9.ラブストーリーって、たぶん突然始まる
結局、かつてのラブソングの女王とほぼ同姓同名の西野さんは、荒ぶるだけ荒ぶった挙句、間宮さんに腕を引かれ、嵐のように去っていった。ファミレスのテーブルには、置き去りにされたドリンクバーのコップが4つ。
その姿はまるで、恋愛劇という名の戦場に倒れた名もなき兵士たち。
「はぁ……」
桜井が長く、重いため息をつく。
青豆は思わず心の中で「聞きたくない」と小さく拒絶反応。
耳も目も口も閉じたい。全ての五感を冬眠させたい。
でも現実は、五感フル稼働を要求してくる。
氷がカランと音を立て、メロンソーダの蛍光グリーンがやけに鮮やかだ。
こんな時に限って、体に悪そうな飲み物ほど綺麗に見える。
「青豆……悪かったな。巻き込んで」
出た、謝罪。
しかも“青豆”呼び。これはあくまで彼女のフリをしている間限定の特権のはずだ。今すぐ戻してほしい。“青豆ちゃん”でいい。なんなら“西園寺さん”でも構わない。
心の距離感、勝手に詰めないでください。
「あはは……桜井先生も大変ですね。あー、空がきれいだなぁ」
必死に話題転換を試みる。が、桜井は人の気配りを軽やかにスルーし、淡々と爆弾を落とす。
「少し前、あの二人が付き合ってるって知らなくて、西野に告白されてOKしたんだ」
無理だった。現実逃避、秒で失敗。
「その後、間宮と二股されてることが分かって、すぐ別れた」
やめろー!青豆の脳内で非常ベルがけたたましく鳴る。
出口はどこだ。避難経路図をください。
「西野が『間宮と別れるから、もう一度付き合って』ってしつこくてさ。だから、もう彼女がいるってことにして……」
説明は止まらない。桜井の冷静な声に、青豆は氷入りメロンソーダを無意味にカランカランかき混ぜる。飲むどころじゃない。今はただ、心の中で「生き延びろ……」と念じるしかない。
「そしたら今度は、諦める代わりに『彼女を紹介しろ』って言ってきて……」
「そういうこと、よくありますよね」
いや、ない。めったにない。
むしろ、少女漫画かドラマくらいでしかない。
明らかに出演キャストを間違えている。
ここにいるのは、THE・運がない女子高生・西園寺青豆。
配役ミスもいいところだった。
「本当に助かったよ」
桜井がふっと微笑む。
その声色に、青豆はようやく肩の力を抜いた。
これで任務完了。きっとあの時の“電話二時間分の労働“に値したはずだ。
――でも、油断してはいけなかった。
青豆の不運は、決まって“ホッとした瞬間”に落ちてくる。
「いえ、お役に立てて良かったです」
にっこり。ここで終わり。そういう流れ。
……のはずだった。
「で、青豆……この際、本当に付き合わないか?」
――え?今、何て言った?
メロンソーダの炭酸が喉に逆流して、思いきり吹き出す。
グラスの中で氷がカランと転がる。
この瞬間、世界が一瞬スローモーションになる。
心の中で、青豆は叫んだ。
(えーと。これは演技じゃなく、本気のやつ?)
(待って。脚本どこ?カメラは?)
ファミレスの蛍光灯の下、安っぽいテーブルの上で、
まさかの告白らしきものが投下された。
――何故、私はいつもこういうシーンの主演女優にされてしまうのだろう。
「……ちょ、ちょっと、待って、今の聞き間違いじゃ……」
しかし桜井は、淡々と、しかも少し楽しそうに微笑んでいる。
青豆のパニック具合を、どうやら微笑ましく見ているらしい。
「いや、聞き間違いじゃないよ。付き合わない?って言った」
「つ、付き合いません!」
「残念だな。付き合ったら楽しいのに」
青豆はおしぼりで机を拭きながら、必死に否定した。
桜井は少しも残念そうじゃない顔で、青豆の必死な様子を笑ってた。
メロンソーダの中の氷だけがカランカランと跳ねる音だけが、静まり返ったファミレスの空間に響いた。
そこへ、息を切らせながら、海翔がやってきた。
「青豆!」
「と、藤堂?ぐ、偶然だねぇ?」
偶然なわけがないと思いながらも、そう言わずにはいられない。
主演女優は一転、一触即発の男たちの緩衝材になり果てた。
「帰るぞ」
青豆は訳が分からないまま、海翔に腕を引かれ、ファミレスを出た。
――え、何?
突然の月9ヒロイン昇格に戸惑う青豆。
押し黙り、機嫌が悪そうな海翔。
のんきにファミレスから手を振る桜井。
そんな感じで幕を開けた今週。
念願の親知らずを抜く、西園寺青豆。
アメリカンな分厚いハンバーガーの食べ方が分からない、西園寺青豆。
UNIQLOの店員に間違われる、西園寺青豆。
ドタバタと小さな不運に振り回されつつも、
なんとか生き延びる女子高生の一週間、ここに開幕。
---
存在意義がいまいち理解できないものの一つに、親知らずがあると思う。
何故、まっすぐ生えてこられないのか。
何故、存在しているだけなのに邪魔なのか。
何故、抜くときはこんなにも痛いのか。
バキバキ、と骨を砕くような音が鳴り響き、ついに青豆の親知らずは真っ二つになりながらも、自由になった。そして歯医者は、まるで次のステージを示すかのように、にこやかに言った。
「で、あとの親知らずはどうする?あと3本あるけど」
――は?
青豆の心臓は一瞬止まった。
世界が、少しだけ残酷なジョークを飛ばしてきた気がした。
いや、笑えない。笑えないんだけど、笑うしかない。
青豆は深く息を吸い込み、心の中でつぶやいた。
(なんで私の体って、不幸を連発するのだろう…)
金曜日。テスト期間終了のお祝いに、久しぶりにすずめとランチに来ていた。
なんで、アメリカンなハンバーガーって、こんなに分厚いんだろう。
なんで、手で食べる前提で話が進められているんだろう。
なんで、こんな零れ落ちそうな具材ばかりで彩られているんだろう。
青豆はハンバーガーの全体を眺め、どこから食べれば綺麗に食べられるか考えていた。その隣で、すずめは何も気にせず、がっついている。
あ、ソースをこぼした。
あ、トマトをスカートに落とした。
あ、肉汁が口から零れて顎を伝っている。
見ていられなくて、青豆はすずめの顎をハンカチで拭いてやった。
「あ……ありがと」
すずめが照れくさそうに笑いながら、青豆のハンカチでさらにぐしゃぐしゃと拭く。
(返して、私のハンカチ……)青豆は心の中で小さくつぶやく。
同じ“お嬢様”でも、すずめは成金、青豆は由緒正しき財閥。
すずめがこの学校の初等部に入学した当初は、大変だった。
授業中にじっと座っていられない。
気に入らなければ、暴力に訴える。
授業中にお腹が空いたと、早弁する。
純粋培養のお嬢様たちの中で、すずめは大層浮いていた。
青豆がすずめとつるみだしたのは、先生に「面倒を見てあげなさい」と言われたのがきっかけだ。
青豆は小学生にしては辛抱強かった。
授業中じっとしていられないすずめには、落書きをして時間をつぶさせた。
気に入らないやつは、青豆が率先して口で言い負かした。
授業中にお腹が減らないように、休憩時間に二人でこっそりお菓子をほおばった。
取っ組み合いの喧嘩もした。今となっては、いい思い出だ。
そして――母親が離婚して出て行ったその日、手を繋いでいてくれたのも、すずめだった。
あの時、
何も言わずに。
ただ手を握って、
隣にいてくれた。
それ以来、すずめは青豆にとって、一番大事な人になった。
---
「で、付き合うの?」
ソースをまだ頬につけたまま、すずめが聞いてきた。なんというタイミング。こっちは今、ハンバーガーと格闘しているのに。
「付き合うって……まだそんなんじゃないよ」
「でも、付き合ってって桜井に言われたんでしょ?」
「それは断ったよ」
「じゃあ、藤堂と付き合うんだ?」
「それは言われてないよ」
「じゃあ、青豆はどうしたいの?」
こいつは、何故か一番答えたくないタイミングで、必ず核心を突いてくる。
何という無慈悲。
青豆は言葉に詰まる。
そうだ、私はどうしたいんだ。
「私は……」
息を整えて、心の声を少しだけ解き放つ。
「藤堂と付き合いたい」
そして――まさかのタイミングで海翔が現れた。
顔が赤くなる。どうしてこの人は、こうもタイミングよく
私の人生の重要なシーンに現れるのだろう。
青豆が不運の女神に愛されているなら
きっと、海翔は幸運の女神に愛されている。
「えっ!なんで?なんでここにいるの!?」
青豆がびっくりしてすずめを振り返ると、
親指を上げたすずめが満面の笑みで「呼んどいた」と言う。
締まらない。全く締まらない。
人生初の告白がまさかのハンバーガーを食べながら、
出会いがしらに聞かれるなんて。
青豆の心の中で、ツッコミの嵐が吹き荒れる。
海翔の目が、ほんの少し大きくなった気がする。
どうやら、青豆の口から飛び出した言葉は、本気で受け止められたらしい。
「そ、そ、そういうことなんだ……」
青豆は、心臓が口から飛び出しそうになりながら、思わず手で胸を押さえる。
隣でソースだらけのすずめがニヤニヤしている。
海翔は静かに近づき、青豆の隣の椅子に座った。
距離が近い。
距離感が近い。
青豆の頬は、赤さがさらに増す。
「……青豆、俺も、付き合いたい」
その言葉に、青豆の心臓は完全にスタンプラリー状態。
頭の中で警報が鳴りっぱなし。
思考回路は完全にショート寸前。(古)
「……え、あ、あの……」
すずめは相変わらず笑っている。
何という余計なタイミングで、何という余計なサポート。
青豆の人生、今日も全力でラブコメのドタバタ劇場だ。
「じゃ、私行くわ」
この状況で?置いてくの?
「え、えー…待ってよぉ。UNIQLOは? 一緒に服買いに行くって言ったじゃん」
すずめは華麗に立ち上がり、軽やかに足を運ぶ。
青豆は追いすがるが、すずめはにこやかに振り返りながら一言。
「藤堂に付き合ってもらえば?」
残されたのは、半分も減っていないハンバーガーと、隣に座る海翔。
気まずい沈黙が、ファミレスの蛍光灯の下で二人を包む。
青豆はハンバーガーを前に、心臓の暴走と頭のパニックを抱えたまま、小さく息を吐いた。
「と、とりあえず、食べるね」
「どうぞ。」
「藤堂は?もうお昼食べた?」
「うん、食べたよ。ソース、ついてる」
――ん?
海翔の指が、自然に青豆の唇に触れた。
青豆の時間は一瞬止まる。いや、正確には心臓が止まった。
パニックと混乱と鼓動の三重奏で、頭が追いつかない。
ハンバーガーを食べ終える頃、海翔は自然と手をつないできた。
あれ……藤堂って、こんな人だったっけ?
「行くんでしょ?UNIQLO」
「う、うん」
戸惑う青豆をよそに、海翔は手をつないだまま迷いなく歩き出す。
引っ張られるように、青豆はふわふわと後を追った。
---
UNIQLOに着くと、店内は穏やかで、蛍光灯の光が青豆の赤い頬をより鮮やかに照らす。海翔は手をつないだまま、特に言葉もなくラックを見ている。青豆はというと、心臓がまだバクバクしていて、手のひらが汗ばんでいるのがわかる。
「わ、私あっち見てこようかなー?」
海翔は優しく青豆の手を開放し、にこりと笑う。
……待って、藤堂さん?
こんなに優しげで柔らかい笑みを浮かべる人でしたっけ?
心臓がびっくりして一瞬停止しかける。
まさかのキャラ崩壊現場目撃。
青豆、やっと深く息を吸う。
すーはー、酸素がありがたい。
イケメンの周りはもしかしたら、富士山頂くらい酸素が薄いのかもしれない。
いや、もしかしたらマチュピチュくらいかもしれない。
あれ?どっちのが標高が高いんだっけ?
そこへ、突然、50代くらいのご婦人が目の前に立つ。
「ねぇ、ちょっと。さっき他の店員さんにも聞いたんだけど、これってどちらにあるかしら?」
……え?私?UNIQLOの店員に間違われてる?
青豆の頭の中、フリーズ。
いや、違います。
違うんです、私、普通の女子高生です。UNIQLOで働いてません。でも、当然答えてくれるわよね?と言う圧に、断れない空気。
仕方なく、「私でよければ」と顔を作る。
青豆はいかにも『UNIQLOの店員です』という顔で商品の棚へ案内する。
しかし、そこは西園寺青豆。不運に愛された女。
ばったり、偶然、婦人の言う“他の店員さん”に出会ってしまう。
「あらぁ、あなたさっきの!こちらの店員さんに伺ったから、もう大丈夫よ」
“他の店員さん”は、きょとんとした顔で青豆を見つめた。
「え?おまえ誰?」――そんな目だ。
はい、分かってます。あなたが正しい。
私は店員じゃない。ただの一般人です。
もう二度と店員のフリはしません。
というか、もうこの店舗には来ません。生涯、別のUNIQLOを愛します。
この間、0.1秒。
青豆は営業スマイル全開で「では、私はこれで」と言い残し、逃げるように売り場を抜け出した。
レディースコーナーを抜けると、そこにいたのは、笑いを堪えきれない海翔。
肩を震わせ、呼吸困難寸前で笑っている。
こいつ、見てたな。
「あははは!青豆、面白すぎる!」
「見てたんなら、助けてよ!」
笑いながら責める青豆に、海翔はまだ笑いが止まらない。
でもまあ――笑ってくれたなら、それでいいのかもしれない。
あのまま一人で逃げ出していたら、青豆は一生この店舗を避けて生きるところだったから。
「あー……笑った」
モールの通路を歩きながら、海翔がまだ楽しそうに言う。
青豆は不満そうに頬をふくらませて見せるが――実のところ、全然怒ってない。
怒ってるフリをしてるだけ。ちょっとだけ、構ってほしいだけ。
「ごめん」
「え?怒ってないよ?」
「今のことじゃなくて」
……あ、今のことは謝らないんだ。
謝られなければそれはそれで、なんか複雑。
人間って勝手だ。
「この前、ファミレスで、家庭教師の人と二人でいたじゃん。あん時、勝手に連れ出して、ごめん」
今さら?と思ったけれど、青豆は素直に頷いた。
あの夜、二人は無言のまま二駅分歩いて、無言のまま家まで送ってもらった。
無言なのに、なぜか頭の中がうるさかった記憶だけが残っている。
「全然いいよ。あの時、二人じゃなくて四人だったし」
――とはいえ、“桜井先生の偽彼女を演じてた”なんて、言えるはずもない。
言った瞬間に、物語が一つ余計な方向に転がっていきそうだから。
「え、そうなの?俺てっきりデートしてんのかと思って……」
「あれって偶然だったの?」
「いや、二階堂が教えてくれて」
やっぱりな。あいつ、ほんとに余計なことしかしない。
青豆は天井を見上げて小さくため息をつく。
「そういうことか。……すずめのやつ、今度会ったら〆てやる」
海翔が気まずそうに目をそらす。
青豆はにこりと笑って、つないだ手を思いきりブンブン振った。
「気にしなくても、すずめには文句言うだけ!」
――ドタバタと、小さな不運に翻弄されながらも。
今日、西園寺青豆。
人生で初めて、“彼氏ができた”日になった。




