四. ~鬼の修練~
「できたのだよ! ジョウ君!」
柚葉と朝食をとっているとき、目の下にしっかりとクマを作った楓さんが二階から降りてきた。手には原稿用紙を何枚も持っている。
――もうできたのか。
俺のクラスは文化祭で演劇をすることに決まった。だが、脚本がないと、配役もセットも作りようがない。未だ主人公とヒロインしか決まっていないのだ。その主人公は俺で、ヒロインが長親という部分には大変問題があるのだが。
そんな中、熱烈に脚本の担当になりたがったのが楓さんである。どれだけ時間がかかるか分からなかった脚本を、楓さんは宣言どおり三日で仕上げた。さすがにプロというべきか、クラスにとって、これほどありがたいことはない。
「ありがとうございます。クラスのみんなに見せたいんで、預かってもいいですか」
そう言って、楓さんから原稿を受け取った。それほど枚数があるわけではないが、文化祭の劇の時間はそれほど長いわけではない。楓さんのことだ、それぐらいのことは計算して書いてあるのだろう。
「まさに力作! なんで普段から書けないのかというほどの出来栄えなのだよ。今年の神祭は面白くなるね」
楓さんのテンションが高いのは徹夜のせいだけではなさそうだ。
「そういえば、柚葉のクラスの出し物はなんなんだ?」
柚葉は俺と楓さんのやりとりを面白そうに見ていたが、よくぞ聞いてくれましたというように身を乗り出してきた。
「私のクラスはね、本格メイド喫茶だよ。ありきたりなんだけどね。本格! ここが大事」
実家は田舎すぎて、メイド喫茶などあるはずもない。街に出てもなかなか見かけないので、俺はメイド喫茶に行ったことがない。なので、本格がどれほどなのかはわからないが、食事関係の出し物には興味がある。
「それにね、秘密兵器があるの」
秘密兵器とは陳腐な響きだ。その考えが表情に出てしまっていたのが柚葉に伝わったのか、柚葉は仏頂面になった。
「ジョー君は喜ぶと思ったんだけどな」
俺が喜ぶ? メイド喫茶など行ったことがないから、何を喜べば良いのかわからない。
「すみれちゃんがメイドになるんだよ」
――涼宮先生が。
柚葉の言葉を聞いたとたんに、心がざわめき、落ち着きがなくなった。
俺が慌てふためいているのがバレたのだろう。柚葉はふてくされたようだ。
「あーあ、私もメイドになるんだけどな」
柚葉の声はいたずらっ子のようだったが、その表情はひどく落ち込んでいた。
「お、俺は田舎者だからメイド喫茶がどんなのか知らない。でも、柚葉にはメイド服がとても似合うと思うんだ」
これは本心である。柚葉は六条先生ほどではないにしても、とても良いスタイルをしており、なによりも愛嬌がある。メイド服のような清楚な服は似合うだろう。
「すみれちゃんより似合う?」
やけに涼宮先生に対抗意識を持っている柚葉の感情がわからず不思議に思ったが、こういうときの対応策ぐらいは男として知っている。
「若いだけ、柚葉のほうが似合うかもな」
空気が凍った。
「ジョウ君! 今の言葉、私から涼宮ちゃんに伝えておくから任せておき給え!」
――しまった。
「ジョー君、女性の年齢のことを言うなんて、絶対ダメなんだからね。私がっかりしちゃった」
柚葉が詰め寄ってくるから、こうなったんじゃないかとは言えず、ただただ頭を下げるばかりであった。
学校に着くと、クラスのみんなに脚本を見せた。
「吸血鬼とお姫様のラブストーリーなんだね。理事長らしいファンタジーなお話だよ」
長親が目をキラキラさせて脚本を読んでいる。そのお姫様役は自分であることも忘れて。
吸血鬼は最も有名な異形である。その能力や特性は様々であるが、有名なところでは血を好み精気を吸うこと、日光に弱いこと、心臓に杭を打たなければ死なないことなどであろうか。
――精気を吸うか。
暴漢や後藤の意識を奪い去ったとき、『吸う』という感覚があった。
精気を吸っていたのであるとすれば、俺は吸血鬼のような異形だということになる。
暴漢や後藤と対峙したときの共通点は怒りに支配されていたことだ。なので、自分の力をコントロールすることはできていない。
「丞、どうしたのさ。一緒にこの原稿をコピーしに行こうよ」
よっぽど、上の空だったのだろう。長親の顔がすぐ傍にあることに気づき、思わず、椅子ごと後ろに倒れた。
「まったく、あんなに驚くことないじゃないか。ちょっとショックだよ」
「お前の顔が近すぎるんだ」
長親と脚本をコピーするために職員室に向かっていた。
「いてて、頭を打ったなこれは」
さきほど倒れた衝撃で頭と首が痛い。
「しょうがないな。コピーはしとくから、保健室に行っておいでよ。終わったら、持ってくるからさ」
――保健室か。
あの日、体育館の片付けをした後、俺は家へ急いだ。家につくと涼宮先生の靴があった。
「これでよし。すみれちゃん、きつくない? 少し傷は深いけど、消毒もしたし、大丈夫だと思うよ」
部屋から柚葉の声がした。ドアをノックして、部屋に入ると涼宮先生の表情が一瞬明るくなったが、すぐに沈み込んだ。
「ジョー君。ごめんね。本当にごめんね」
――先生にこんな表情をさせてはだめだ。
「大丈夫ですよ。傷の治りだけは凄いんですから。な、柚葉」
柚葉はため息をついた。
「はぁ……ジョー君も怪我してるの?」
俺は腹を見せた。ほぼ、傷は治っていて、涼宮先生は驚きを隠せないようだった。
「まったく凄い体だよね。怪我については何も言わないわ。その代わり、何があったか教えてよね」
俺は柚葉に涼宮先生がストーカーの被害にあっており、そのストーカーが後藤だったこと、後藤に襲われたことを話した。
ただ、涼宮先生だけでなく、俺も後藤に刺されたことにしておいた。
涼宮先生が柚葉の家からマンションに引っ越した理由もストーカー被害が原因だった。セキュリティの緩いこの家では、部屋にまで入られた痕跡があったらしい。なので、仕方なく、あのマンションに引っ越したということだ。
柚葉は泣いた。家族のような存在の苦しみに気づけなかった自分を責めているのかもしれない。
「大丈夫よ柚ちゃん。ジョー君のおかげで、きっと解決したから。時期が決まったら、また、この家に帰ってくるね」
涼宮先生はその日、柚葉の家に泊まった。きっと柚葉との時間を取り戻していただろう。
保健室の前についた。後藤は階段から落ちて昏睡状態ということになった。それを聞いた涼宮先生は安心とともに罪悪感を感じているようだった。保健室の扉をノックする。
「はーい、どうぞ」と優しい声がした。涼宮先生の声を聞くと安心する。
扉を開けて、中に入ると、涼宮先生は俺の顔を見て、心配そうにした。
「ジョー君どうしたの? また、どこか怪我したのかしら?」
涼宮先生が慌てだしたので、急いで否定した。
「いえ、いや、まあその、頭は打ったんですけど、それは全然大丈夫なので、心配いりません。それよりも、先生の様子を見にきたんですよ」
涼宮先生はまだ心配そうな顔をしているが、俺の言葉を聞いて、顔を引き締めた。
「私は大丈夫。あの日、ジョー君を追ったときから覚悟はできてたもの。だから、ジョー君は何も悪くないの。全部私のせい」
涼宮先生は後藤への罪悪感を全部自分で受け止めようとしていたようで、今まで聞いたことのない強い口調で言った。しかし、俺は――
「そんなことは、どうだっていいんだ!」
俺の大声に、涼宮先生が怯む。
「先生が無事だったんだ。先生が苦しむことはなくなったんだ。俺はそれだけでいいんだよ」
自分がこんなに感情的になるとは思わなかった。格好悪いと思った。こんなにも、涼宮先生への思いが溢れ出すことが不思議だった。
涼宮先生のことは好きか嫌いかで聞かれれば好きと答えるだろう。しかし、それは先生と生徒という立場でのことである。今はその垣根を越えた感情を持ちつつあった。
涼宮先生の潤んだ目が俺を見る。
「ずっと凄く怖かった。誰にも言えなかったときも、ジョー君が怪我したときも。でも、今こうして自然と話せてる。それが、とても嬉しい」
しばらく見つめ合っていたとき、外から声がした。
「丞。コピー終わったけど、頭は大丈夫だったかい」
俺と涼宮先生は慌てて顔をそらした。さきほどの会話を聞かれでもしたら、どんな噂が広まるかわかったものではない。
「もう大丈夫だ長親。運ぶの手伝うよ」
先生の方をもう一度見つめる。先生は優しい微笑を浮かべている。もう大丈夫だ。そう確信して、保健室を後にした。
「そこ! もっと嫌味ったらしく言ってちょうだい」
脚本のコピーを配った放課後、さっそく演劇の練習が始まった。しかし、俺は涼宮先生のことを考えていて、集中できなかった。俺は涼宮先生に恋しているのだろうか。実際、急激に先生への思いが募った感じである。
「丞! 次のセリフ!」
ぼーっとしていると、自分の番になっていることに気づかなかった。脚本に目を留める。
『従者の願い事』楓さんの書いた脚本は、吸血鬼である従者の願いを題材にした恋愛ものだった。吸血鬼役はもちろん俺である。だが、俺はこの主人公のようになれるだろうかと自信をなくしかけていた。
「私の心はあなた以外には揺れ動きません」
どきっとした。誰に告白されたのだと顔を上げると、長親の顔がそこにあった。なんでお前はいつも顔が近いんだよと思いながら仰け反った。
まるで本物のお姫様のような長親の本気を感じ、自信をなくしている場合ではないと、練習に励んだ。
「姫様の血を私に吸わせてください。その代わり、姫様は人でなくなってしまいます」
吸血鬼あるあるだな。吸血鬼に咬まれると吸血鬼になるという伝説。
「丞。そこはもっと苦しんで言いなさい。従者はこの言葉を言うかどうか迷ったはずよ」
六条先生からダメ出しが入った。
六条先生は放課後も演劇の練習に付き合ってくれている。楓さん曰く、先生も参加する文化祭だからだろうか。
六条先生にも舞台に立って欲しいという意見は多かった。先生は美人でスタイルも良く舞台映えすること間違いない。
しかし、六条先生曰く、文化祭の主役はやっぱり学生ということで、演技指導に回ることとなった。長親が名演技を観せているので、もっぱら主役である俺に指導がくる。
練習が終わると、外で柚葉が待っていた。
「練習の間、ずっと待ってたのか。先に帰ってもよかったのに」
そう言うと、柚葉は首を横に振った。
「練習見てたの。見てるだけですごく楽しかった。特に長親君、名演技だね」
それを聞いた長親が近くにきた。
「そ、そんなことないよ。それにお姫様の役を名演技って言われても喜んでいいのかわからないし」
長親のお姫様の演技は本物の女の子のようだった。いや姫だった。共演していて、長親を男だと思ったことはない。いつも騒ぐ女子たちも、見入っているようだった。
「それに比べて、ジョー君はまだまだだね。これは帰って、原作者にも演技指導してもらわないとだめね」
原作者とはもちろん楓さんである。
たしかに楓さんなら主役の気持ちを理解しているだろう。
ファンタジー作家の楓さんであるが、特に異形や怪奇に焦点を当てた作品が得意らしい。そのために、色々な文献を調べているらしいが、俺の能力にも詳しいかもしれない。
しかし、簡単には相談できなかった。もし、何か感づかれて、また居場所を無くすわけにはいかないのだ。
家に帰ると、タイミング良く楓さんがお茶をしているところだった。お茶をしていると言えば聞こえはいいが、コーヒーを飲んで、徹夜の眠気を何とかしようとしているだけに違いない。
楓さんに脚本の高評価を伝えたところ、「力作だと言っただろう」と自信満々だった。楓さんは本業は小説家であるようだが、父親から継いだ学院の理事長でもあり、大家でもあり、その知識から民俗学者としても有名らしい。桐子も大学院で民俗学を学んでおり、結構な成果をあげていたようだが、こんなところでも似通った部分があるのかと感心したものだ。
「楓さん、今日からあの脚本で劇の練習が始まったんだけど、どうも俺の演技がいまいちらしくて、六条先生に指導をたくさん受けたんだよ。原作者として、主人公をどう演じればいいかアドバイスをくれないかな」
そう言うと、楓さんはにっこり笑った。
「六条先生が演技指導かい。なるほど、そりゃそうなるわけだ。ジョウ君、六条先生の指導にはとことん付き合ってあげ給え。彼女が一番、あの役を引き立ててくれるさ。そうだな、私からできるアドバイスは……吸血鬼とはいえ、人と心通わせられる。とことん心を込めてやり給え。」
俺はその言葉を聞いて、衝撃を受けた。俺が最も求めていて、今、手に入れられつつあるもの。それを楓さんは脚本という形で表現してくれたのである。
「楓さんは吸血鬼って本当にいると思いますか」
ふいにそんな質問をしてしまった。
ファンタジーを書いている小説家が本当にそれを信じているか単純に気になったのもあるが、異形についての意見が聞けるかもしれないとも思った。
「そうだね。私の小説に登場する吸血鬼のような存在は文献に少し私の夢を乗せて描いたものだから本当にいるかはわからないね。だけどね、人には個性とも言うべき違いが必ずある。肌の色も違えば、背の低い高い、声も違うし、二重と一重でもなんでもさ。そう考えると、少し人と違う能力を持っている『人』がいてもいいじゃないか。血を飲んだら元気になるとか、水の中では魚のように泳げるとか、羽が生えたりもいいね。それに、ジョウ君のように傷の治りが早いのも十分、人間離れしてると思うのだよ。気を悪くしないでくれ給え。このように、大小は別として、意外と日常に溢れているものだと思っているのだよ」
――人と違う能力を持っている人。
「それだけ違っても人と心を通わせられるのは人だと思うのだよ。だから、この小説の吸血鬼は鬼でもあり人でもある。そして、それを姫はとても素晴らしいことだと思っている。人間がみんなこうであれば、良い世の中になると思うんだがね」
楓さんは俺の全てを知っているかのようだった。そのうえで、俺に道を説いてくれているのではないかというほど楓さんの言葉は心に染み入ってくる。なのでつい、口に出てしまった。
「楓さんが、この吸血鬼のような存在に出会ったら、どうしますか」
楓さんは伏し目がちで少し考えてから、
「人と同じさ。いいやつなら仲良くするよ。悪いやつなら退治でもしてやろうじゃないか」
と俺にチョップを入れて、部屋から出ていった。
――今のは退治されたということだろうか。
一人で笑っていると、入れ替わりで柚葉が入ってきた。
「今のお話面白かったから、外で聞いちゃった。お姉ちゃんがあんなお話するのは珍しいんだよ。いっつも変なことばっかり言ってるから、驚いちゃったよ」
たしかに、楓さんの話はおふざけが混じったものが多い。
小説家だという話だって最近まで教えてくれなかったし、何かと謎が多い人だ。そのためか、妹の柚葉はとてもしっかりしている。
柚葉の意見も聞いてみたいと思い、同じ質問をしてみた。
「どうだろうね。いてほしいって気持ちもあるし、いたら怖いかもって思うよ」
――やはりそうか。
「でもね、吸血鬼みたいな人たちって普段隠れて生きているでしょう。それってとても辛いと思うの。きっと心のどこかに傷を負っているわ。だから、私は出会ったら、その傷を少しでも癒やしてあげたい」
柚葉と初めて出会ったときを思い出した。
暴漢たちを人間離れした力で退けただけでなく、ナイフで刺されて平気な俺を見ても、彼女はその傷をハンカチで包んでくれた。
絶望していた俺に、生きることを選択させてくれたのは柚葉だった。
――柚葉にはもっと感謝しなくちゃな。
「ジョ、ジョー君。なんで泣いてるの。それに、そんなにじっと見つめられたら、その、照れるし、どうすればいいかわかんないよ」
どうやら、俺は感動して泣くだけにとどまらず、柚葉への感謝の思いが溢れかえって、柚葉の顔をずっと見つめていたらしい。気がつくと、こっちが恥ずかしくなってきた。「なんでもない」と誤魔化したが、ちょっと気まずい雰囲気が漂った。
「そ、そういえばジョー君。最近は変な夢見なくなったかな。変な夢って言ってもエッチな夢のことじゃないよ。ほら、ちょっと前に続けて見てた、冷たいお母さんの夢」
村を出てしばらくしてから俺は自分の体験とは思えないような生々しい夢を見るようになっていた。それはだいたい知らない母親の夢であり、俺を見る目の冷たさに耐えきれなかった。
そういえば、最近、見ていない。そのことを柚葉に伝えた。
「じゃあ、最近はどんな夢を見ているの?」
考えもせずに口が動いた。
「最近はよく夢に涼宮先生が出てくるな。先生がとても幸せそうに笑ってるのを見ると、こっちまで幸せに――柚葉?」
「ジョー君のエッチ!」
クッションを顔に投げられた。
「この前まで悩んでたから、相談に乗ってたのに、今じゃ、すみれちゃんと幸せるんるんな夢を見てるですって。夢でも現実でも仲が良くてよかったわね」
柚葉は涼宮先生の話になると、たまに機嫌が悪くなる。涼宮先生と俺との関係は当初、柚葉の知り合いというほどだったが、涼宮先生のストーカー事件があってから、俺と先生の距離は急接近した。吊り橋効果というやつだろうか。だからといって付き合っているというわけではない。しかし、それ以来、柚葉はたまに過敏に反応をするようになった。柚葉にとって、涼宮先生はもうひとりのお姉さん的存在だ。だから、俺と涼宮先生が仲良くなりすぎると嫌なのかもしれない。
「そんなことばっかり考えてるから、演劇でも注意されるんだよ」
「それとこれとは関係が――」
柚葉は全部を聞くことなく自分の部屋へ行ってしまった。
――劇の練習でもするか。ため息をつきながら、自分の部屋へ戻ることにした。
次の日も授業そっちのけで、劇の練習が行われていた。
「人間でも悪いことをする人がたくさんいます。あなたは吸血鬼でも正しいことができる人だと思っています。だから……」
姫の顔が近づき、やがて二人は唇を合わせ……。
「んなもんできるか!」
近づいてきていた姫役の長親の顔を思いっきり押し返した。女子たちが残念そうな顔をして言った。
「千早君、ここは初めて姫と従者の思いが形となるところなのよ。そして、このキスによって夫婦の誓いとする大事な場面なのよ。ちゃんとしてくれなきゃ困るじゃない」
ちゃんとして困るのはこっちである。公衆の面前で長親とキスなどしたものなら、俺の今後の人生にどんな悪影響を及ぼすかわかったもんじゃない。
「男同士だからできるんじゃない。男女でキスなんてしたら、それこそ問題でしょ。」
反論できなかった。女子の団結力には逆らうものではない。長親の方を見ると、「僕は別にいいよ」ともじもじしていた。
――やっぱり嫌だな。
頼みの綱の六条先生に訴えようと思った。
しかし、六条先生は見当たらない。
仕方ないので、一時退散を試みて、屋上に向かった。屋上のドアを開けようとしたとき、声が聞こえた。
「ひとつだけ助かる方法があるわ。あなたの血を私に吸わせなさい。その代わり、あなたは人ではなくなってしまうけれど」
劇のセリフの1つだ。だが、少しだけ違う。
「丞か」
この声は六条先生である。隠れたまま過ごすわけにもいかないので、ドアを開けて屋上に出た。そこには、すらっと立ち、美しい目でじっと俺を見ている六条先生がいた。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。
「盗み聞きとは歓心しないわ」
少し怖いが、誤解は解いておかなければならない。
「屋上に来たのはたまたまです。クラスじゃ、俺と長親をキスさせようと必死なもので」
そう言うと、先生は「ふふっ」と笑った。
「あのシーンね。個人的にはどうなるか見てみたかったけど、さすがに不純異性交遊、いや、不純同性交遊になるかしら。ただ、理事長が書いた脚本よ。何でも許されるかもしれないわ」
そうだった。この脚本を書いたのは楓さんであり、楓さんは理事長である。学校の規律など自分のために変えてしまうだろう。つまり楓さんは長親とキスをしろと命令しているのである。
「いいじゃない。相手は絶世の美女でしかもお姫様よ。あとは男でさえなければ完璧だったのにね。まぁ、絶世の美男子とキスできると思えば、それも光栄じゃないかしら」
そう言うと六条先生はまた笑った。六条先生こそ絶世の美女である。しかし、ふいに出る表情の多彩さが近寄りがたさを忘れさせてくれる。
「さっきのセリフ、劇のセリフですよね。ちょっと違ったみたいですけど、すごい上手で感激して聞いてましたよ。先生は演劇の経験があるんですか?」
そう聞くと、先生はちょっと苦い顔をした。
「そうね。劇団にいたころもあったわ。あのセリフは吸血鬼らしいところじゃない。でも、私には従者って似合わないでしょ。アレンジしたのよ」
たしかに先生が吸血鬼であるとしたら、高貴な血筋に違いない。誰にもひれ伏すことなく、人間たちを従える。そういう雰囲気である。が、
「先生はたしかに美しくて強い吸血鬼が似合うけど、笑顔のほうが素敵じゃないですか」
六条先生はこれに顔を赤らめる、なんてことはしない。
「そんなことを私なんかに言っている暇があれば練習しなさい。柚葉や涼宮先生に格好悪いところ見せられないでしょう」
顔を赤らめるのはこっちのほうだった。
もう少し屋上にいるという六条先生を残して、俺はクラスに戻った。扉のところで見慣れない服装の二人の女の子が中を覗いている。あの服はメイド服というのだろうか、クラスの男子が見せてくれた雑誌のメイド喫茶の服とはだいぶ違う。もっと清楚で生地もよく、スカート丈も少し長い。そういえば、柚葉が本格メイド喫茶をやると言っていたなと考えていると、
「あ、いた! すみれちゃん、ジョー君いたよ! ちょっとジョー君どこいってたのよ、劇の練習にいないから心配したじゃない。ねぇ、すみれちゃん」
二人は柚葉と涼宮先生だった。しかし、完全にメイドさんにしか見えなくて、気づくのが遅れてしまった。涼宮先生はとても恥ずかしそうにしながら、うつむいていた。
「ねぇ、ジョー君。私達可愛いでしょ! 特にすみれちゃんなんてメイドとして生まれてきたみたいでしょ」
たしかに涼宮先生はメイド姿が板につきすぎていて、申し訳ないが転職したほうがよいのではないかと思ったほどだ。それにしてもメイド服のクオリティが凄い。どこかから本物を仕入れたかのようだ。
「デザインはすみれちゃんが全部してくれてね。そのデザインを元にみんなで作ったんだ。生地はなぜかお姉ちゃんが提供してくれたわ。いい素材でしょ」
楓さんはどこまで文化祭に懸けているのだろう。
それにしても、涼宮先生は家庭的だとは思っていたが、服のデザインまでできるとは驚きだった。
ふと、以前、柚葉が涼宮先生とどちらがメイド服が似合うか俺に詰め寄ってきたことがあったのを思い出した。ここで評価をさせられるのではと警戒していたが、柚葉は涼宮先生のメイド姿を自慢げに褒めている。柚葉のメイド姿は清楚ながらもはつらつとしたものだった。
「柚葉も似合ってるな。甲乙つけがたいよ」
本音を言った。それぞれの良いところがバランスよく主張されている。その言葉を聞いて、二人は少し赤くなったり、特に柚葉は嬉しそうだった。
「劇の練習は進んでいるの? ジョー君苦労してるんだから、しっかり練習しなきゃダメだよ」
吸血鬼の気持ちはわかるのだが、それを表現できなくて苦労していた。
しかし、さっき六条先生が言ったセリフが何か心情を変えた。
六条先生が劇団に所属していたことを柚葉に言った。
「劇団に? 聞いたことないよ。確かにお姉ちゃんに誘われて教師になる前のことはよく知らないけど、その話はしてくれないからね。さ、練習練習」
そうして、俺はもう一度、優しい吸血鬼の役を練習した。
「加賀長親嬢に清き一票を!」
外が騒がしいと思ったら、演説会が行われていた。台の上で拡声器を持ち、長親のことをアピールしている。その周囲には結構な人数が集まっていた。まるで選挙演説のようである。
あれは何だと長親に聞いた。
「あ、あれはね。僕のファンクラブらしいんだ。今度のミス・ミスターコンテストのお手伝いをしてくれているんだよ。ありがたいけど恥ずかしいよね」
文化祭はもうすぐである。コンテストに向けて、すでにバトルが始まっているということか。
それにしても演説をしているのは楓さんである。どこまで長親の女装が見たいのだろうか。
「千早丞君に清き一票を!」
――なんだと。
「なんで、俺まで演説が行われてるんだよ」
「丞、知らないのかい。丞が転校してきてからすぐにファンクラブが作られたんだよ。下級生から上級生まで参加してるって噂だよ。後藤先生が辞めちゃったから、一番は丞で決定だってさ」
知らなかった。たしかに女子の歓声を浴びることは多かった。だけど、俺は田舎者だし、転校してからも間もない。まさか、ここまで学園で名前が広まっているとは。
柚葉が来て、二人の会話に加わった。
「大人気だね。『こんなに圧倒的なのは学院始まって以来かしら』ってミズキ先生が言ってたよ。そんなミズキ先生もミス・コンテストで連覇中なんだけど」
「六条先生も出るのか。意外だな。そういうのは敬遠しそうなんだけど」
「推薦があるの。一定数の推薦があると強制的に参加になっちゃうのね。いつも六条先生とすみれちゃんのトップ争いになるんだけどね。――今年は私も推薦されちゃったよ」
それを聞いて、柚葉が推薦されるのは自然なことだと思った。柚葉は可愛いし、はつらつとした美しさがある。さきほどのメイド姿だと涼宮先生にも負けていない。これは三つ巴になる予感がする。
「加賀長親嬢に清き一票を! あ、それから今年から、イケメンコンテストの優勝者と、ミス・コンテストの優勝者はキスをすることになったから、喜び給え」
――はぁ!?
学園中に衝撃が走った。楓さんは言ったことは必ず実行する人だ。本当は権力を与えてはいけないのだが、理事長という地位にいる。なんとか阻止する方法を考えねばならない。
文化祭まであと一週間を切っていた。




