ラヴレタリアート(卅と一夜の短篇第15回)
彼岸此岸に隔離された男と女は一年間、休みなく働く。給金などない。たった一日の休日のために、三百六十四日を堪える。ふたりを隔てるあの忌々しい河の中洲で、その日だけ睦みあうことをゆるされる。ロマンスとセックスの濃密な一日を終えれば、また三百六十四日を堪えなければならない。労働者の鑑のようなふたりを、讃える声は皆無。ふたりもまた、そんなものを求めたりはしていない。報酬のその一日のためだけに、ただ黙々と働く。
ある年の逢瀬、女は気づく。このままふたり、どこかへ逃げてしまえばいい。しかし、男は女を諭す。この大河の中洲、どこへ逃げられるというのか。舟をつくって、漕ぎだせば……この中洲のどこに、そんな材料があるのか。それにもう、そんな時間はない……じゃあ、ふたりで死なない? 河に身投げして……なにをばかなことを。死んだら、死んだら終わりだぞ……だから、あの世でいっしょになりたいの。わたしはもう、堪えられない……そりゃあ、おれだってつらいさ。だけど死んでしまったら、おれたちは愛しあえなくなるじゃないか……だから、愛しあったままで終わりにしたいの。死後の世界や来世がなくったって、ぜんぜんかまわない……わかる、気持ちはわかるけれど。
男は一日の逢瀬に望みを託し、女は三百六十四日に倦んだ。男は刹那を、女は永遠を欲した。いや。男が永続を欲し、女が瞬発をねがったのか。
男はあきらめることにした。男とて、三百六十四日をつらく感じている。死への誘いは、甘美なものにちがいなかった。肚は決まった。思えば、理不尽がすぎる。男と女がであったころ、色恋にかまけて仕事を疎かにしてしまった。羽目をはずしただけで、こんな苦役を強いられる破目に。死んでしまおう。理不尽な連中に、一泡吹かせてやろう。おれたちが死ねば、やつらも困る。幽世や来世を彼は信じないが、「もういいや」と思った。男と女は抱きあいながら、河へ身を沈めた。男と女は、そうして死んだ。
何千年何万年という時が流れ、男と女は転生した。そこは暴虐な連中のいない、「自由」な世界であった。「自由」という概念も言葉も、うまれかわるまえの世界にはなかった。彼らに、前世の記憶も意識もない。まったくまっさらな状態でふたりは再会し、恋に堕ちる。ただ、ふたりの家柄がちがった。男は平民の家にうまれつき、女は至尊の家にうまれた。その障害はいくつかあったが、時代は自由だった。運命に導かれるように、ふたりはふたたびむすびつく。
報道の自由の名のもとに。男が家を出るとき。会社に着くとき。会社を出るとき。家に着くとき。男にはカメラの監視がつき、フラッシュの白夜がもたらされる。男は思う。なんとも窮屈な、生きづらい世のなかではないかと。