居場所の芽
夕方。
空が、やわらかな橙色に染まっていた。
台所では、試作の匂いが漂っている。
ナッツの代わりに、乾かした果実を砕いた粉。
砂糖は控えめ。
蜂蜜を、少し多めに。
出来上がった菓子は、前より色がついていた。
歪だが、どこか温かみがある。
「……悪くない」
そう呟いたところで、戸を叩く音がした。
「……来たか」
扉の向こうにいたのは、ミラだった。
両手に、小さな籠を抱えている。
「これ」
「……なんだ」
「卵、余ってたから」
「使う?」
しばらく、言葉が出なかった。
「……いいのか」
「昨日のお礼」
そう言って、にこっと笑う。
俺は、黙って籠を受け取った。
「……助かる」
それだけ言うのが、精一杯だった。
ミラは、棚の上を見回す。
「今日は、作ってる?」
「……試作だ」
「じゃあ」
「……味見か」
「うん」
いつの間にか、そういう関係になっていた。
一つ、皿に乗せて差し出す。
ミラは、慎重にかじる。
「……あ」
小さく、声を漏らす。
「昨日より、好き」
「果物、いいね」
「……甘さは」
「ちょうどいい」
素直な評価。
胸の奥が、少し緩む。
「ねぇ」
「……なんだ」
「ここ、さ」
「……?」
「お店、みたい」
その言葉に、思わず棚を見る。
確かに、並んだ菓子。
訪ねてくる人。
「……まだだ」
「でも、もう始まってるよ」
ミラは、そう言って立ち上がる。
「明日も、来る人いると思う」
「……材料次第だ」
「手伝えること、言って」
「……考えとく」
ミラが帰ったあと、家は静かになった。
だが、その静けさは、前とは違う。
孤独じゃない。
余白、のようなものだ。
棚の前に立ち、しばらく考える。
ここに来た時。
俺は、何も持っていなかった。
剣も、魔法も、居場所も。
それでも今。
「……あるな」
待つ人。
話しかけてくる人。
必要としてくれる人。
それは、芽だ。
小さくて、弱い。
だが、確かに根を張り始めている。
窓の外では、町の明かりが灯り始めていた。
「……明日も、作るか」
不器用なおじさんは、そう呟いて、
もう一度、台所に向かった。




