無謀な挑戦
家に戻ると、まず台所を見回した。
台所、と呼んでいいのかも怪しい。
小さな竈、煤けた鍋、刃こぼれした包丁。
調理台は木製で、ところどころささくれている。
「……足りないな」
道具も、知識も、腕前も。
全部、足りない。
だが、袋の中には卵があり、砂糖があり、ナッツがある。
それだけで、少しだけ胸が落ち着いた。
ナッツを砕くところから始めた。
石臼の代わりに、丈夫そうな石を使う。
ごり。
ごり。
音は鈍く、粉は思うように細かくならない。
粒が残り、床に飛び散る。
「……くそ」
拾って、また砕く。
指先がじんじんと痛む。
次は卵だ。
殻を割る。
勢い余って、黄身が潰れる。
「……ああ」
思わず、天井を仰ぐ。
もう一つ割る。
今度は、うまくいった。
白身を器に移し、木の棒で混ぜる。
泡立て器なんて、当然ない。
腕を動かすたび、肩が重くなる。
泡は立たず、ただ白く濁るだけ。
「……こんなもんか?」
自信は、まるでなかった。
砂糖を加える。
ざらついた粒が、底に沈む。
ナッツの粉を入れ、混ぜる。
粘度が増し、木の棒が重くなる。
「……重い」
嫌な予感がした。
焼く手段も、問題だった。
竈に直接置けば、焦げる。
遠ざければ、火が通らない。
試しに、小さな塊を鉄板に落とす。
じゅっ。
嫌な音。
一瞬で、表面が黒くなった。
「……失敗、だな」
それでも、止めなかった。
火を弱め、距離を変え、時間を測る。
勘だけが頼りだ。
焼き上がったそれは、割れていた。
ひびだらけで、形も崩れている。
「……」
無言で、持ち上げる。
指先で崩れ、粉になる。
床には、失敗作が増えていく。
「……向いてない」
口に出した言葉は、前世でも何度も言った。
仕事でも、人付き合いでも。
器用な人間じゃない。
分かっている。
それでも、鍋を洗い、もう一度材料を用意する。
卵を割る。
混ぜる。
焼く。
夜になり、部屋は粉と甘い匂いで満ちた。
服も髪も、白くなっている。
「……何やってるんだ、俺は」
独り言が、空気に溶ける。
それでも、手は止まらなかった。
割れた菓子。
焦げた菓子。
潰れた菓子。
どれも、マカロンとは呼べない。
だが、どれも、捨てられなかった。
窓の外では、月が昇っていた。
前世で、仕事帰りに見上げた夜空と、どこか似ている。
あの頃も、疲れていた。
それでも、マカロンを思い浮かべると、少しだけ前を向けた。
「……もう一回だ」
誰に言うでもなく、呟く。
不器用でもいい。
遠回りでもいい。
この世界に、マカロンがないなら。
俺が、作る。
その覚悟だけが、静かに固まっていった。




