第一部:枯れ花火、追いし螢
ヒューと上がる大きな大きな花。両手いっぱいに広げてもその花の大きさにも及ばない。素敵素敵な花。
光った後に遅れてやってくる音は雷のような恐怖を生み出すわけではなく風鈴の音と同じように情緒深さを示させる。
打ちあがる花火が何かの絵を描くことや驚くようなギミックがあるということは無い。質素に一発一発を丁寧に打ち上げていく。
「あいつらも……よくやってくれてる」
「大切なあなたの息子であり、弟子なんですから、当たり前ですよ」
薄く微笑む愛子。頬の皺が伸びてほんの少しだけ若くなる。それはその微笑み方が昔を思い出すからであろうか。
対する大吾は長年の間に刻みついている眉間の皺を指でほぐすように押さえながら呟く。
「仕事は丁寧だが、少し遅い。もう少し早くこなすべきだな」
「あなただって若いころは遅かったじゃないですか。丁寧だけど遅い、まさにあなたの息子ですよ」
「そう、なんだろうな」
その言葉に初めて頬を緩める。花火職人として引退を決意したのは息子の作る玉が安定してきたと肌で感じたことからだ。もう、任せられる、そう感じていた。
また花火が大きく咲く。
懐に手をやり少しまさぐった辺りで大吾は手を止める。求めているものはそこにはない。
「タバコはお医者様に止められているでしょう?」
「分かっている。ただの癖だ」
指摘されたことにいくばくかの恥ずかしさを覚えて見上げる形となっていたものから、そっと視線をずらして、ぶっきらぼうな返事に自然となってしまう。ふっと上がる顔の赤さは花火の明るさでなのかは分からない。
川面を泳ぐ魚は花火の音に驚いたのか一度水面を跳ねて逃げていく。それを笑顔で見送る愛子。
「私達が送られる側になるのはあと何年後ですかねぇ」
「さぁな……。その時はその時だ。まず、彼岸に帰ってくるかどうかも分からねえがな」
「いやだ。せっかくだから帰りましょうよ。極楽浄土もたまには離れることで喜びが増すんですよ」
「地獄に行く可能性だって十二分にある」
「刑務所にだって仮釈放だとかありますよ」
「地獄にも同じ制度があるのか」
「まぁ、言うほど悪いこともしてませんし、地獄にはいかないでしょう……。あら」
愛子は川近くの草陰がチカチカと淡くしっかりとした光を放っていることに気がつく。それはこの祭りが象徴する神聖なる生物―――螢。
鳥越村の言い伝えでは螢の光は死者の魂をあの世から現世に運び、そしてまたあの世に運ぶという。そのため一部では魂の運び屋と呼ぶ者もいる。
「今年も顔を出してくれましたね、螢は」
「……数が少なくなってきているがな。若い頃はもっと一面に螢がいたものだ。今では見られるかも怪しくなっている」
「仕方ないですよ。時代を進ませる犠牲になっていくのかもしれません。そもそも、今の時代をいい意味でも、悪い意味でもこうしたのは私達です」
「そうだな……。いつの時代も若い衆は疎まれる。だが、その若い衆をつぶすと時代は進まん。例えその先が悪くなろうがよくなろうが、いがみ合っていたら現状維持という最悪の結果しか産まんだろうな」
「ですけど、わがままかもしれませんがこの祭りは残してほしいものです」
「同感だ」
螢の群れが踊るように光る。一時期は川が汚れ始めていたが懸命な努力と呼びかけにより、川は以前の状況を取り戻していた。
ヒューという音とドンッという音は21時を超えてようやく鳴りやむ。
本年の二日に分けて行われる“螢火祭り”は今ここで終わった。
「それでは行きましょうか」
「そうだな。頼む」
「はい、わかりました」
愛子は頷いて大吾の乗る車いすをゆっくりと押す。車いすは億劫そうにギリリと音を立てて動き出す。
土からコンクリートに地面が変わると多少は動きやすくなる。この辺りも文明のおかげと言えよう。確かに土の香りは引き替え用のない何かを体中にめぐらす。しかし、歩きやすさなどを考えるとコンクリートの方が上になることだってある。結局は一長一短だ。
昔がいい、今がいいなんていうのはナンセンスだろうと車いすを押しながら愛子は静かに思う。結局どちらが最高かなど考え方次第でコロコロと変わってしまうものだ。
五分の道のりを行くと白を基調にした、村にしては唯一といっていいほど近代的な建物が現れる。その建物に入るとともに白い、看護師服に身を纏った女性が二人を待っていた。
「おかえりなさい」
ツンとした薬品の匂い。独特の清潔感。それは大吾だけでなく、愛子もよくお世話になる病院。
その女性―――川上加奈は小さくお辞儀をすると愛子から車いすを受け取る。大吾はいつの間にか眠りに落ちていた。
「どうでした?“送り花火”は?」
「えぇ。とてもすてきでしたよ。加奈さんもいらっしゃればよかったのに」
「お仕事がありますから、仕方がありません。来年は何とか休みを取ろうと思います」
「あら?そうですか。では、夫をよろしくお願いいたします」
「お気をつけてお帰りください。あっ、タクシーでもお呼びになりますか?」
「いえいえ。祭りは終わりましたがまだ盛り上がりは引いてません。月明りと提灯の明かりをもとに家まで帰りますよ」
「風流ですね」
「風流ですよ」
今度こそ頭を下げると病院を出ていく。大きく息をつくとまだ宴もたけなわな鳥越村を歩く。
酒に酔っている者、浴衣をきてゆっくり歩いている者、神社にお参りしている者など。この村に旅館が存在しないゆえ螢火祭りの為だけにやってくる観光客は稀だ。その稀にやってくる観光客はもうすでにタクシーに揺られている頃だろう。一番近いホテルでもここからタクシーで30分ほどかかる。
―――螢の奇跡はまだ残っているのかしら。
愛子は小さく呟くと螢と共に帰宅をした。
同じころ、大吾もベッドの上でぼんやりとした意識を保っていた。いつの間に自分が眠っていたのか、いつの間に自分がここで横たわらされていたのか。その記憶すらもない。『鬼の花火職人』と呼ばれた面影は既に消え失せている自分になさけなさも感じる。
愛子は自分たちが送られるのは何年後かと励ましていたが、その励ましの効果はどれほどの物だろうか。自分の体は自分がよくわかっているともいうが、明確な数字は分からない。しかしその数字を医学的に算出することはできる。
大吾に示された余命は半年だった。
病名は―――なんだったかは忘れてしまった。恐ろしく長い名前であったことは知っている。神経の分泌がどうとか、伝達物質がどうとか。しかし、そんなのは大吾にとってはどうでもいい話だ。
重要なのは余命やら病気の進行具合なのではない。痛みだ。
苦しまずに死ねるならそれに越したことがない。
苦しんで死ぬのはゴメンだった。花火のように尽きるときは一瞬で燃え尽きたかった。
なぜなら痛み苦しむ姿を愛子には見せたくなかったから。愛子にだけは見せれない。これ以上の心配などかけたくはない。
今この瞬間死ねるのならそれもいいかもしれない。
最近はそんなことばかり考え、この眠りが永遠の眠りにならないかといったことばかり考えていた。
そして今回も。
思考は睡魔の波に襲われて深い眠りへと大吾をいざなっていた。
そしてそれからその思考の波があらわれることは無かった。
螢が彼の魂を運んだのは丁度半年後だった。螢の成虫は既に姿を消してはいたが。
「母さん、家でゆっくりしとけよ。焼きそばくらいなら俺が屋台から買ってくるぞ?」
「いや、やっぱり螢と花火を見たいんだ」
「でも」
「大丈夫。心配してくれてありがとね。私も遅くまで見ないよ。30分ぐらいボーっとして終りさ」
「……わかった」
「ほら。早くいきな。時間がせまっとるぞ?」
「分かってる。じゃあな。ほんと、きぃつけろよ」
愛子は息子を見送ると仏壇の前に手を合わせる。そこには気難しい表情の大吾の写真が飾られている。
大吾は昨年の螢火祭りの日の夜から意識が混沌としだした。自分の意思とは関係のない睡魔が彼を襲うとすぐに眠りこけてしまう。ただしくは意識を失っているという表現なのだが。
会話をする余裕もなく目覚めたとしてもうわごとのように口をパクパクさせるだけだった。愛子はそのわずかにパクパクさせる口からテレパシーのごとくいいたい内容を感じ取りすぐさま反応していた。しかし、その努力をしてもなお彼は耐え切れず死んでしまった。享年71歳。日本の平均寿命を下回っていた。
その後の対処はとても手馴れており葬儀も終わった後は息子も実家に同居し愛子を支えていた。大切なピースを失っている彼女に生きる活力を与えようとしたからだ。早く結婚して孫の顔を見せろと言われ続けることとなるのだが。
去年大吾と花火を見た場所までは徒歩で10分ほどかかる。近くに川が通り螢もおり、涼しい風も吹く場所だ。
愛子はそこにたっぷり20分をかけてやってきていた。途中、楽しそうにくじ引きをひく家族の姿や焼きそばを頬張る姿に愛子は頬を緩ませている。過疎化が進む鳥越村だが、帰省しにやってくる若者は活気がもらえるのでとても好きだった。
キーンという雑音が村中に広がりその後に女性の声でアナウンスが流れる。間もなく送り花火を打ち上げます。螢とともに魂を天に送りましょう。
その声の後にヒューという花火が上がる音。そして大きく花開いて少し遅れパーンという音が響く。
「あなた、今日には帰ってくださいね」
愛子は目を細めて花火を送る。
そして手元のしおりに目を落とす。先ほど縁日で配ってあったのを受け取ったのだ。今年から配るようになったそのしおりに一番幅を取っているのはもちろん鳥越村のマップ。事細かにどこに屋台がおいてあるだとか、危ない場所だとか、迷った場合の場所だとかが記されている。次に幅を利かせているのが伝説について書いてある項目だ。この項目作成には愛子も深くかかわった。
伝承を正しく知っているのはやはり若者ではなく年寄りということなのかもしれない。ただし、それらをこうして打ち込み、わかりやすく見せてくれるのは若者が使う“ぱそこん”という四角い機械だった。いわばこれは合作とも言えよう。
お互いの力がなければ完成しなかったのだから。
愛子はその伝承に目を通す。
大筋は愛子が知っているそれとほぼ同じで、わかりやすく言い換えられているぐらいが差異といえよう。
鳥越村にある神社はその昔から輪廻を象徴する存在として称えられていた。伝説では魂が昇る瞬間に白い光がどこかに飛んでいくかのように消えて行ったという。その時、強い赤い光と黄色い光が視界を悪くし鳥の往来を邪魔し、自由に飛び交う鳥ですらこの村を追い越して別の村に行くということから鳥越村と呼ばれるようになったらしい。また、螢はその時期になるとその他の村と比べ活発的に姿を見せることから螢は魂を運ぶ使者とされていたのだ。
実際のところ、渡り鳥のルートにこの村が選ばれていなかったり、当時はそれなりに開拓されているがために木々の少なさから鳥が巣を作れなかったりしたことが、鳥がほとんど姿を見せない理由であり、同時に天敵である鳥が少なく清流があるために螢が多かっただけの話なのかもしれないが。
パタンとしおりを閉じるてもう一度花火を見送る。
「あら?」
気のせいだろうか、その瞬間螢が大きく舞い、愛子の体を覆う。
神聖なる存在だが流石に大量に目の前に現れれば扱いに困り顔を顰める。なぜ急にこんなに飛んで行ったのか。もしかしたら魂を運ぶために大量の螢が必要だったのか。ただ単純に花火の音に驚いたのか。
「――――」
「えっ?」
懐かしい声が聞こえた気がした。辺りを見渡すも愛子以外の人間はいない。いるのはただの螢だけ。
そのはずだが、ただの勘違いに過ぎないかもしれないが螢が形どる姿に見覚えがあるように思える。自分で伝承を語っておいてそんなことを言うのもおかしいのだが、信じられないのだ。
「あなた?だい、ご……さん?」
声を震わせて尋ねる。でも、すぐに首を横に振る。奇跡は奇跡なのだ。
「私もボケてしまったのかもしれませんね」
螢達はどこかに消えることもなく空中でとどまり続けている。その螢と、螢越しに魂が昇る時に発するという光の代わりにあげられる花火を見る。
ただの気のせいだ。気のせいのはずだが螢の光が大吾の顔をかたどり、風や花火の音が大吾の声に聞こえる。まるで大吾が夢枕に立ち自分を呼び込んでいるかのようだ。しかしまだ愛子はしっかりと目を開けており眠りについているわけでもない。だとするならこれは幻覚となるわけだが……。
「たとえそうだとしても……、私にこれを見せてくれているのかもしれませんね。大吾さん」
螢がかたどる大吾が頷くように見える。いや、これは奇跡の連続が起こしていることだと理解していてももうボケしまった方が楽しいだろう。大吾が深く頷いた。そう断言しよう。
「さてと、約束通りすぐ帰らないといけないですね。天へ帰って私達を見守ってくださいね」
その言葉を受け取るように螢達はそのまま大きく上に登ると霧散するようにして飛んでいく。愛子は振り返らないまま立ち去る。
それを見送るように、ヒューと上がる大きな大きな花。両手いっぱいに広げてもその花の大きさにも及ばない。素敵素敵な花。