空白の一秒
「課長、また映像が真っ黒になりました。第八環状橋、一秒です」
「戻ったか」
「はい。その前は東通り。その前は駅前。全部、一秒です」
「消える直前を見せろ」
「この青い光です。橋の端から端へ、走っています」
「車体は?」
「ありません。光が通った直後に、映像が消えます」
「次はどこだ」
「北の連絡橋です。同じ順番で、三周しています」
「保守階段を使う。橋の出口で待つぞ」
「六階ぶん、上がるんですか」
「エレベーターを待つより速い」
「それは、課長の脚なら、の話です」
「文句は一段ずつ言え。足は止めるな」
「中央が、この区域の広告制御回線を隔離するそうです」
「その前に、何が起きているのか確かめる」
「橋です。青い光、来ます!」
「看板の縁を見ろ」
「小さな灯が、順番に点いて……看板から看板へ、移っているんですね」
「同期灯だ。何かを一斉に動かす前に点く」
「点き終わりました。……消えた!」
「手すりをつかめ」
「もう戻りました。課長、足元の誘導灯は消えませんでした」
「カメラの記録は?」
「時刻は途切れていません。暗い間も、誘導灯が映ってます」
「カメラは止まっていない。広告の光が消えたんだ」
「でも、水たまりに白い点が。一つだけ、広告が消えたときに」
「何が映った?」
「わかりません。あんなところに、灯なんてありませんよね」
「その映像を残せ。制御信号はどこから来ている」
「旧気象観測塔です。橋の向こうの、広告だらけの塔」
「あそこか」
「観測塔は、廃止されたはずですが」
「今は広告の中継局だ。設備が全部なくなったわけじゃない」
「塔の入口です。こちらは鍵がかかっています」
「調査員証をかざせ」
「開きました。屋上の中継室へ……また階段ですか」
「あと一階だ。今度は私も、文句を言いたい」
「制御盤が二つあります。新しい方は、更新中です」
「古い方の履歴を開け」
「今夜の更新中だけ、予備盤へ切り替わっています。これが、その予備盤ですね」
「最初の暗転は、切り替えた直後か」
「一致しています。起動時の処理に……〈夜間観測・照明試験〉」
「まだ残っていたのか」
「作成者の署名もあります。……課長?」
「十七年前の私だ」
「観測技師だったんですか」
「その窓の向こうに、カメラを据えていた」
「広告を消すのが、気象観測なんですか」
「星を撮って、夜の雲を調べていた。看板の光が邪魔になる」
「それで、一秒だけ暗くするんですね」
「そうだ。同期灯は、その合図だ」
「橋で見た白い点は、星だったんですか」
「上を見ればよかったな」
「課長、知っていたなら教えてくださいよ」
「私も、なくなったと思っていた」
「どうして使われなくなったんです」
「観測は衛星で足りると決まった。空いていた一秒にも、広告が入った」
「空を見る必要はないって、そう決まったんですか」
「数字の上ではな」
「この青い灯、さっきからずっと点いてますね」
「試験が終わって、本観測を待っている」
「次は全街区が対象です。街じゅうの看板を消すんですか」
「空を明るくしているのは、この塔の周りだけじゃないからな」
「信号や、車の誘導まで止まりませんか」
「回路図と、さっきの記録を照合しろ」
「……消すのは広告照明だけです。交通系統も、誘導灯も、別の回路です」
「当時も、人が歩いている街で撮っていたんだ」
「設定の下に、短い書き込みがあります。〈次の人にも、この一秒を〉」
「それも、私のだ」
「誰に残したんですか」
「観測をやめた後でも、いつかここへ来る誰かに」
「ずいぶん、気の長い伝言ですね」
「来ただろう。君が」
「課長、中央の隔離まで、あと一分です。本観測は、その十秒後」
「理由は、まだ原因不明の暗転か」
「はい。この盤を切り離せば、広告は消えなくなります」
「君は、止めるべきだと思うか」
「廃止された機能です。このまま隔離するのが、通常の手順です。でも……」
「でも?」
「……もう一度、見たいです。今度は、上を」
「私もだ。既存の観測機能として、仮登録しよう」
「課長の権限で、隔離を保留できますか」
「現地で原因と影響を確認できた。私が署名する」
「〈旧観測機能の作動を確認。交通系への影響なし〉」
「根拠に回路図と、橋の記録を添付しろ」
「送りました。あと五秒。課長、認証を」
「した。通ったか」
「……受理。隔離、止まりました」
「よし、屋上へ出るぞ。録画の用意だ」
「……うわ、空にまで広告の顔が。課長、これじゃ、星なんて」
「まばたきするな」
「青い灯が、一斉に」
「上を見ろ」
「……星が――ああ、もう戻ってしまった」
「一秒だからな」
「青白いのが一つ。その右にも、小さいのが二つ。課長、見えましたか」
「見えた」
「映像じゃ、ないんですね」
「広告を全部消した後に、残ったものだ」
「もっと、見ていたかったです」
「私も、昔そう思った」
「それで、次の人にも?」
「一人で見て、終わりにするのは惜しかった」
「この観測、正式に残すには、明日の審査が必要ですね」
「資料は撮れたか」
「はい。一秒ですが」
「見ている間だけ、黙ってもらおう」
「最初の記録も、明るさを上げれば星が見えます。空白じゃありませんでした」
「報告書を直しておけ」
「その前に、課長。僕の次の人、見つかりました」
「どこだ」
「橋の上です。配達員が、さっきからずっと空を見ています」
「行って見せてやれ。君が撮った一秒を」
雨上がりの橋には、また広告の色が流れていた。
荷物を載せた台車の脇で、部下が端末を差し出した。画面の看板が消え、三つの小さな星が現れた。
配達員は手袋を外すと、その一秒を指先で止めた。
見終えても、すぐには荷物を運び始めなかった。端末を持つ部下と、並んで空を見上げていた。
追いついた課長も、二人の隣に並んだ。広告が切り替わっても、三人の顔は上を向いていた。




