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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第一章

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7.誰が本命? 氷の音と三角のざわめき

今日は、どうにもこうにも運が悪い日らしい。

勉強机の角に小指をぶつけ、ささくれをめくればじんじんと痛みが続く。小さな刺激で心までざわつく。


通学中も、災難は青豆を見放さない。

道を譲ろうと思えば、向こう側の人と同じ方向に避けてしまう。三度繰り返すうちに、ため息が自然と漏れる。


そして家に帰れば、もうひとつの災難が待っていた。

玄関で桜井と海翔が鉢合わせ。

二人とも、青豆の存在を無視して睨み合う。


(うわ、どうしよう……)


心の中で小さく叫ぶ青豆の横で、森さんがやけに楽しそうに爆弾を投下する。


「で、どっちが本命なの?」


何その質問。

今、この瞬間に限っては誰が本命とか、そんなこと言ってる暇はない。けれど、森さんは平然と口にする。さすが、青豆の人生に小さな混乱を撒き散らすプロフェッショナルだ。





こうして始まった月曜日

青豆の一日は小さな痛みと微妙な人間関係の嵐の中にいた。運の悪さ、痛み、そして謎の三角関係。全部一緒に味わう盆とクリスマス。


いや、今は秋だけど。






--


朝だ。携帯のアラームが鳴っていない。

青豆は飛び起きる。起きた瞬間、もう遅刻は確定のようなものだと悟った。


ベッドから飛び降り、制服に着替える。

その勢いで、盛大に勉強机の角に左足の小指をぶつける。痛みで思わず声が漏れる。まだ起きて一分も経っていないのに、今日の運勢が透けて見えた気分だ。



それだけでは終わらない。

電車の中で気になっていた指先のささくれをめくれば、じんじん痛みが続く。携帯をいじる度、鞄に手を突っ込むたび、痛みが呼応する。


何もしてなくても痛い。

血が出ていないのに、痛い。

指先がほんのちょっと痛いだけなのに、気分が落ち込む。



通学中も、災難は容赦なく青豆を追いかけてくる。

道を譲ろうと一歩右に避ければ、向こう側の人も同じ方向に避ける。青豆は一瞬立ち止まり、眉間にしわを寄せる。左に避ければまた相手も同じ方向に動く。


三度繰り返して、思わず心の中で「なんで?」とつぶやく。


靴のつま先でアスファルトをかすかに蹴りながら、彼女はため息をつく。



教室に滑り込むと、遅刻ギリギリで間に合った。

と、気を抜いた瞬間、再び左足の小指を机の角にぶつける。まるで、左足の小指を標的にされているかのクリーンヒット。


「今日は一体、何個の罠が仕掛けられてるのかしら…」


そう思いながらも、青豆は小さく肩をすくめ、仕方なく足を前に進める。目の前の小さな不条理を受け入れることで、今日の長い一日をどうにかやり過ごす覚悟をする。





そして家に帰れば、待っていたのは、もうひとつの災難だった。玄関で、桜井と海翔がばったり鉢合わせしてしまった。今日は、『家庭教師はお休みにしてください』、と森さんに伝えたはずなのに。


二人とも、まるで青豆の存在を無視するかのように、睨み合って立っている。


(うわ、どうしよう……)


心の中で小さく叫ぶ青豆の横で、森さんが得意げに口を開いた。


「で、どっちが本命なの?」


は? 今? この状況で?

誰が本命とか、そんなことを言ってる暇がどこにあるの。でも森さんは平然としている。青豆の頭の中をぐるぐるかき混ぜることに、全力を注いでいるようだ。


元をたどれば、今日のこの混乱の原因は、あなたの小さなミスですよね、森さん。大人って、ほんとうに、どうしてこうも汚いのかしら。さすが、青豆の人生にちょっとした混乱と波風を撒き散らす、プロフェッショナルだ。




---


森さんが名残惜しそうに扉を閉めた。


「どうぞ。ごゆっくり~」


リビングでは森さんが聞き耳を立てるリスクがある。

青豆は二人を自分の部屋に誘導した。異性を自室に呼ぶ、嬉し恥ずかしの初体験――こんな冷や汗と緊張で終わらせたくはない。


コップの氷がカランと音を立て、麦茶が静かに揺れる。

空気が少し、気まずく重い。


「あの…」


仕方なく、青豆は口火を切った。

二人の視線が、一気に自分に向く。

視線の重さに、思わず背筋がピンと伸びる。

心臓はバクバク。なんでこんな時に限って、手が汗ばんでるのだろう。


「桜井先生、すみません!今日は森さんにお休みの伝言を頼んでたんです。伝達ミスで来てもらっちゃったけど…」


「うん。知ってるよ」


もしかして、この修羅場の原因は森さんのミスじゃなくて、あなたの故意ですか。だったら、ちょっと謝ってほしい。さっき森さんを心の中で責めた私と森さんに。いや、森さんを責めたのは私の心の中だけだったから、私にだけでいい。


頭の中で、小さなツッコミと小さな願いが、まるで勝手に踊っているみたいに飛び交う。

自分の部屋なのに――こんな冷静になれないなんて、人生ちょっと不条理すぎる。青豆は心の中でそっと深呼吸した。


「この前の電話以降、連絡がないから心配でさ。今日も休むって言うから、何か悩んでるのかと思って、話を聞きに来たんだ」


あっ!そうだ!と、青豆は冷や汗をかく。

あれ以降、桜井に連絡するのをすっかり忘れていた自分に気づく。水族館デートで浮かれて、頭の中まですっかり観賞魚モードになってた。


「あああああ!ごめんなさい!」


さっき「謝って」と思った言葉が、

そのまま自分にブーメランとして返ってくる。

心配してくれた桜井に、なんてひどいことを思ってしまったのか。


「……いや、別に怒ってないよ」


桜井の声は、いつもよりずっと柔らかい。

青豆は思わず息をのむ。

なんでこんなに優しいの?仏?神? 


「えっと、その…よかった、です……」


言葉を紡ぐ度、藤堂に凝視され、青豆は手のひらの汗を拭いた。まるで看守に監視されている犯罪者みたい。


深呼吸をもう一度。

(落ち着け、青豆。普通に会話すればいいだけ。普通に……)


頭ではわかっている。でも心臓はまるで太鼓の大合奏。


「えっと…桜井先生、あの、その…今日は来てくれて、ありがとうございます」


小声すぎて自分でも聞き取れない。

桜井は軽く微笑んで、うなずいた。


「うん、いいよ。気にしなくて」


その一言で、青豆の肩の力がほんの少しだけ抜ける。

でも、隣で海翔がじっと見ている視線も、どうしてこんなに意識してしまうのか。

青豆は小さく舌打ちして、心の中で自分を励ます。


「この前の電話のあと、すごく勇気づけられて…

 次の日から学校にも行けたんです。

 その後すぐに、父の冤罪が分かって、釈放されて。

 ロスから義母も帰ってきてくれて。家族でご飯食べました。」


思い切って口にした言葉に、少し震えが混ざる。

桜井は軽くうなずき、穏やかな声で、でも真剣な目で青豆を見つめる。


「そうか。あの時の電話が少しでも君の力になったなら、良かった」


ぴくり、と視界の端で海翔が動いた。

先生、言い方!言い方に気を付けて!と青豆が心の中で叫ぶ。カラン、と氷がコップにぶつかる音が、小さく響く。


(……今度は藤堂(こっち)にどう説明すればいいの?)


明らかに“電話の件”を気にしている海翔。

青豆の鼓動はまた少し速くなる。


「それじゃあ、俺はそろそろ失礼するね」


突然の言葉に青豆も海翔も、軽く目を見合わせる。

桜井はにこりと笑い、ひと言残して、まるで静かに嵐の後片付けをするように立ち上がった。


「お邪魔そうだしね」


そう言い残し、桜井は余裕のある足取りでリビングを後にする。残された二人の空気が、急にぎこちなく、

しかし、海翔の空気が少し柔らかくなった気がするのは気のせいだろうか。


青豆は胸の奥で小さく息をつく。


(桜井先生って大人だな……)


そして、海翔の視線が、少しだけ青豆に向けられる。

その重さに、青豆はまた、心の中で小さなドキドキを感じるのだった。


桜井が立ち去って、二人だけになった部屋。沈黙が落ちる。今度は海翔が口火を切った。


「青豆」


青豆は桜井の去った扉から海翔に視線を移す。


「もう気づいてると思うけど…」


海翔の声は、いつもより少し低く、だけどどこか照れくさい響きを帯びている。青豆は心臓が一瞬止まったような気がして、口元が乾く。


(え、告白…?いや、違う、違うかも…)


頭の中で小さなパニックが走る。海翔は、ただ何かを確認したいだけかもしれない。でも、視線がじっとこちらを見つめる重さは、言葉以上に意味を持っているようで…。


「俺、電話のこと…気になってて」


海翔が続ける。


家庭教師(あのひと)と何を話したの?」


青豆は息をのむ。なるほど、告白ではなく、確認…でも、心臓がバクバクするのはなぜ?


「父親が逮捕された日にたまたま電話、くれたんだ。他の大人の誰にも連絡つかなくてパニックになってたから…その…泣き言を…」


青豆は小さな声で返す。


「そっか。大変だったんだな。俺、力になれなくて…」

「違うよ!」


青豆は思い切り否定した。


「力になったよ!あの日、家に来てくれて、一緒にマック食べてくれて。すっごく、すっごく救われたよ!!…嬉しかったよ!」


海翔は少し間を置いて、笑いをかすかに含んだ目で言った。


「そっか…俺ずっと、青豆の味方だから。またなんかあったら頼って欲しい」

「うん、ありがとう。」


青豆は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

告白じゃないけれど、確かに二人だけの空間で交わされた、特別な言葉。


その瞬間、青豆の心の中の竜巻が少しだけ静まる。


(藤堂…こういうの、ずるい…)


小さなドキドキが、胸の奥でくすぶり続ける。

その後、二人は言葉を交わさず、ただ並んで机に向かう。コップの氷がカランと鳴る音だけが、部屋の中に静かに響く。


青豆の心は、少し落ち着き、少しだけ、海翔の存在を近くに感じていた。


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