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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

49日の恋人

作者: 狸座衛門

 地獄のような人生だった。


 たったの16年でこれでもかというくらい酷い仕打ちを受けてきた。家庭、学校どこにも居場所はない。救いなんてどこにもなかった。だからもう終わりにしよう。


 空へ跳んだ。


 不思議と恐怖はなかった。悲しいって気持ちも、後悔すらない。走馬灯すら見えない。所詮、私の人生はその程度だ。でもこれでいい。人魚姫みたいに泡になって消えれたらいいな。


 最後に見上げた空は、どこまでも静かだった。









 気が付いたら、真っ暗な所に立ってた。ここはどこ? たしか飛び降りて、それでそのまま死んだ、んだよね……? つまりここは死後の世界? 死んだら無になるんじゃなかったの?


 せっかく勇気を出して跳んだのに、まだ終わりじゃないなんて最悪だ。私の運命はどこまでも鎖に繋がれてるらしい。どうでもいいか。ここがどこだろうと、私に干渉する人はいない。

 やっと、孤独を手に入れられた。このまま闇に身を委ねよう。







 どれくらい時間が過ぎたんだろう。眠くならないし、お腹も空かないし、疲れるという感覚もない。ただぼーっと立ち尽くすだけ。この世界は私に何を望んでるんだろう。もうこれ以上期待しないで欲しい。私は誰かの期待に応えられる人じゃないし、そもそも生きることが罰だった。何をする気力もない。このまま立ち尽くしていよう。


 すると足が段々重くなっていくのを感じた。下を見たら闇の中に引きずり込まれていってる。どういう原理か分からないけど、これで今度こそ完全に消滅できるのかな。だったらこのまま身を任せよう。


 目を瞑る。今度も恐怖はない。


 なのに、急に温かな感触が触れて、手を引っ張られた。


「大丈夫!?」


 女の人の声だ。


 嫌だな。死のうとしてたのに、助けられたってこと? いやすでに死んでるから、また死のうとしたのを救われた? どっちにしろ、人だ。私がこの世で一番嫌いな存在。私に苦痛しか与えない狂った存在。そんなのとまた関わらないといけないなんて拷問だ。

 やっと孤独を得られると思ったのに、やめて欲しかった。


 動く気力もなく眼を瞑ったままぼーっとしてると、肩を揺すられてる。


「しっかりして。あなたの魂はまだ死んでいない」


 魂? やっぱりここは死後の世界? どうでもいいか。今更何かを知りたいとも思わない。


「これはまずい。ともかく歩こう。立ち止まっていたら亡者に引きずりこまれて地獄道に堕ちる。手を引っ張るよ」


 女の人が私の意思とは関係なしに無理矢理動かして来る。お節介な人。そういうの、嫌い。


 反論する気力もないから、とりあえず目だけ開けた。そしたら前に何か僧みたいな人が歩いてる。なんでこんな所にいるんだろ。死んでからわけのわからないことばっかりだ。


 急に振り返ってきた。うわ、目が合った。最悪。すぐに視線を外したけど、なんか笑ってた気がする。


 それが哀れみに感じて少しだけ腹が立った。どうせ可哀想とかそういう気持ちで手を伸ばしたんでしょ。いつだってそう。助けるふりして、助けてくれない人ばっかり。

 手を払ってやった。


「勝手なことしないで。誰かも知らないのに私に構わないで」


 冷たく突き放す。これだけでいい。そしたらお節介なつもりだった人は皆去ってくれる。

 結局、皆自分の肩書の為に手を差し伸べてるだけ。弱ってる人を救ってる自分に酔って、それを自慢するんだ。


「言われてみればそうかな。私はくう。空って書いて『くう』って読む。よろしくね」


 は? この空気で普通に自己紹介する馬鹿がいるの? どれだけ鈍感なの?

 にこにこ笑ってるのが心底むかつく。きっと誰からも愛されて暴力や精神的苦痛なんて無縁な世界で生きてきたんだろうな。また腹が立ってきた。


「馴れ馴れしい。こんな得体の知れない場所で自己紹介する暇があるって脳みそ空っぽなの?」


 頭で思考してたはずなのに、口に出てた。まずい、また罵られる。また怒られる。


「ここは中陰。死んだ魂が次の六道に選ばれるために滞在する場所。あなたは49日間を得て、次の輪廻に転生する」


 私が馬鹿にした部分を無視して問いにだけ答えてくる。この人本当になんなの?


「中陰とか六道とか言われても意味分からない。私は早く楽になりたいだけ」


「残念だけどそれは叶わないよ。カルマがある限り、輪廻の法則に終わりはない。あなたはカルマに応じて新たな魂に転生する。それは生ける者全てが逃れられない」


 一体なんのお話? こっちは仏教徒でもないんだからそんなの他所でやってよ。


「今は分からなくてもすぐに理解するよ。私はここに詳しいからあなたの水先案内人を務めてあげる」


 どうせ私の話を聞いてくれないんだから、適当に流しておこう。今だけの面倒だと思っておく。


「……好きにすれば」


「ありがとう。名前を聞いてもいい?」


 名前か。やっぱり流れからして名乗らないといけないんだね。子供の頃から自己紹介が死ぬほど嫌いだった。大きくなるにつれて、その気持ちは大きくなった。苗字も、名前も、あの親も何もかもが嫌い。あれのせいで私の人生が狂ったって言っても過言じゃない。


「……心」


「いい名前だね。こころちゃんって読んでいいかな?」


「こころじゃない。心って書いて『ハート』って読む。私がこの世で嫌いな1つ」


 こんな名前のせいで幼少期からいじめられもした。名前で呼ばれるのは私にとって拷問以外の何物でもなかった。


 なのに、どうして私はこの人に教えたんだろう。よく、分からない。


「……そう。だったら私のことは『そら』って呼んで。私も『くう』って呼ばれるより『そら』って呼ばれる方が好きなんだ」


 どういう意味なんだろう。別に『くう』が変とは思わないけど。私の『ハート』の方がよほど変だ。なにより、この人は私の名前を聞いても、私の態度を見ても一切動じない。何を考えてるのかさっぱり分からなかった。


「どうでもいい。好きにして」


「じゃあよろしくね、こころちゃん」


 名前を呼ばれたのは随分久しぶりな気がする。苗字でばかり名乗ってたから、不思議と胸の内が温かくなった気がした。










 どれくらい歩き続けたんだろう。真っ暗な道をただひたすらに歩いてる。疲れることはないから苦しくはないけど、歩く意味があるのか分からない。そらさんは迷いなく歩いてるけど。


「中陰って言ってたけど、ここって死後の世界だよね?」


「そうだよ。正確には魂の保管庫みたいな場所だけれど。こころちゃんはこれから十王に会わないといけない。あの方達からカルマの裁定を受けて次の六道が選ばれる」


 十王? また私の知らない用語を出してくる。しかもその言い方からしてお偉いさんに会わないといけない感じ?


 思わずため息が零れた。人とこれ以上関わりたくなくて死んだのに、死んでもそれを解放してくれない。まるで死んだ私への当てつけみたい。そんなに死んだのが悪いって言いたいのかな。あんな世界どこにも居場所がなかったのに。


 どうでもいいか。今更どんな裁きがあろうと怖くもない。こんな命……じゃなくて死んでるから魂? どっちでもいいけど私には必要ないし。


 黒い道を歩いていると急に空気がピリピリした。まるで頬に電流でも走ったかのよう。それに肩から何かが落ちたような……。軽く、なった……? なにかが乗っていたの?


倶生神くしょうじん、ご苦労」


 急に頭の中に声が聞こえた。なに、なんなの? ふらふらしてたら、そらさんが手を握って支えてくれた。


「偸盗は一度、邪淫はなし、妄語は二度、飲酒はなし、殺生は……ふむ、なるほど。よかろう、通れ」


 頭の声が何かぶつぶつ言ったと思ったら、空気が戻った。さっきまでのビリビリがなくなってた。


「多分声が聞こえたと思うけど、今のが十王が一人の秦広王しんこうおうだよ」


 王? 今のが? もっと偉そうな人を想像してたけど随分とあっさりだった気がする。言ってる内容もまるで理解できなかったし。





 それからも暗い道をひたすらに歩いていた。終わりが見えない無限の闇。道とも呼べない黒い場所。歩く意味があるのかすら疑問だけど、そらさんは足を止めない。


 不意に足元がぴちゃりと濡れた気がした。思わず目を送った。けど足は濡れてない。でも気持ち悪い感覚が足を纏わりついてる。ぴちゃぴちゃって変な音もしてる気がする。なにこれ、気持ち悪い……。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「やめてくれぇぇぇぇぇ!」


「誰かあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 思わずビクッてなった。遠くから誰かの叫び声がした。どこにいるかは分からないけど、でも近くだって思う。


「なん、なの……ここ……」


「三途の川くらいは聞いたことがある? 死んだ人が渡る川。私達は今、そこを渡っているんだよ」


 三途の川……? 確か川に落ちたらダメだった気がする。でもここって川なの? ずっと真っ暗だしそもそも川なんて見えない。


「私達に川を認知するのは不可能だよ。生前のカルマの因果に基づいて、死者は橋を渡るか浅瀬を通るか川へ落ちる。悪事を働いたものはどう足掻いても無意識に川へ行って地獄道へ堕ちるんだ」


 じゃあさっきの叫び声って川に流された人の叫び声……? そういえばここに来た時も地面から何か飲み込まれそうになった気がする。


「ここは浅瀬みたいだね。どうやら君のカルマは悪人ではなかったみたいだ」


 足がぴちゃぴちゃするのはそのせい? でも、悪人じゃないなんて言われても正直なんにも思わない。そもそも普通に生きてるだけで殆どの人は『善人』なんだから。


「その顔は不服そうだね。でもね、悪人の定義は現世の法には従わない。君にだってあるはずだよ。軽い嘘を言ったり、道端の虫を殺してしまったり。王はそういったのも含めて全て審判する」


 まるで私の心を読んでるみたいに、そらさんが言ってくる。そもそもどうしてこの人は私に絡んでくるんだろう。ここって死んだ人が来る場所なら、そらさんも死んだ人?


 質問すればこの人なら答えてくれるんだろうけど、会話をするのも面倒くさいから黙っていよう。叫び声は今もずっと聞こえてる。川に落ちる人ってそんなに多いんだ。





 ぴちゃぴちゃと気持ち悪い感覚が不意に消えた。同時に肌を撫でるような気味悪い電流が走った。


「川を越えたか。では審判を開始する。おまえは……他者の信頼を奪った経験があるようだ。それもまた盗みである」


 さっきとは違う人の声が頭の中に流れる。


「これは……親か。両親の信頼を奪うというのは、罪深いことである」


 そう言われて頭の中の血の気が一気に沸騰した。信頼を奪う? 奪ったのはあいつらだ! 私は奪ってなんかいない!


「奪っていない、などと言うが相手が奪われたと感じたならそれは盗みである」


 は? 心を読まれた? なんなの、こいつ……。


「記録は残る。先へ進むがいい」


 そう言い残して声は消えた。静寂が包み込んで、頭にイライラだけが募った。


「なんなの、あいつ。嫌な奴。私の事、何も知らないくせに」


初江王しょこうおうは主に盗みについて審判する王だ。盗みとは物理的な物以外にも他者の信頼なども含まれる」


「それで私が親の信頼を奪ったって? 何言ってるの? 奪ったのはあいつらじゃん。私から何もかも奪って毎日暴力振るったくせに……!」


 私にこんな名前を付けて、居場所を奪って、挙句一度も助けてなんかくれなかった。なのに私が悪いって言うの? なんなの……なんなの!


 段々腹が立ってきた。ここに来てから人を好き勝手にして、私はさっさと楽になりたいだけだったのに、生前の行いが~とか言われても知ったことか。本当にムカつく。


「大丈夫。王は君が憎くて審判しているわけじゃない。こころちゃんのカルマは必ずあるべき場所に還るようになっているから」


 そらさんが私の手を優しく握って微笑んでくれた。今まで親にもそんな風に優しくされたことなかった。この人はどうして私に優しくするんだろう? それが分からない。






「こころちゃんは来世は何になりたい?」


 暗闇の道を歩いているとそらさんが聞いて来る。相変わらず人の手を握ったままだ。


「別に。人間以外ならなんでもいい」


「だったら畜生道で猫や犬になるのがおすすめだよ。最近だと、配信だっけ? のおかげで動物もカルマを集めやすくなってるんだ」


 素っ気ない私の返答を無視してニコニコと話しかけてくる。この人には空気とか察する力がないのかな。


「人の顔すらみたくないのにペットなんて絶対嫌」


「じゃあマーモットなんてどう? アルプス山脈みたいな高原で生息してるげっ歯類なんだけど、一年の半分以上を冬眠に費やしているんだ。寒い場所だからなるべくエネルギーを温存してるんだね」


 寝たきり? でもずっと寝てて気が向いたら起きて餌を食べる生活は私に向いてるかもしれない。


「悪くない、かも」


「でしょ? しかもマーモットは仲間思いな一面があって危険を仲間に知らせて鳴くんだ。だからカルマも安定してるし来世はきっとよくなるよ」


 そらさんの言葉は不思議と心の中に響く。今まで罵倒と喧騒の中で生きてきた私にそれ以外を与えるみたいに。この変な感覚はなんなんだろう。少し温かくて、安心するような感覚。


 どの道、今更こんな温もりを手にしたって意味ないのにね。私ってつくづく運がないと思う。






「邪淫なし。通れ」


 いつもの声がしたのに今回はあっさり終わった。拍子抜けするくらいだった。毎回これくらいだったらいいのに。


「ウンチク言う時もあったら今回みたいにあっさりしてたり意味不明」


宋帝王そうていおうは邪淫、つまりは性的な事を審判する王だからね。こころちゃんは潔癖だったんだね」


「潔癖というより興味ないだけ」


 そもそも相手なんていないし。


 するとそらさんが私を見つめてきた。真っすぐ黒い瞳が私を捉えてくる。視線を逸らそうと思ったのになぜか外せなかった。


「こころちゃんは誰かを好きになったことがある?」


「さっきの聞いてなかった?」


 口を開いたと思ったらとぼけた質問をしてくる。この人は本当に何を考えてるのか全然分からない。


「そうなんだ。実は私も誰かを好きになったことがないんだ」


 そんなカミングアウトどうでもいいんだけど。でもちょっと意外かもしれない。そらさんって私みたいな人にも優しくするようなお人好しだからきっとモテるって思ってた。


「意外って顔をしてるね。でもこれにも色々理由があってね。さっきの宋帝王が邪淫を裁くように、好意というのは危険なんだ。私は……くうとして生きなければいけなかった。だから好きという感情もどこかに置いてきた」


 そう呟くそらさんの瞳はどこか暗かった。どこか私に似た何かを感じたけど、でもそれを聞く気にはなれない。今更この人について知ったところでどうせ私は消えるんだから。


「ねぇ、こころちゃん。こころちゃんが良かったらでいいんだけど、中陰でいる間だけ私と恋人になってくれない?」


 この女は急に何を言い出してるんだろう。こんな場所だからとうとう頭がおかしくなったのかな。元々変な人って思ってたけど訂正する。かなり変な人だった。


「私、女なんだけど」


「好きになるのに性別なんて些細な問題だと思わない?」


 普通に問題だと思うんだけど。仏教勉強してたらこんな風になっちゃうのかな。それとも性欲我慢し過ぎておかしくなってるとか。ため息しか出てこない。


「私なんかを恋人にしても楽しくないよ、きっと」


 何もかもが嫌になって跳んだ女なんて問題児もいいところだと思う。なのにそらさんは笑う素振りは見せずに私をジッと見てる。まさか本気で?


 ……。


 私としては別にこの人はそこまで嫌いじゃない……と思う。今まで会った人の中では一番マシ。でもそれが好きかどうかって言われるとよく分からない。そもそも人を好きになったことなんてないんだから。


「別にそこまで真剣に悩まなくていいよ。49日終わるまでの関係だと思ってくれたらそれでいい。私は、好きという感情が少し知りたいだけだから」


「それなら、別に……」


「ありがとう、こころちゃん。私のわがままに付き合わせてごめんね」


 この人の言葉は不思議と私の心に響く。これが恋なのか好きなのかは知らない。

 そらさんは私の手を握ったまま微笑んで歩き出した。その手はさっきよりも温かい気がした。






「おまえは、父に死ねと言った。母に生まないで欲しかったと言った。これは重罪な妄語である」


 新たな王がまた私に好き勝手言ってきた。腹が立って手が震えてきた。罵倒の1つでも言ってやろうかと思ったら、そらさんが私の手を強く握ってきた。思わず視線を送ったら静かに微笑んでくれている。


 胸の内の怒りは収まっていた。


「……以上がおまえの妄語となる。先へ進むがいい」


 知らないうちに話は終わっていた。


 相変わらず真っ暗な道。私を先導するみたいにそらさんが私の手を握ったまま少し前を歩いている。


「あの。さっきはありがとうございました」


「少しは恋人らしかったかな?」


 それがどうかは分からないけど、あのままそらさんが仲介してなかったらきっと暴れていたと思う。


「こころちゃんもよく我慢したね。王の前で怒りを見せるのはもっともしてはならない行為の一つなんだ。カルマは基本現世の行いから判断されるけど、王との態度もちゃんと見られている。場合によってはそれで地獄道に堕ちる人もいるんだよ。とくにこの先の閻魔王えんまおうの前ではね」


 閻魔……。私でもその名前はなんとなく知ってる。色んな作品で登場するくらいには有名な存在だ。


 それからまた真っ暗な道を歩き続ける。随分と慣れた……とは言えないけど、最初に比べては歩くのが苦痛じゃなくなってる気がする。


「こころちゃんは現世でやり残したことはない?」


 この人の質問はいつも荒唐無稽だ。


「あったら自殺なんてしないと思うけど?」


 皮肉を込めて言ったつもりだったけど、そらさんは何も言わずに聞いていた。普段ならこんな軽口を叩いたら馬鹿にされて相手にされなかったのに。


「……でも、少しだけ……普通が欲しかった、かもしれない。家に帰ったらおかえりって言ってくれる人がいて、美味しい夕飯の匂いがして、友達と談笑できるような……そんな、普通が……」


 あれ、頬を伝ってる冷たいこれは何……? もしかして私は泣いてるの? もうどうでもいいって思ってたはずなのに、心の奥ではそれを願っていたのだろうか。そんなの叶うはずもないのに。


 それに……どうして私はこの人に言ったんだろう。言っても意味ないって思ってたはずなのに。無意識に救いを求めてた? 私が? そんなの……。


 するとそらさんは私を抱き寄せて優しく包み込んでくれた。両手を背中に回してゆっくり撫でてくれる。あぁ……どうしてこんなにも心地いいんだろう。これが、恋なのか。或いは愛なのか。私にはなかった温もりだ。


「……あの、もう大丈夫です」


 涙は勝手に止まっていた。そらさんはゆっくりと私から離れる。でも手は離してくれなかった。


 そしてまた私達は歩き出す。出口の見えない暗闇をただ前に進む。


「そらさんはやり残したことないの?」


「あるよ。今まさにこころちゃんに頼んでることだね」


 そういえば誰かを好きになったことがないって言ってたな。本当なんだろうか。こんなに慈愛に満ち溢れた人なら誰かを好きになるなんて容易に思えそうだけど。


「本当に恋人がいなかったの? さっきのなんて慣れた手つきに思えたけど」


「残念ながら本当なんだ。好意と善意は別物。解脱を目指すとどうしてもそこへ行きつく。そして私は好きという感情そのものを遠いどこかへ置いてきてしまった」


 何を言ってるのかよく分からないけど、私に優しくしてるのはこの人の人間性がそうさせてるだけってこと? それならかなり出来た人だと思う。もし星の巡り合わせが違ったら現世にもこういう人と出会えたのだろうか。


 ぽつぽつと歩き続けていると、また空気が変わった。でも今までみたいに電流が走る程度じゃなく、全身が焦げ付くような熱い何かを感じる。圧倒的な威圧感、恐怖、本能的にそれを感じて足が震えてる。


 不意に目の前に誰かが玉座みたいな椅子に座ってた。古風な和風装束に身を包んで頭には歴史の教科書に載ってる偉人がつけてるような変なあれを乗せてる。黒くて長い髪だから女性……? というか今までの王は姿がなかったのにこの人は姿が見える? 隣には変な大きな鏡が置いてあった。おそらくこの人が閻魔って人?


「またおまえか。くう


 妙に冷たい声。でもやっぱり女性っぽい。


「それが天道の務めですから」


「ここは我々の管轄だ。君が出る幕じゃない」


「泣いてる子を無視するのは私の流儀に反します」


「あまり自分勝手にならない方がいい。君のカルマにも影響する」


「承知の上です」


 なんか2人で勝手に話を進めて完全に置いてけぼり。まぁどうでもいいんだけど。すると閻魔はため息を吐いてから、私の方を見てきた。鋭い眼光で金縛りにあったみたいに動けない。この人……怖い……。


「怖いとは失礼だな。少し目付きが悪いだけじゃないか」


 心を読まれた? 前の王にも読まれた気がするけどどういうカラクリなんだろう。


「この鏡の前では君のあらゆる思考は筒抜けだ。だから私を出し抜こうなどとは考えない方が身のためだよ」


 確かに鏡が光ってる気がする。あれで私の心を読んでたの? 悪趣味……。


「悪趣味とは随分な言いがかりだね。私の裁定次第で君が地獄道に堕ちるかもしれないというのは分かっているのか?」


「どうでもいいよ。この偏屈な場所から終われるならどこだっていい」


「君は地獄道を舐めているようだ。君が現世で感じた苦痛の何倍、いや何千倍もの痛みが無限のように続くのだぞ?」


 あれよりもキツイ苦しみがあるのかが疑問に思う。でもまたあんな苦しみにあうのは嫌だ。


「だろう? だからこれ以上カルマを重ねるのはやめておくのが身の為だ」


 どうせ死んでるし、これ以上もこれ以下もないように思えるけど。


「さて、君について色々言いたいが……君は自殺をしたようだな」


 そのことに少しドキッとした。今まで何も言われなかったから別になんでもないって思ってたけど。


「だから何?」


「君は輪廻の中でもっとも重い罪の一つを選んでしまった。ゆえに君のカルマはその年齢でも重くなっている」


「だから自殺するなって言いたいの? あんな苦しい思いをして、居場所もどこにもなくて、助けてって叫んでも誰も助けてくれなかった! あなただって口先だけで見てるだけだったくせに!」


 私だって自殺したくてしたんじゃない。そうするしか安寧を得られなかった。変える方法も逃げる場所も何もかも分からなくなった。なのに安全圏にいる奴らは皆口を揃えて自殺はするなって言う。本当馬鹿ばっかりだ。


「……君と関わった人のカルマも等しく裁定される。中には重いカルマを背負った者もいる。それが輪廻の理だ。例外はない」


 冷静に対応して、さも余裕ぶってるその態度が気に入らなかった。でももう何でもいいか。ここで喚いて怒ったところで私は死人だ。あの現世は二度と戻って来ないのだから。


「その通り。君は輪廻の法則に従い次の六道へと進む。その裁定はもうすでに終わっている。次の君の六道は……人間道だ」


「は?」


 思わず口に出てた。人間道ってことはまた人間ってこと? あの地獄へ逆戻りってこと? 動物じゃないの? ていうか私のカルマが重いだの言ったくせにまた人間にさせるの? なんなのこいつ、ふざけてるの!?


「ふざけてなどいない。君は確かに自死を選ぶような愚かな行為をした。だがそれ以外のカルマは至ってまともだ。普通の者よりも優れているほどにな。故にその善性をもって、次の人間道でやり直すといい」


 どうやらこの閻魔という人はどこまでも人を馬鹿にしないと気が済まないらしい。


「いい加減にして! 私はもう人間なんかになりたくない! 動物か、それが無理なら地獄にだって行く!」


「カルマに例外はない」


 なんなの。なんなのよ! どいつもこいつも人の話を真面目に聞いてくれなくて、いつもいつも最後には裏切る。優しいふりして最後には毒を振りまく。もう、何もかも全部消えてしまえ!


 ……。


 なんか、手が強く握られた気がした。そういえば、そらさんがずっと握ってたんだ。


「閻魔王、私からもお願いがあります」


 ずっと黙っていたそらさんが口を開いた。


「私を人間道へ転生させてください」


 ……えっ?


「カルマに例外はないと言ったはずだ。それに天道のおまえが人間道に戻る道理もないだろう」


 閻魔はため息混じりに言ってる。


「そうでしょうか。私は彼女に恋心を抱きました。これは天道においても禁忌の領域。そして私は邪淫によって天道に残れる権利を失ったはずです」


「……分からないな。天道にまで上りつめた君がわざわざ人間道に戻る理由があるのか?」


「彼女と共に居たい、そう願っただけです」


 少しだけ怒りが収まってきた。そらさんの声を聞くだけで、私の血の気はいつも引いていく。この人がいると心が穏やかになれる。


 でも、正直閻魔の言う通りどうしてそらさんがそこまで私と一緒にいたいのかが分からない。まだ会って少しなのに自分の立場を捨ててまで私を追う理由はなんなんだろう?


「たった一つの欲望の為に、過去のカルマを捨て去るというのか」


「はい」


 そらさんの意志は固そうだった。


「あの、そらさん、どうしてそこまで……?」


「正直自分でもよく分かってないんだよね」


 えぇ……?


「でもここで色んな人と出会ったけど、こころちゃんと居る時が一番心地よかったんだ。ずっと君のそばにいたいって思ってしまうほどに」


 その言葉に少しドキドキする。この気持ちはどういう感情なんだろう。死んだ今になっては何も分からない。


「閻魔王、お願いします。私を人間道へ転生させてください」


 そらさんが深々と頭を下げていた。そんな態度を見ても閻魔は動じてなさそうに冷たい目をしてる。


「言っておくがここでの会話も記憶も全て消えるんだぞ。君達が人間道へ転生したとしても、出会える確率はほぼゼロだ。仮に会えたとしてもお互い記憶していないだろう」


「それでも……私は人間道へ行きたいです」


「私からもお願いします」


 気付いたら私も頭を下げていた。誰かのためにお願いをするのは初めてかもしれない。


「……この私に盾突いたこと、中陰で淫らな関係を築いたこと。空、お前は人間道でやり直しを命ずる。以上だ」


 それだけ言って閻魔は姿を消した。残された私達は静寂に包まれて、暗い場所にぽつりと立ってた。不意に目が合うと自然と笑みが零れる。





 それから残った王からも審判を受けて、いよいよ転生される前段階にまでやってきた。目の前には大きな黒い扉がある。きっとこの先が人間道なのかな。次はどんな人生になるのか。また地獄のような家庭に生まれて苦痛を受けるのか。不安で少し手が震えたけど、そらさんが包み込んでくれた。


「閻魔王の言った通り、転生したら記憶は全てなくなる。でも心の中に眠るカルマはきっと私達を繋いでくれる」


 そうだといいな。ゆっくりと扉に触れると重い軋み音をたてて開いた。奥は相変わらず真っ暗でちょっと不気味。でも恐怖はなかった。


「じゃあね、ハートちゃん。また来世で会おう」


 私の本当の名前。ずっと忌み嫌ってたけど、初めて温かい感情が芽生えた。案外名前そのものが重要じゃなかったのかもしれない。きっと、受け入れてくれる人が大事だったんだ。


「またね、クウさん」


 暗い暗い闇に足を踏み込んだら、意識は途切れた。












「心愛~。心愛~!」


 だれかがよんでる?


「もう。こんな所にいたのね。ほら、行くわよ。お隣さんの挨拶が終わってないんだから」


 ママがてをひっぱる。つよくにぎらないで。いたい。


 ママがピンポンおしたらだれかがでてきた。おおきいおんなのひと。


「隣に引っ越して来た佐藤と申します。これ、つまらないものですが……」


「まぁまぁ、ご丁寧にありがとうございます。そちらのお子さんも可愛いですね」


「ほら、心愛も挨拶して」


「う~?」


 ママなにかいってる?


 おおきいおんなのひととさわいでる。


「そうだわ。うちにも娘もいるの。夜空~、きなさーい」


 そしたらわたしとおなじくらいのおおきさのひとがきた。


 ……?


 どこかであったような?


 なんかジッとこっちみてる。こわい。


 おもわずママにかくれたけど、なんかでてきた。


「夜空~、裸足で出たらだめでしょ」


 そのこはわたしのてをひっぱる。いえのなかにつれていく。


 なんだろう、このかんじ。なつかしい?


 わからないけど。うーん。やっぱりわからない。


「よぞら?」


「うん。きみは?」


「ここあ」


「ここあ?」


「よぞら?」


 なまえをよぶ。それだけなのにどこかであったきがする。おもいだせない。


 でもふしぎといやじゃないかも。おちつく。


 また、あえるといいな。

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