噂になる味
昼前。
家の前が、妙に騒がしかった。
最初は気のせいかと思った。
鍋を洗いながら、外の音に耳を澄ます。
人の声。
足音。
立ち止まる気配。
「……」
窓からそっと覗くと、数人の町人が立っていた。
知らない顔ばかりではない。
市場で見かけた男。
食堂の常連らしき女。
その中心に、ミラがいる。
「……やっぱり、言ったな」
独り言を呟き、ため息をつく。
逃げる選択肢も、なくはなかった。
戸を閉め、居留守を使う。
昨日までなら、そうしていたかもしれない。
だが。
「……まあ、いい」
布巾で手を拭き、戸を開ける。
きい、と音を立てて扉が開いた瞬間、視線が集まる。
「お、おぉ……」
「本当に、いた」
遠慮がちな空気。
「……用か」
短く言うと、前にいた男が一歩出た。
「噂を聞いてな」
「妙な菓子を作ってる、中年がいるって」
悪意は感じなかった。
ただの好奇心だ。
「……菓子はある」
「食わせてくれるのか?」
即答はできなかった。
まだ、完成じゃない。
だが、昨日ミラに食べさせた時の顔が、脳裏をよぎる。
「……一つだけだ」
棚から、慎重に菓子を取り出す。
数は、少ない。
皿に乗せ、差し出す。
男は、少し緊張した様子で受け取った。
「いただくぞ」
一口。
さく。
男は、目を丸くした。
「……なんだ、これ」
「軽いな」
後ろから、別の声。
「甘い匂いだ」
「中、どうなってる?」
「……順番だ」
そう言うと、皆、素直に黙った。
男は、ゆっくり噛み、飲み込む。
「……悪くない」
「むしろ、好きだ」
拍子抜けするほど、率直だった。
「ちょっと粉っぽいな」
「だが、重くない」
別の女が、手を挙げる。
「次、私」
「……一つだけだ」
次々と、少しずつ分ける。
小さな一口ずつ。
「甘さ、控えめね」
「後味が、残らない」
良い言葉も、悪い言葉も、混じる。
だが、誰も黙り込まない。
それが、妙にありがたかった。
最後の一つを、ミラが見つめる。
「……私は?」
「……もう食っただろ」
「もう一回」
少し考えてから、頷く。
「……半分だ」
笑顔で受け取るミラ。
全て配り終え、棚は空になった。
「……以上だ」
肩をすくめると、町人たちは名残惜しそうに立ち去っていく。
「また、来ていいか?」
「……気が向いたらな」
適当な返事。
だが、誰も不満そうにはしなかった。
静かになった家の前で、俺は深く息を吐く。
「……噂、広がるな」
独り言だったが、否定する気はなかった。
誰かが、待つかもしれない。
そのことが、少しだけ、怖くて。
少しだけ、嬉しかった。
棚の空いた場所を見つめながら、思う。
「……次は、もう少し、うまく作るか」
噂は、もう止まらない。
不器用なおじさんの菓子は、
町の話題になり始めていた。




