第三部:夢追い花火、運び屋蛍
2人が結婚して初めて見た花火は今まで見た中で一番綺麗だった。
「本当、ここいいよね!」
「少し来づらいのが難点だがな。まぁ、だからこその穴場なんだが」
花菱ちさきの言葉に忠人は頷く。
屋台が並びお囃子の音が小さく響く小高い山に忠人らはいた。小川が流れ蛍が群れを無し光っているのも一つの美しを表している。しかし、ここに来るまでが面倒でもあるため少子高齢化の波を強く受けている鳥越村でこの場所を知っている人は稀だった。
「にしても、こんな田舎でよくやれるなぁ」
「またタバコ?体に悪いよ?」
「我慢する方が体に悪いんだよ」
セブンスターを拭かせながら忠人は返す。その火は蛍の灯りより真っ赤で明るい。
「タバコの匂いは別に嫌いじゃなからいいけど」
「いつも言ってるけど、珍しいよな」
「お父さんも吸ってたし。それに忠人の匂いも嫌いじゃないからね」
「お、おい!」
クンクンと鼻を引くつかせ忠人に抱きつく。しかしそれでも視線は打ちあがる数々の花火に固定されている。
「代わり映えしないよね、花火は」
あくまで花火は送り火目的。予算の都合もあるのだが盛大な仕掛け花火ではなく、ノーマルな花火を何度も何度も打ち上げ続けている。
「飽きたか?」
「うぅん。飽きるはずない。ずっと、見ていたい。来年も、再来年も」
「……あぁ、見に行こう」
ギュッと忠人はピクピクと震えるちさきの肩を抱く。どれくらいの間、そうしていただろう。30分の間休むことも無く打ちあがる花火は最後の花を咲かせ終わりを告げる放送がなる。
「ちさき、もう遅い。帰ろう」
「もうちょっと、ココにいようよ。お願い」
「ダメだ。もう9時だ。ただでさえ怒られるのは俺なんだぞ?」
「でも……」
「来年も、見に行こうな」
「うん」
「よっと」
優しく忠人が告げると有無言わさずちさきを背負う。
「べ、別に大丈夫だって。行きも普通にこれたんだから」
「一応だ。暗いしな、もう」
本当のことをいうのであれば、二次災害、三次災害を防ぐ意味でも誰かを背負うというのは極力避けるべきだ。そんな知識は忠人もある。でも、ちさきの事を考え、思うと……。理屈など後回しに考えてしまう。きっと大丈夫だという慢心からかもしれないがそれでもいい。
ザクッザクッという音を響かせ一段一段階段を下りていく。いまだに背負われることに恥ずかしさがあるのかちさきは忠人の首元に顔を埋めたまま軽く身じろぎをするだけでなにも喋らなかった。その為、後ろから伝わる体温と息、確実な重さだけがちさきを確認できる材料となる。
階段を降り切ったさき、そこにおいてあった車いすにちさきをのせる。途中から、ちさきの出す呼吸が寝息へと変わっていた。
「よいしょっと」
いくら夏とはいえこんな田舎の夜は冷える。風邪でもひいてしまったら大変なんてものではない。そのままカラカラと車いすを押して、片づけを始める露店を横目に歩くこと20分。時刻は21時30分。その建物はすでに明かりがほぼ消されていた。
こういう時に値の張った車いすを購入してよかったと強く思う。安物とは違い電動アシストのついているので田舎ゆえの悪路の影響は少ない。
きぃーと小さく音をたてさせて建物内へと侵入する。だが、だれにもばれずに戻そうという試みはすぐに破たんした。
「花菱さん。消灯時間はとっくに過ぎてますよ」
「あっ……」
固まる忠人。ため息をつきナース姿の30代の女性、結城は忠人に近寄り厳しい視線を送る。
「青春漫画の主人公としては100点の行動かもしれませんが、いい大人がやる行為としては0点ですよ?」
「すみません……。ちさきが見たいと言ったので」
「確かに、この病院からでは立地の問題で見れませんけど……。医師からの許可さえ取れればそれなりの用意を整えた後で花火を見ることはできましたよ?」
「取れれば、ですよね?」
「……はい。取れれば。というよりは、とってみせますが」
そこで視線の厳しさを緩める結城。
「お説教はここまででいいですね」
「すみません。勝手な行動をして」
「看護師としては見逃せませんが、一友人として黙認したんです。まあ、こんなに遅くまでくすぶるとは思ってませんでしたけど」
小さく棘を刺して忠人からちさきを受け取る。
「面会時間は過ぎてます。早く、花菱さんも家に着いてください。遅くまで外にいると祭りの打ち上げ後のおじさんたちに絡まれますよ」
「それは、面倒そうだ……。わかりました。ちさき、お願いします」
「えぇ、明日目が覚めましたらお説教しておきますから」
「ははっ、どうか、お手柔らかに」
最後までいつも通りな結城に苦笑いを零して、忠人は帰路につく。忠告通り、早く帰ろうとしたがすでに出来上がっている人に捕まり酒を飲まされた。
伸縮性筋肉麻痺。
この病名がちさきに告げられたのは彼女がわずか10歳の頃だった。最初は肉離れのような症状が激しい運動をするとよく発生することに疑問を覚えたちさきの両親が、大きな病院で診断を受けた所で発覚した。
遺伝子の一つの欠損による病であり、現在治療方法は確立されていない。その先にあるのは明確な死である。
「ちさき?入るぞ」
「うん」
カラカラと病室の扉が開けられる。田舎の病院ということもあってか広い土地に建てられされには過疎化している病院では個室もかなり安くあてがわれていた。そしてちさきにとって病室はこれから一生暮らしていくことになるかもしれない。多少高くなるぐらいならばと個室を選択した。
それに寂しくなることも無い。外に出、待合室にでも行けば井戸端会議をしている患者が必ずいる。ほぼ全員が顔見知りだ。
「忠人、今日は遅かったね」
「少し二日酔いしてるなか仕事もしてたしな」
「お酒飲んでたの?」
「まあな。それに仕事もそこそこあったし」
「雑誌の編集者かー。大変だよね」
「楽しんでやってる」
丸椅子を持ってきてベッドに横になるちさきの近くに座る。
「今日朝起きたら、怒られちゃった」
舌をペロリとだしてちさきは笑う。
同年代よりも若く幼い振る舞い。悪く言えば子どもっぽく、よく言えば純粋なその姿が可愛らしい。
「俺も昨日帰ってきた時に怒られたよ」
「青春漫画のヒロインとしては100点かもしれませんが」
「いい大人がやる行為としては」
「「0点です」」
声をそろえて笑う。同じセリフを言われていたということに笑う。というよりはいつも通りの言葉なわけで先取りなど簡単にできるわけだが。
「だからか?今日は大人しく寝てるんだな」
いつもならば病室にいたとしても趣味の塗り絵をしていたり携帯でゲームをしていたり、運動とはいわずとも窓から景色をずっと眺めていたりしている。だが今日のちさきは大人しくベッドで横になって本を読んでいるだけだった。
「結城さんに怒られて今日は安静にしておけーって」
「罰……みたいなものか」
「そもそもウロウロされること自体好かないと思うからね」
「途中で何かあったら大変だもんな」
「心配し過ぎなだけな気がするけど」
「そういうもんだ」
そうかなーとちさきは呟く。それに対しては忠人は特には返さなかった。それはちさきのことを考えると俺か、看護師がついていなければもしもの時が心配だという気持ちがあるからだ。それほどまでに伸縮性筋肉麻痺は恐ろしかった。突然に継電を起こしてしまう可能性も秘めている。
「それに今日は結城さんの言うとおりにしておいた方がいいかなって」
「まあ、そうだな」
結城を相手に挑発的行為を二日続けて行うのはそれこそ自殺行為だろう。精神的な意味で。
まだ忠人らが成人してもいないとき。定期健診を忘れて忠人とちさきが小旅行に行った時があった。その時の結城の怒りはかなりのものだった。それ以降も怒られることが多々あったがためにもう刷り込みのように恐怖を覚えさせられていた。
「あーあ。でも、つまんないな」
「気に入ってるんじゃないのか、この本?何度も読み直してるし」
忠人はあらすじに目を落としながら問いかける。
幼馴染とロックバンドを目指すなか、小さな争いとそして育む恋心を描く青春恋愛小説。ちさきが高校生の頃に出版された小説だ。その頃にはもう、激しい運動が制限されていたちさきにとって未来に向けて頑張るストーリーというのは惹かれるものがあった。
「違う。本の事じゃないよ。ただ、“どうせ”ならもう外で過ごしたいなって」
「……一応、掛け合ってくるよ」
「そう?お願い」
「ああ。わかった」
ちさきの言ったどうせという言葉にちくりと胸の奥を痛めながら忠人は立ち上がる。
「ちょっと先生とも話があるし、仕事もあるから帰るよ」
「えーって言いたいところだけど忠人が仕事しなくっちゃ生きていけないもんね。あー、世知辛い世の中」
「そういうもんだ」
最後に笑いかけてから病室をでる。慣れていたはずの病院特有のツンとした薬品の匂いに鼻孔を揺らされながらナースステーションに向かう。
そして声をかけようとしたとき目的の人物が廊下へと出てくる。
「あっ、結城さん」
「花菱さん、こんにちは。来てらっしゃったんですね」
頭を下げると結城もそれに応える。手にはカルテを持っているのでこれから問診にでもいくのであろうか。
「30分ぐらい前に」
「そうですか……。少しお時間ありますか?」
「えぇ。俺も少し頼みというか、ありますし。結城さんの方こそこれから何かあったんじゃ?」
「あぁ、これは整理しに行こうとしてただけなので問題ないですよ。ここじゃなんですので、こちらへ」
そういって廊下からナースステーションをくぐり奥にあった応接室に足を踏み入れる。田舎ゆえか、人の少なさから、患者一人ひとりのケアを丁寧にしてくれるのは利点だ。惜しい点といえば治療が難しくなれば医療設備の整った都会の病院に移らなければならないぐらいか。それが最大のデメリットでもあるのだが。
「ちさきさんの事ですが……」
世間話はいらないだろうと言わんばかりに単刀直入に切り出す。
「今朝、軽い検診をしました。その結果、肩の筋肉にまで症状が侵攻していることがわかりました」
「えっ?」
「御存知の通り伸縮性筋肉麻痺は筋肉への伝達、つまりは電気信号の異常が原因で起こります。肩に見られた異常はまだ薄く、恐らくご自分でも気づかれない程度の痙攣が時折起きる程度です。ですが症状が悪化すると自分の意思で肩を上げることはできなくなるでしょう」
「……そう、ですか」
普段の様子からそんな素振りはすくないが着実に病は体むしばんでいるようだ。昨日だってあんなに元気に……。いや、もしかすると肩を抱いたとき震えていたのは寒いからではなく、息をしていたからではなく。
つい1年前までは車いすもいらなかった。なのに長時間歩くことがだんだんと難しくなっていき今では出歩くのであれば必ず車いすが必要になってきている。きっと肩も同じようになっていくだろう。いや、それで収まればまだいい。そこで止まってくれれば。
「臓器、の方は?」
「症状はでていません。そもそもがまだこの病が詳しくわかっていないため、どうしてかはわかりませんが筋肉伝達が上手くいかなくなっていくのは体の表面に近い位置からです。臓器の筋肉が痙攣を起こしたり、動かなくなるのはまだ先かと思います」
「よかった」
それはただいつか起きることの先延ばしだということは理解している。しかし死という概念が少しでも遠のくのであれば喜ばざる得ない。
「一応報告しておくべきと判断して花菱さんにはお伝えしておきます。ちさきさんにお伝えするかは花菱さんにゆだねます」
「まだ、黙っておきます。もう少し、自分でも症状が認識できるギリギリになったら伝えます」
脚の筋肉がうまく動かなくなったとき、それが理解してしまった時、ちさきはずっと涙を流していた。いやだと声を上げていた。
忠人は歩けなくなること、それに対して拒否反応を示しているのかと思ったがちさきはそうではなかった。死が近づいているようで、忠人と一緒に入れる時間が奪われていくようで嫌だと泣いていたのだった。
考えてみればそうだ。もともとあまり派手に暴れることができなかったちさきにとって歩けなくなるというのは日常の事なのだ。元から目が見えない人が目が見えないから不便に思えるはずもない。足がない人がそれを不便と思えるはずもない。目が見える、足があるというのを知らないのだから。
ちさきにとってもそれは同じことだった。しかし、なにもかもが終わる“死”というものが、ちさきを苦しめていたのだ。
「……結城さん。無茶を承知でお願いしてもいいですか?」
「今更そんなことをいうなんてよっぽど無茶な事、なんでしょうね」
少し笑いながら結城は忠人の目を見る。
「ちさきを、退院させてやれないですか?」
「私個人ではどうともいえないようなことを頼んできました、か」
腕を組む結城。右手で左手の上腕二頭筋を揉むのは彼女の癖だった。何回揉んだだろう。もとより忠人は数えてはいなかったがそんなことを薄く考えるようになってくるぐらいたっぷり時間を使ってから結城は口を開く。
「一応、先生とはかけあってみます。ですが、叶えられるかはわかりません。確率は30%ぐらいと思ってください」
「30%」
その数値が低いのか高いのか。パチンコで確立30%で当たるというのなら低くないだろう。だが、それは何回も回せるという試行回数があってのものだ。これは一回限り。成功するも失敗するもその確立の幅から免れない。30%で退院許可がおりるか、70%でおりないのか、この絶対的な二つしかないのだ。
それでも、やらなければ0である。
「お願い、します」
忠人は頭を下げる。愛する妻と少しでも長くいたいから。
「はい。わかりました」
そして結城も受け取る。この確率30%は結城が勝手に出した数値に過ぎない。少しでも確率を上げれるようにしつこく頼めば、試行回数はいくらでも増やせられる。
「結果が分かり次第お伝えいたします。また、仮に退院できたとしてもすぐに入院していただく可能性もありますし、検査で病院には、私のみたてですが最低でも月に1度は来ていただくことになると思われます」
「はい」
忠人は大きく頷いて結城に望みをかけた。
雑誌記者というのは思いのほか忙しい。忠人の会社は固定給ではなく歩合給。月にいくつ記事を書くか、その記事の出来、特集を組めるかなどでその月の給料が大きく異なってくる。
忠人は来月の月で特集を任されている。その特集内容は若者の田舎帰りだ。
確かに田舎はどんどん過疎化しているが中にはあえて田舎に戻ろうとする人物らもいる。そういった人たち、および若者を入れようとする村の政策の特集だ。その一つとして村の年寄に螢火祭りに関する話をいくつもいた。面白いのは筋書はにているのに細部が微妙に異なることだ。
鳥越村も政策に力を入れている。というよりはその政策の一旦として、この村に住む忠人に頼み雑誌掲載をするのだ。
「後は編集しなおしていくか」
夏祭り後の打ち上げ。その場でも酒に飲まされ飲ましながらも色々と取材はできた。できるだけ素の様子を写真でおさめたいという熱意もある。いい写真は何枚も撮れた。その分、絶対に使えないような写真も撮れたが。
ひとまずはまとめた記事を編集者向けに送る。そこでいくつか指示を受けたのちまた書き直していく。そのようなスタイルなのだ。
メールを送り終え、フッと時計を見る。思いのほか記事を書いてから時間が立っていた。それはなぜか。理由は簡単だ。全くと言っていいほど集中ができていなかったのだ。なぜなら携帯から連絡が来るかと気が気でなかったからだ。
結城の説得が医者に通じるか。通じていてほしいと願う。人は必ず死ぬが、ちさきの死はもう目の前だということが分かっているのだから。
忠人はインターネットを開けてブックマークをしているページを開ける。
『伸縮性筋肉麻痺』とは。
このタイトルで書かれている医療記事だ。その他にもWikipediaや個人サイト、医療学会が運営しているページなどもブックマークしている。なにか解決策が表れたときにすぐに反応できるように。しかし発表されるのはどれもかれもが不吉なものばかりだった。
「くそっ」
このページを開けて悪態をつくのは何度目だろうか。
伸縮性筋肉麻痺には3つのパターン。ゆっくりと時間をかけて体をむしばむタイプ。通称タイプA。急性型で一気に病気が進行するパターンB。そして病魔が進むにつれてむしばむスピードが増していく加速度型のタイプC。ちさきがタイプCであることは明らかだった。
またBタイプとCタイプは性質が似ておりCからBへとタイプ変動する事例もあげられている。併発する病も多く時には後天性の心室中隔欠損や脳性麻痺を引き起こすこともある。
「あと、1年……か」
ちさきの病気のスピードから逆算するとそういう結論に至る。
車いすで結婚式を開いた2年前が大昔のように感じる。できるだけ密度濃い時間を過ごそうと心がけているのだからそのもくろみが成功している証だと思う。
年を取るたびに1年は過ぎるのが短くなるというが、それは一日一日がスカスカだからだと忠人は推測していた。
だからこそ、さらに密度を濃い時間でこの一年を過ごしたい。そうするためにはきっと一緒に暮らすというのが一番いい選択だと思えるのだから。
ブーブーと携帯が震える。
「っ」
慌てたように、反射的に携帯を取る。ちさきと共に買った小さな人形のキーホルダーが揺れる。
だがすぐに肩を落とすことになる。ただの宣伝メールだった。大きく息をついたその時、また携帯が震える。
結城からの電話だった。
「もしもし」
すぐに電話に出る。
『もしもし、先ほど先生とお話ししてきました。例の件で』
「はい」
『結論から言います。一時退院という形となりました』
「よかった」
ほっと息をつく。仕事場においてある結婚式の時に撮った写真を見る。いつもより輝いているようにみえた。
『しかし、条件付きです』
「条件?」
『週に一度病院へ来ること。ちさきさんを一人にしないこと。そしてこの退院の中止が決められたら大人しく従う事。この三つです』
「…………ありがとうございます」
迷った末、上げた言葉は謝辞だった。本音を言うならば一時ではなくずっといたい。しかしわがままなどいえないのだ。一時退院だけでも大きな一歩なのだ。
「ちさきには?」
『まだ伝えていません。まずは花菱さんにお伝えしようと』
「退院日は?」
『準備が整い次第。流石に今日、明日というのは不可能ですが一週間後以降ならば』
「……わかりました。今からちさきの元に行きます。それで決めます」
『花菱さん。もう面会時間は終わってますよ?』
「えっ?あっ」
いつもそんなこと気にせず面会時間を破るも上等の気持ちでいるがためにすっかりと忘れていた。
『……ですが、ロビーの方には入れますし、入院患者もまたロビーまでいけます。私がちさきさんをお連れしますよ』
「ありがとうございます」
『どれぐらいでこれそうですか?』
「すぐに。えっと……10分で」
『わかりました。それぐらいに降りてきます』
「はい」
ピッと携帯を切ると椅子から立ち上がり出かけの準備をする。戸締りの確認もそこそこに飛び出し自転車をこいで病院へと向かう。パソコンの電源はつけっぱなしだがわざわざ切るのも面倒だとあえてしたことだから問題はない。
そして病院ロビーについたのは宣言の10分より早めの7分。息を整えながらロビーの長椅子に座る。
ちさきはこの一時退院をどう受け取るだろうか?喜ぶだろうか?もしかしたら俺の喜びようを見て笑うかもしれない。反対に喜びすぎて涙を流すかもしれない。
様々な想像が頭を駆け巡る。
チンというエレベーターの音。視線を向けるとちさきと、ちさきの乗る車いすを押す結城の姿があった。
「ちさき」
「忠人。どうしたの?」
状況はまだ伝えられていないようだ。どうしたのだろうと首をかしげている。
結城が忠人の前までちさきを運ぶ。忠人は軽く頭を下げる。
「なぁ、ちさき?」
「なに?あー、もしかして浮気でもしたのー?」
「そんなわけないだろ」
ちさきの茶化す声に強張っていた顔を誇ろばせる。なさけない。助ける側の自分が助けられてばかりだ。
「お前。外に出たいっていってただろ?あの後すぐに結城さんにも頼んで結城さんから先生の許可ももらえた。一時、という形だけど退院だ。一緒に暮らそう」
「一緒に……退院」
そう鸚鵡返しに返すと。顔を喜色にして、もう脳からの指示をほとんど聞かない足を使って忠人に抱きつく。
「お、おい」
「ちさきさん!」
「ふふっ。やった……やった」
「たくっ」
忠人は小さく笑いながらちさきを車いすへと戻す。しかし忠人に抱きついたままだ。
「全く……もう少しだけですからね」
結城は甘い二人の関係に胸やけを覚えながら苦言を呈する。休憩室にはブラックコーヒーが完備されているから後でそれを飲もうと片隅で考える。
これで退院できる。そしてもっと思い出を作ろう。
しかし、そんな未来が訪れることがなかった。
「はぁはぁ」
忠人が血相を変えてちさきの病室に飛び込んだのは退院予定日の前日。22時。面会時間どころか消灯時間も過ぎている。
結城からの連絡でちさきの体調が変わったことを知らされた。唐突に全身に痙攣が表れたのだ。
「あのっ!」
受付に飛び込むようにして声をかける。
「花菱さん、大丈夫です。受付処理はやっておくので早く奥さまのところへ」
「ありがとう!」
最近入ったばりというのにこちらが希望していることをすぐに察してくれるその若い男性看護師に礼を述べる。
タンタンタンッと駆け上がる。
一階、二階、三階、四階、五階。
そこからちさきの病室も走る。扉は、開いていた。
「ちさき!」
中に飛び込む。そこには主治医の荒木と結城をはじめとして中野や川上といったよく見知った看護師がいた。
「花菱さん」
「ちさきは?」
結城が顔を向ける。
「ひとまず、山は抜けました」
「よかった」
ズルズルと壁に背中を預けると座り込む。だがすぐに結城の言葉に違和感を覚える。“ひとまず”とは。
「花菱さん、彼女の容態についてお話ししても?」
「先生、はい」
尻を叩きながら立ち上がる。ベッドを見るとちさきは胸を上下させ寝息を立てていた。
「伸縮性筋肉麻痺に3つのタイプがあることは御存知と思います」
「はい」
「奥様はCタイプと診断しておりましたが、いつの間にかBタイプへと移っていたようです」
「Bに……」
「先ほどの検査の結果ですが、痙攣による後遺症で肩の筋肉はほぼ麻痺状態に、また視覚に通じる神経にも異常が見られ視力が大幅に落ちております」
「視力が」
「失明まではいってませんがどこまで持つか……。また、臓器へのダメージも今日、明日。いつ起きてもおかしくはありません」
「わかり、ました」
「今日は奥様のそばにいてあげてください。何か容態に変化が起こりましたら、すぐにナースコールかなにかで呼んでください」
「……ありがとうございました」
頭を下げる忠人。荒木もまた頭を下げ部屋からでる。看護師らも頭を下げて出ていく。
「花菱さん……」
「結城さん。お世話かけます」
「いえ……。それより、私達は病気に対してのケアは最大限まで勤めますがメンタルへのケアはやはり旦那様からやられる方がよろしい思われますので」
退院を一番楽しみにしていたのはちさき自身だ。確かにメンタルのケアは大切かもしれない。
「はい。ありがとうございます」
「何かありましたらすぐに」
「はい」
最後に結城もまた頭を下げて部屋から出て行った。
「ちさき」
そっと手を握る。握った右手から伝わる温度は酷く冷たかった。栄養と麻痺による痛みを和らげる薬を注入する点滴がいくつも左腕に刺さっている。
まるで作り物化のような温度に心が乱される。
「なぁ、に……?」
「ちさき!起きていたのか?」
「つい、さっき」
そういって微笑む。しかし、瞳は閉じたままだった。
「あれ?そこに、いるんだよね?」
「あぁ、俺はここにいる。ここだ」
手を強く握ってちさきの顔の近くまで自分の顔を持っていく。
「忠人」
そこでようやく忠人を視認できたらしい。笑顔をもっとほころばせる。
「忠人……忠人」
うわごとのようにただ一心に忠人を呼ぶ。その瞳からは一筋一筋と涙が浮かんで流れていく。先ほどの説明で言語野に異常は言及されていなかったが微妙に滑舌は悪くなっている
「私……死ぬのかな?」
「俺もいつか死ぬさ」
「違う、よ」
そんな言葉を聞きたかったわけではないことは忠人も知っている。だが、いいたくない。ちさきがいつ死ぬかはわからないなんて言葉を。
「ちさき。また花火、螢火祭り見に行こうな」
だからかける言葉をかえる。マイナスの未来を見るのではなく、一輪の闇夜の花を見ようと誓いを立てる。それの方が絶対にいいから。
「うん。見たい。私も、花火……また」
「あぁ」
ギュッと手のひらを強く握られる。先ほどまであんなに弱弱しかったのに。
「また、明日……」
「うん」
一日一日の喜びをかみしめるためにそう返した。
そして目を閉じて眠りにつく。忠人もまた、手を握りつつうつらうつらと舟をこぎ始める。
だが、翌日に目を覚ますのは……忠人だけだった。
タバコの煙は空中をユラユラと漂う。それを見送ってから、短くなったそれを彼は携帯灰皿に押し込む。携帯灰皿に着けていた人型のストラップが少し揺れる。
「本当止められねえな」
自分でもヘビースモーカーのニコチン中毒気味であることは百も承知していた。だが、どうしてもやめられなかった。
テレビのCMでは頻繁に専門家に相談をなどと言っているが、どうしてもその一歩を踏み出す気はなかった。そもそもやめる意味もない。これで体を壊しても別にどうでもいいと考えている。
「3、2、1」
忠人のカウントが終わる。と、同時に忠人の後方奥……。かなり奥から一発の花火が打ちあがった。薬指に輝く指輪をその花火を微かに写す
ちさきが死んでから二年の月日がたった。最初の一年は本当に、何の気力もわかなかった。
一緒に眠りについて朝日で目覚めたとき……、彼女の息はまだあった。しかし、いくら声をかけても目覚めることがなかった。おかしいと思いナースコールを押した。それが、まるでなにかのトリガーだったかのように安らかに息を引き取った。直接の死因は心臓麻痺だった。
その時の様子はなぜかうまく思い出されない。心がシャットアウトしているのか。荒木や結城たちが続々とやってきて対処をしてくれたが、最後にはちさきの死亡確認時刻が伝えられた。中落ちしたコマ送りの映画のようにしか覚えていない。
葬儀には結城も来てくれた。死を多く見ていたはずなのに悲しみ涙してくれていることに悲しみと同時に嬉しさも感じれた。
「しっかし。これに色々な花も川に流したりして、この街ってなんで死者に対する扱いが丁寧というか、すごいんだろうな」
もうタバコは消したはずなのに口元に手をやりながら忠人は考える。二年前にあんなに取材したのにこれだけはわからなかった。
子どもの頃はここから見る遠花火と川面を流れる舞う花はただ美しいなと眺めていた。昨年は思い出の場所であるここに来るのは精神的に辛かった。
「アイツも見てるのかね」
ちさきの写真に向けて呟いてみせる。誰にも聞こえないはずの呟き。そのはずだった。
『―――て、……よ』
「えっ?」
気のせいかもしれない。だがしかし、しっかりと耳に届いたような、誰かの声が聞こえたような気がした。
「ちさき?」
まさかとは思いつつもその名前を呼ばざるは得ない。
「ちさきなのか。オイ!」
辺りを見渡すが目的の人物は姿を見せない。
まさか一緒に花火を見に来てくれたのか?頭をフル回転させる。死者を見るには?塩?それは逆効果だ。それではそれでは。
「……火」
送り火や迎え火、火の玉など、なにかと死者と火は合わされることは多い。
死者というよりは霊かもしれないし、火の玉は霊が出すものだが、そんな冷静な判断は忠人にはできなかった。
慌ててタバコにライターで火をつける。
だがしかし、そんなもので見えるはずもない……。
「なにやってんだが」
自分の愚かさに苦笑してタバコを口にくわえる。蛍が川辺から飛んで忠人の方へと抜けていく。
「なっ……」
ポトリとタバコが地面に落ちる。蛍の淡い光の中から先ほどまで探していた人物が……ちさきが、立っていた。
蛍が、ちさきの魂をつれてやってきた。
「火事に、なっちゃうよ」
「あ、あぁ……」
言われるがままタバコを踏み潰して、「ちさき、だよな?」尋ねる。
「ふ、……う、より……ろ、とか……」
だが蛍が去るとちさきの姿も消えていく。
「おい!」
慌てて声をかけるがちさきはゆらゆらとタバコの煙のように消えていく。
ちさきはなんといっていた?
自問自答を繰り返して、できもしない読唇を試みようとする。
読唇技術がある人間でも訓練をきちんと積めば別だが、それができる人間は限られているものだ。それはその口の動きの癖をよく知っている、つまりは身近な人物であることが前提であることが多いのだ。ちさきならば、という思いがわく。
「ふつう……。より……なんだ!よりい、よりき……よりし、よりしろ。憑代か!」
なにかないかと探して、携帯についている思い出のストラップに思い当たり、引きちぎるとともに空中へ投げる。
淡く光るストラップは幻想的だった。
「正解」
ニコリと笑う彼女は、間違いなく、ちさきだった。
「まさか、逢えるなんてな」
忠人の声が震える。左手に持つ写真で笑う人物がそこにいた。
「お祭りは、みんなで楽しむものだから」
「そう、だな」
およそ二年ぶりの言葉はあまりにも少ない。それは言葉を用意なんてしてなかったからか、話したい言葉が濁流のようにおしよせるからか。
「花火きれいだね」
「去年はこなかったからな」
「忠人が弱いからだよ」
「しかたないだろ」
そのニコニコ笑う姿は、死者とは思えなかった。どうしても自分と同じ生きているものとしか思えないが、彼女の遺骨は確かに墓の中だ。
「再婚しないの?」
「相手もいねえしな」
「結城さんとかは?」
「あの人は去年結婚した」
結城は長らく付き合っていた男性と結婚し、今は妊娠をしてるため看護師の仕事も休んでいる。
「へー、そうなんだ」
「天国でみてるんじゃないのか?」
「ざーんねん。天国っていうのも案外楽しいという意味で忙しくて、地上なんてそんなに見る暇もないよ」
「星になってずっと見守ってるっておとぎ話なんだな」
「当たり前。そんなのは童話なら100点だけど実際なら0点だから」
結城の言い回しで茶化すちさき。その直後、はかなくちさきは笑う。それはとてもきれいでもろく感じる。
「それに……、寂しくなっちゃうから。死者の負の感情は悪霊と化す、原因だからね」
「…………」
それにはなにも返せなかった。そうなのかとも、なにも言えなかった。
だから代わりの言葉を、話題を探す。
「こういうのって抱きしめても大丈夫なのかな?」
「死んでしまうよ?っていったら」
「それは勘弁かな」
「なーんてね。幽霊に抱きついて死ぬなんてないし、そもそも触れられないんだよね。といっても今の私は憑代を持ってる。だから」
ポフッと忠人の胸に収まるちさき。
「忠人の匂い」
「なんだよそれ」
「タバコかな」
「セブンスター吸ってるやつ全員俺か」
「忠人個人の香りもあるよ。シガレット忠人」
クスクスと笑うちさき。その一つ一つの動作はとても可愛くて。愛おしくて。懐かしくて。
「このまま、ここにはいれないんだよな」
「私を悪霊にするつもり?」
「わかったわかった。じゃあ、来年もまた来てくれるか?」
「その時次第かなー、なんて。というか、去年も来ていたんだよ?」
まさかの告白だった。忠人は何とも言えぬ気まずさのようなものを覚え、それに沈黙で返す。その沈黙をちさきはどう受け取ったのか、言葉を紡ぐ。
「それに、時間がたつとともに魂の転換も行われていくから、来年も同じように忠人の前に逢えるかはわかんないよ」
「そっか、そういやここの神社は輪廻の事に関してあるものだしな」
興奮して忘れていたことを思い出す。
「……ごめんな。一緒にいるって約束したのに」
自分でその約束の時間を一日、つぶしていたというわけだ。
「気にしてないよ。でも、本当に魂がいつ転換されるか」
「いや、いい。それでもいい。近くに、いてくれるんだな?」
熱い熱意をもって問いかける。その瞳の奥にちさきは煮えたぎる気持ちを感じる。問いているのは反故される可能性も高い―――。
「絶対に、いく」
「約束だ」
「うんっ」
約束。
「あっ、タイムミリット、みたい」
ちさきの体は憑代に移ったときと同じく淡く光っていた。
「結城さんにもよろしく」
「信じてもらえるよう伝えるよ」
「うん」
最期のベッドの上と同じ顔をするちさき。それははちきれんばかりの笑顔。
「じゃあね」
「ああ。またな」
「っ、またね」
お互いに手をふって、バイバイじゃなくて、また逢おうとの約束を交わして……ちさきは光となり天へと昇っていく。
「幽霊も泣くんだな」
それは一つの発見で、せっかく、涙を隠して浮かべてくれた笑顔を無下にしたくないからちさきが涙をこらえていることに気づいたことは胸の中だけに秘めておこう。忠人の呟きは続く。
「もう少しだけ、長生きしたくなってきた」
タバコを拾い上げ携帯灰皿にいれる。しかしタバコを止めるつもりはない。銘柄をセブンスターから変えることも絶対になくなった。
むしり取ったストラップは大切に手のひらの中に置いておく。
大きな花火の音が聞こえるが……螢の群れが空で踊る姿は、さきほどまで見ていた光景には勝らないだろう。 闇夜に咲く一輪の花よりも大きな笑顔を向けたちさきのほうが―――。
忠人にとっては―――。
暖かかった。