っていたことを聞いてみた。
「先生、まだ引っ越しは考えられていないんですか?」
垣根の向こうから、明るい声が返ってくる。
「そうね。この旅行から戻ったら準備しようかしら。また、あの温かい家で過ごせると思うと、楽しくなってきちゃうな。今度はジョー君もいるしね」
涼宮先生が引っ越してくるなんて、嬉しくて、嬉しくて仕方がなかったが、その感情もなんとかコントロールしようと努力した。
俺は涼宮先生のことが好きなのだろうか。涼宮先生と話をするだけで、幸せな気持ちが溢れ出す。
「私は先に上がるね。ジョー君も湯あたりしないように気をつけてね」
それは無理な相談であった。涼宮先生の声を聞いて、俺はもうすでにのぼせそうであった。
温泉旅行から帰った俺たちを桐子は大変喜んで出迎えた。俺たちというか柚葉を。また、妹成分とやらが足りなくなったのだろう。
休みが終わり、学校へ行くと六条先生から生徒指導室へ来るように言われた。
「旅行のときに話した件だけれど、さっそく力と感情の安定を試してみようと思ってね。これを飲んでみなさい」
そう言って、六条先生は赤い液体の入った小瓶を俺に渡した。言われるまま飲んでみると、とても濃い粘度のある液体が喉を通っていく。
「これ、なんですか?」
飲んだことを確認した先生は小瓶を手で揺らしながら、にんまりと笑った。
「私の血よ」
驚いた俺は激しく咳き込んだが、すでに液体は胃の中である。俺は青くなりながら六条先生に詰め寄った。
「先生の血と能力のコントロールに何の関係があるんですか!」
「私も君と同じ異形。私の血を飲むことで、君の不安定な能力をちゃんと引き出せるんじゃないかと考えたのよ。どう? 効果はないかしら」
先生の説明を聞いているうちに体が熱くなってきた。
「体に力がみなぎってくる感覚があります」
「そう、感情のほうはどうかしら。怒りを感じたりすることはない?」
「はい、頭はとても冷静です。自分の力をコントロールできている感覚があります。すごいですね! こんなにすぐ効果が出るなんて」
「とりあえずは成功かしらね」
成果が出たことに喜んでいたが、ふとした疑問に青ざめた。
「先生、先生の血を飲んだということは、俺は吸血鬼になってしまったんですかね……」
六条先生は俺の青ざめた顔を見ながら笑った。
「安心しなさい。吸血鬼が仲間を増やすときは特別な血を与えなければならないわ。ただ抜き取った血では普通の人間には何の効果もないと思うわね」
先生の言葉に安心しながら、俺は自分の能力を知る第一歩を踏んだことに喜びを感じていた。ところだったが。
「なんか、体がぞわぞわしてきたんですが……」
「まぁ、突然違う種族の血が入ってきたら副作用ぐらいあるわよね。長くは続かないでしょうから、我慢しなさい」
そうして、俺は丸一日、体の違和感に耐えることとなったのである。




