表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生先にマカロンがないからどうにかこうにか作ってみたよ  作者: 櫻木サヱ
マカロンのない世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/16

甘いものが足りない

食堂の中は、夕方の匂いがしていた。

煮込みの湯気、焼きたてのパンの香ばしさ、木の床に染みついた油の匂い。

悪くない。むしろ、落ち着く。


俺は黙って席に座り、差し出された皿を見下ろした。

丸いパンが一つと、具の少ないスープ。

肉は少なめ、野菜が主役だ。


一口、パンをちぎってスープに浸す。

噛めば、素朴な小麦の味が広がる。


「……うまい」


小さく呟くと、向かいの席の男が一瞬こちらを見る。

俺は気にせず、黙々と食べ続けた。


腹は満たされる。

体も温まる。


だが――


食べ終えた後、妙な空白が残った。


皿は空。

だが、心のどこかが満たされていない。


無意識に、指先が卓を叩く。


「……」


何が足りないのか、考えなくても分かっていた。

前世で、当たり前のように存在していたもの。


「……甘いもの」


口から零れた言葉は、独り言のつもりだった。


だが、食堂の女主人はしっかり聞いていたらしい。

腰に手を当て、首を傾げる。


「甘いもの?」

「菓子ならあるけど」


そう言って、奥から小さな皿を持ってくる。

出されたのは、固そうな焼き菓子。

茶色く、飾り気はない。


一口かじる。


甘さは、ほんのわずか。

噛めば噛むほど、粉っぽさが残る。


「……悪くない」


嘘じゃない。

これはこれで、ちゃんとした菓子だ。


だが。


胸の奥が、じくりと痛む。


前世の俺は、仕事帰りに決まった店に寄っていた。

無言で箱を受け取り、帰宅してから、ゆっくりと一つずつ食べる。


色とりどりの、小さな円。

外側はさくりと軽く、中はしっとり。

一口で、頭の中の雑音が静かになる。


「……マカロン」


思わず、声に出していた。


女主人は目を瞬かせる。


「今、なんて言った?」

「……菓子の名前だ」


「聞いたことないねぇ」


周囲の客も、興味深そうにこちらを見る。

だが、誰一人として知っている顔はいない。


「どんな菓子だい?」

「甘いのか?」

「高そうだな」


質問が飛ぶ中、俺は言葉を探す。


「……丸くて」

「……軽くて」

「……中に、甘いものを挟む」


自分でも、下手な説明だと思った。

伝わる気がしない。


案の定、皆は首を傾げる。


「想像できねぇな」

「菓子に、挟む?」


その反応を見て、理解する。


この世界には、ない。

マカロンという概念そのものが、存在しない。


胸の奥が、静かに冷えた。


転生して、家も、仕事も、元の生活も失った。

それでも、どこかで「まあ、なんとかなる」と思っていた。


だが。


甘いものが、ない。


その事実が、思った以上に重かった。


「……そうか」


俺は小さく息を吐いた。


女主人は、少し気まずそうに笑う。


「うちの菓子、口に合わなかったかい?」

「……いや」


首を振る。


「……うまい」

「ただ……」


言葉を切り、少し考えてから続ける。


「……俺の知ってる甘さとは、違っただけだ」


女主人はそれ以上、聞かなかった。

ただ、静かに頷いた。


食堂を出る頃には、空は茜色に染まっていた。

腹は満たされている。

だが、心は妙に落ち着かない。


歩きながら、何度も同じ考えが頭をよぎる。


マカロン。

あの菓子。

あの甘さ。


「……ないなら」


足を止め、空を見上げる。


「……作るしかない、か」


誰に聞かせるでもない独り言だった。

だが、その言葉は、妙にしっくりきた。


不器用で、無愛想で、取り柄もない中年。

それでも。


甘いものを、諦める気はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ