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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第一章

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6.青豆、クラゲとデート未満

電車で席を譲ろうとした青豆。

ところが、割り込んだサラリーマンが見事に着席。

青豆の善意は、またしても座られなかった。


改札ではSuicaが「ピンポーン」と鳴り響き、青豆の小さなプライドが削られる。財布を探す手はやけに重く、後ろの行列の視線はやけに冷たい。


そして水族館。

いざチケットを買おうとしたら、電子マネーが使えない。「私が払うから」なんて、格好つけた直後に財布の中身ゼロ。

結局、奢られる羽目に。


……そう、今日は散々。

でも、横にいるのは黒髪になった海翔。

初めて見る私服姿。

ちょっと、いや、かなりドキドキしてしまう。


クラゲの水槽の前で、胸の奥に広がる妙なざわめき。

世界は不条理だらけ。けれど、不条理の隙間から、ふと“恋”が顔を出すこともあるらしい。


第6話「青豆、クラゲとデート未満」始まります。






青豆は電車で、席を探す老婦人の姿に気づいた。

よし、ここは私が、と席を譲ろうと腰を浮かせる。

その瞬間――。


スルッと横から割り込んできたスーツ姿のサラリーマンが、見事なタイミングで着席した。あまりに自然な動作で、まるで最初からそこに座るのが予定されていたかのように。


(……あのね、こっちは善意を発動しようとしてたんですけど?)


青豆は心の中で毒づいた。


しかも老婦人は、別の席が空いたとたん、すんなりそちらへ移動してしまった。結果、譲ろうとした本人だけが宙ぶらりん。


結局、座れなかったのは青豆ひとり。


善意の空振り。これで三連敗くらいしてる気がする。

電車の窓に映った自分の顔を見ながら、青豆は小さくため息をついた。


(人生、席を譲りたい人に譲れないシステムでもあるんだろうか)


そんなふうに皮肉を呟きながら、揺れる車両の中でつり革をぎゅっと握りしめた。



改札に差し出したSuicaが、無情にも「ピンポーン」と鳴り響いた。あの甲高いエラー音は、世界で一番、心臓に悪いと思う。


「……え?」と一瞬固まる青豆。


後ろからは、通勤通学で急ぐ人たちの流れ。

列が滞れば滞るほど、背中に無数の視線が突き刺さる。


小さなプライドが、削られる音が聞こえた気がした。


改札の真ん中で立ち往生する数秒は、体感では永遠に近い。冷たい視線、深いため息、靴音が床を打つ音。一斉に青豆を「早くして」と急かしているように思える。


「……すみません!通してください…!」


自分のせいで出来てしまった行列を逆行し

小声で「すみません、すみません」と謝罪をしながら、やっとの思いでチャージ機に一万円札を押し込む。


ピッと通れた頃には、すでに体力を半分消耗していた。


「こんなの、人生であと何回経験すれば許されるんだろう」


ため息をひとつ、改札を通る前から青豆の不運はすでに始まっていた。




そして――目的地の水族館。


「え?今、横浜にいる?なんで?なんでぇ!?」


青豆は思わず電話口で叫んだけれど、相手は笑って電波の向こう。電話で責めても、どうにもならないことは百も承知だ。ため息ひとつで、青豆は切った。


「藤堂、ごめん。すずめ、来ないって」


もともと“おごりね!”と意気込んだ日は、海翔の都合がつかず流れた。で、学校の振替休日に三人で水族館、という計画になったのは、もちろんすずめのアイデアだ。なのに、発案者が一番に来ない。


「今、横浜にいるって…」


「なんで?」


「電車、乗り間違えたって」


青豆は眉をひそめる。

どうやったら乗り間違えて横浜まで行けるのか。

方向音痴ここに極まり。しかも、「中華街のお土産は何がいい?」とか。

ああ、すずめ……自由すぎる。




青豆は少し背伸びをするような気持ちで券売機の前に立った。


「今日は私が払うから」


海翔の前で、ほんの少し格好つけて言ってみる。

いつもの失態を取り返すチャンス。

今日くらいは、ちゃんと大人っぽいところを見せたい。


ところが、券売機の画面に冷たい文字。


「電子マネーはご利用いただけません」


え? ちょっと待って。

改札であんなに恥をかいたのに、ここでも?

慌てて財布を開く。……空っぽ。

よりによって、千円札どころか小銭すら入っていない。


(あ、そうだ。全部、さっきSuicaにチャージしちゃったんだった……!)


「……ごめん。やっぱり、お願いしてもいい?今度返すね」


「気にしないでいいよ」


小さな声で海翔に頼むしかなかった。

チケットを買う彼の横顔を見ながら、青豆は内心で叫ぶ。


(返せ、私の一万円!いや、せめて見栄くらいは返してくれ!!)


情けなさと悔しさで、心の中に穴が開いたような気持ち。でも、そんな自分を見透かしたように、海翔は少しだけ笑っていた。

それが逆に、なんだか悔しいけど――悪くない。




結局、すずめは横浜に消え、青豆と海翔だけの水族館行きが決定した。なんだか、予定外すぎる“二人きりデート”の幕開けだ。


青豆は心の中で小さくつぶやく。


(いや、なんで私、藤堂と二人で水族館なんて来ちゃってるんだろう……)


でも、少しだけワクワクもしていた。

初めての私服に着替え、普段の制服とは違う自分を鏡で確認する。髪を整え、靴を履き替え、バックを肩にかけた瞬間、心の奥で小さなドキドキが波を打った。


海翔はというと、金髪をやめて黒髪に戻してきた。

どこか落ち着いた雰囲気になり、以前の“怖い転校生”感は影をひそめている。あの鋭い視線は変わらず、青豆の心臓に小さな緊張を残す。


「……行こうか?」


海翔の低い声に、青豆はうなずいた。



館内に入ると、青豆の心臓は少しだけ早鐘を打つ。

普段は教室の端で淡々としている海翔が、隣にいるだけで、なんだか世界の色が少し鮮やかになったような気がする。


水族館の大きなガラスの向こうで、魚たちはゆらゆらと静かに泳いでいる。二人の間に漂う気まずさも、少しずつ、優しく解けていくようだった。


「綺麗!これ全部クラゲ!?すごいね……」

「うん…綺麗だな」


青豆がつぶやく。

水族館のような暗い場所では何故か声が少し小さくなる。

結果、自然と距離も近くなる。


クラゲのゆらゆらとした光と、海翔の黒髪が夕陽のように柔らかく混ざって見えた。海翔も青豆の独り言のような発言にいちいち答えを返してくれる。少しだけ肩が触れる距離感に、青豆は心の中で静かにドキドキする。普段なら絶対に近づかない、この緊張と安心が混ざった感覚。


「……青豆、あのさ」


海翔が低くつぶやく。


「うん?」


「今日は、……誘ってくれて、ありがとう」


「え?えー!何なに?何!私たちもう友達じゃん!」


改めて礼を言われ、青豆は思わず照れ隠しに藤堂の背中を叩く。普段の無愛想な彼が、こうやって柔らかい言葉をかけるだけで、心の中に小さな暖かい光が灯る。


その後も、魚の展示やアシカショー、触れる水槽の前で、二人はゆっくり時間を共有した。青豆は、海翔のさりげない気遣いに少しずつ心を開いていく。


暗い段差がある時は、段差あるよ、と教えてくれる。

青豆の魚の解説にいちいち笑ってくれる。

子供がとびだして青豆にぶつかりそうになった時は、腕を引いて避けてくれた。


そして、自分の中でふと芽生えた感情に気づく。


(……これって、恋、かもしれない)


初めての私服で、初めての水族館で、初めての二人きり。些細なことでも、心が跳ねる。笑いながら魚を見つめる海翔の横顔に、青豆は少しだけ意識を集中させる。


たとえば、波のように揺れるクラゲの光の中で、二人の距離は確かに近づいている。

まだぎこちないけれど、でも確実に。

青豆はそっと息をつく。


(……うん、今日、来てよかった)


水族館を出る頃には、少しだけ大人になった気分と、胸の奥に小さな甘酸っぱい余韻が残っていた。

そして、青豆は心の中でひそかに誓う。


(藤堂と、もっと……近くなりたい)


水族館を出て、夕暮れの駅へ向かう帰り道。

青豆は少し緊張しながらも、足取りは軽い。海翔の横顔をちらりと見る。金髪だった髪は、黒く染め直され、光の加減で表情まで柔らかく見える。


「髪、黒にしたんだね」


青豆がつい口に出す。

海翔は肩をすくめて、少し照れくさそうに笑う。


「……ん、まあ、気分転換ってやつ」


青豆はにやりと笑いそうになるのをこらえる。

気分転換、ねえ。金髪の時とは違って、なんだか落ち着いた印象。少し大人びた雰囲気で、でも相変わらず海翔は海翔らしい。


「なんか……似合ってるよ、黒髪」


言った瞬間、自分でも驚くくらい素直に出た言葉。

海翔は少し目を細めて、照れくさそうに目をそらす。


「……ありがとう」


駅のホームに着くと、青豆は思わず足を止める。


「今日、来てよかったね」


自然に出た言葉に、海翔も小さく頷く。


「……うん」


その一言で、なんだか世界がキラキラと輝いて見える。人込みの雑音も、電車の音も、今日はただの背景に過ぎない気がした。

青豆は心の中でそっとつぶやく。


(藤堂のこと、少しずつわかってきたかも)


金髪でも黒髪でも、笑顔や優しい表情は変わらない。

無口、でも意外と素直で感情豊かなのだ。

今日の彼は、青豆にとって少しだけ特別に見えた。


電車が到着し、二人はそれぞれの方向へ歩き出す。

振り返ると、海翔がふとこちらを見て、ほんの少しだけ手を上げる。

青豆も、自然に手を振り返した。


(……これから、どうなるんだろう)


胸の奥で、ほんのり甘い期待と緊張が混ざり合う。

そして、今日という一日が、確かに青豆と海翔の距離を近づけたことを実感するのだった。


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